見守る強さ

冬眠とは『動物が活動をほとんど停止したまま冬を越すこと』(日本大百科全書より)。日々の生活活動はしているけれど、今の私はそれに近い。

抗がん剤治療中のため、投薬後はハーフのゾンビ⇒クォーターゾンビ⇒人間というサイクルで日々を過ごしている。
約2人に1人と推計されているがんはもはやもはや国民病とさえ言われる現代ではあるけれど、さすがに3回目の手術、治療となると少々うんざりする。
2006年に最初のがん、2020年に別のがん、そして2023年に転移が見つかるという経過をたどり、その度にプチ冬眠をさせてもらっている。
お世話になっている診療科で担当してくださる先生も3人目。
この4月には4人目の先生にお世話になるらしい。
17年もお世話になっていると、患者の方がベテランになってきた感がある。

2006年、初めてがんを宣告された日、仕事を早退して結果を聞きに行ったものの、心臓がドキドキしっぱなしで、どうやって家にたどりついたのかが思い出せない事を覚えている。
いろいろ検査をして、結果を待つその日々の長い事、長い事。
分からない事は不安や恐怖を覚えるけれど「結果待ち」はまさにそれだ。「違って欲しい。」「そうだったらどうしよう‥‥。」
頭の中でぐるぐるグルグルと一人でループしていた。

幸か不幸か、当時仕事がプロジェクトの真っただ中でてんてこ舞いだった事で、仕事中は自分の事を考えずに済んだけど、フトした時に不安に引きずられる。もしそうだったら家族や友人になんて言うのだろうか、仕事どうするんだろう…まだ結果がでていないからこその不安を払拭すべく、ええい!考えたって仕方ない。私が知らないだけで結果は決まってるんだから!と強がってみたりと、結果待ちの期間が原因で「ストレス性ホニャララ」という病気になりそうな程、アップダウンの激しい感情と過ごした。

今でも、家族にも友人にも恵まれているけど「怖いよ~」「どうしよう…」って言えなかった。当時はAYA世代のがんという言葉があったのか、なかったのかわからないけど、周囲で30代前半でがんが見つかったという話は聞いたこともなく、がんは他人事で暮らしていたのに、どう伝えたところで心配をかけるし、反応に困らせるだけ。
ただただ、私の不安をぶつけるだけで、巻き込むだけじゃないか!と思っていた。だから周囲に言えなかった。
当時はそう思っていたし、まるでそれがマナーってもんじゃない?と自分に言い聞かせていたけれど、私が何も言わないことで心配をかけて、反応に困らせていただけだったと後になって知った。

希望の答えではなかったけれど、告知を受け手術、投薬治療まで淡々と日々が過ぎ、色んなお誘いや先の予定も含めお断りをせざるを得ない状況下で、職場や周囲の人にも言わざるを得なかった。
事実となってからは帰ってラクだった。自分の感情を抜きにして事実を事実として伝えるだけだからだ。極めて明るく、なんでもない風に。
治療も終わり晴れて脱ウィッグできた頃、幼馴染のRちゃんが涙を浮かべながら言ってくれた。
「やっとだね。頑張ったね‼ 多分、気持ちはわかってあげれなかったと思う。そんな簡単な事じゃないからね。言いたくない気持ちもなんとなくだけどわかる気がしたし…だけど、何も言ってくれないのも辛かった」と。

本当は、心細さに潰れないよう、自分の気持ちを直視しないように、
言葉にしないことで自分を保っていたんだ。
言葉にしたら多分大泣きしただろうな。
「どぉーしよゔ~(´;ω;`)ウゥゥ」
「ごわいぃ~( ノД`)シクシク…」(>_<)
「ツライ~(>_<)」って。

立場を逆転してみればとても簡単な事だったけど、普段から自分の弱さを見せられず、大人ぶった対応をしてきた私の「言えない」を尊重し、ひっそりと、でもガッシリとささえてくれた事に心からありがとう。
見守る優しさって強いね。

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