インターネットの岸辺で燃える炎
ネットで炎上が起きる。心ない言葉があちこちにあふれる。
知らなくてもいい。知らなければよかったのに。でも知りたい。知らずにはいられない。
無関係だった人と人がつながって、傷つけあっている。
ひとりではおとなしかった人たちが、群衆になって、狂騒を繰り広げている。
そして、その炎から目を離すことができない、大勢の人たち。その中の自分。
インターネットが生まれた頃、まだ世界は分断されていて、世界は「つながる」ことで、もっとよくなる、と人々は無邪気に考えていたかもしれない。
でも、果たしてそうだろうか。
世界の人口は、約74億人。いま、インターネットのユーザーは約38億人。ソーシャルメディアのユーザーは約29億人。
世界は、もはや、つながっているのだ。
それでどうなっただろう。世界の問題は、解決しただろうか。
インターネットには、フェイクニュースがあふれ、そのニュースに掲出される広告でお金を稼ぐ人たちがいる。2016年の米国大統領選挙に関するフェイクニュースの多くをつくっていたのは、選挙と無関係のマケドニアのとある街の若者たちだった。
貧富の格差は広がりつづけ、世界の人口の約2%が世界の総資産のおよそ半分を所有している。憎しみは伝播し、テロは一向に減らない。年間の紛争犠牲者は約15万人にも及ぶ。
こんなはずじゃなかった。無意識につながるだけじゃ、だめなんだ。
世界が、社会が、地域が、人々が、どういう形でつながれば、問題は解決し、より平和や幸せが増大するのか。
「つながりかた」のしくみを意識的に考えなくちゃいけない、と思う。
嘘ではなく、事実が広まるしくみ。
敵意ではなく、優しさが増幅するしくみ。
私欲ではなく、問題解決のために、知恵とお金が集まるしくみ。
インターネットの岸辺で燃える炎を見つめながら、まだ世界にない、そのしくみを、ぐるぐると頭の中で考える。
炎
妬みの炎 憎しみの炎
インターネットの岸辺で
乱暴な言葉たちが
今日も燃えている
その炎が
僕の目に映って
妖しく光っている
妬みも 憎しみも
そうやって燃えて 燃えて 燃えて
ぜんぶ燃えつくして
世界から消えてなくなればいいのに
僕の目から消えてなくなればいいのに
そういうしくみならいいのに
エッセイ「いつか、ここにあるもの。」、季刊誌「住む。」で連載中。最新のエッセイは、「住む。」最新号でご覧ください。http://www.sumu.jp/ ※本エッセイは、「住む。」65号(2018年5月春号)に掲載されたものです。