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最後の錬金術師。最初の化学者。ロバート・ボイルについてまとめてみた(^^♪

どうも。namihiroです。

本日は錬金術の思想の元となっていた四原質説を否定し、ボイルの法則を発見した天才、ロバート・ボイルについてまとめていきたいと思います。

これまでの記事で、火の発見→冶金技術の発明→物質哲学の発明→錬金術の発明という流れを説明してきました。
錬金術は技術的にはメソポタミア地方の冶金技術を、思想的には古代ギリシャの物質哲学を元にしています。
古代ギリシャの物質哲学にはアリストテレスが言ってた四原質説とデモクリトスが言ってた原子論がメジャーな思想でした。
現在の化学では原子論が正しいって言われています。
しかし、今から2500年くらい前のギリシャでは、アリストテレスがぶっ飛んだ天才過ぎたので、四原質説が正しいって思われていました。
「あのアリストテレスが四原質説が正しい言ってんだよ!(; ・`д・´)」
って感じです。
この四原質説を始めて真っ向から否定した研究者が今回紹介するロバート・ボイルなんです。
ちなみに、ロバート・ボイルは1627年産まれで、「四原質説が間違っとるやん!!( `ー´)ノ」って言ったのは1661年です。
2000年も信じられていたアリストテレスが凄いのか、2000年解けなかった問題を解いたボイルが凄いのか!
天才たちの争いって凄くないっすか?

本日の記事はロバート・ボイルの生い立ち、四原質説否定の論理、ボイルの法則の3つの流れで書いていきます。

ロバート・ボイルの生い立ち

ロバート・ボイルは1627年生まれで、アイルランドの出身です。
8歳からイングランドのイートン・カレッジへ入学、11歳からフランス人家庭教師と共に海外放浪へ。14歳からはイタリアのフィレンツェで暮らし、ガリレオ・ガリレイに教育を受けたそうです。
もう何言ってるか分からん・・・。
天才か?天才なんか??

そんなこんなで、ヨーロッパ中を勉強しながら放浪し、17歳でイギリスへ戻ってきます。その頃から科学の研究がしたいってなっていたそうです。
こんな英才教育を受けたらそうなるでしょうよw

20歳で初めて父親が所有していたアイルランドの土地を訪れ、25歳までアイルランドに移住していましたが、田舎じゃなかなか研究が進まんってキレてたそうです。最終的にブチ切れてイギリスのオックスフォードに移住したそうです。

30歳の頃に空気ポンプを目にしてからポンプの研究を始めます。
その時の研究を記念して、オックスフォード大学に碑文があるそうです。
1660年、33歳の時にこの研究の成果を発表します。
発表の中で、「気体の体積は圧力と反比例する」という説明をしており、これが後にボイルの法則と呼ばれるようになります。
ボイルの法則は現在の化学の教科書にも載っていますね!
マジ、経歴がヤバいわ・・・。

41歳からはロンドンに移住します。
ここで、これからこんなものを発明したいなっていう24の目標を作ったそうです。
「延命法」、「飛行技術」、「永久照明」、「軽い鎧」、「強風でも沈まない帆船」、「高精度で経度を確認する方法」、「想像力や記憶などの能力を高める薬」、「苦痛を和らげる薬」、「悪夢を見ない安らかな眠りをもたらす薬」などだそうです。
凄いのはこの24個のほとんどは現在発明され、社会の役に立っているということです。
どんだけ先見の目が合ったんだ・・・。
残念ながら体が弱かったようで、晩年は研究を控えて、隠居生活をつづけたそうです。
1691年に64歳で亡くなり、ロンドンの教会に埋葬されました。

ボイルの法則

一般的な教科書的に書いているボイルの法則ってこんな感じじゃないでしょうか。

一定の温度の下での気体の体積が圧力に反比例することを示す法則

ざっくりいうと、こんな感じです。

①気体の温度、圧力、体積のどれか2つが分かれば残りの一つは計算ができるよ。

②圧力と体積が分かっている気体を、温度を変えないで体積を変えるとその気体の圧力がいくつになったか計算できるよ。

これが何の役に立つのかっていうと、圧縮や膨張したときに圧力や体積が分かるとポンプやコンプレッサーの能力を計算できるんです。
これって画期的なんですよ。僕らの生活にポンプやコンプレッサーがないと結構困ります。
エアコン、車のエンジン、ガスボンベなんかの考え方のもとになっているんで。
※実際にはこれらの計算ははるかに複雑ですけど、ボイルの法則が発見されなかったらおそらく実用化できてないです。

後にジャック・シャルルって人が、温度が変わった時でも計算できるよって形に進化させて、それがボイル・シャルルの法則って呼ばれるようになります。

ちなみに、基本的に僕はその計算がざっくりどんなことができて、何の役に立つのかが分かればそれでいいと思っています。
ですので、計算式は出しません。興味があったら調べてみてください。
注)研究者や技術者を目指す人はちゃんと覚えてくださいね!!

四原質説否定の論理

四原質説が信じられていた錬金術の世界ですが、300年頃から1600年頃まで「俺が金を作ったるぞ!!(`・ω・´)」って研究をしまくってました。
その結果、1300年間の試行錯誤でおよそ9種類の元素が見つけることができました。
1300年で9個ですよ!
そんな研究続けるって変態でしょ・・・。
ちなみに、見つかった元素は「金、銀、水銀、銅、鉛、スズ、鉄、炭素、硫黄」らしいです。
当時の錬金術師は元素の概念がないので、何か新しい金属見つけたぞって感じだったんでしょうね。

そんな中、ボイルは1661年に懐疑的化学者という本を出版します。
その中でこのようにコメントしています。

「これまで、化学は、錬金術や医術のための道具であって、自然科学(物理学)の探求が目的ではなかった。そのため、非常に多くの見落としがあった。自分は化学的手法を哲学的目的に用いたいと思うようになった。」

ざっくりいうと、古代ギリシアから伝わる四元素説では万物は火によって元素に分解されると信じられていました。
それに対してボイルは本の中でこんなことを発信したんです。

「それって本当っすか?誰も確かめたことないんでしょ?本当かどうか実験をして確かめましょうよ。元素って何なんすか?ちなみに僕は粒子やと思いますよ。」

ボイルの粒子仮説は18世紀以降に原子や分子が発見されて正しかったんだってなります。

ボイルが四原質説を疑い、実験科学を流行らせたということが近代化学につながっていきます。
そのため、ボイルは「最初の化学者」とか「最後の錬金術師」と呼ばれています。

さて、本日は錬金術を近代化学へ進化させるきっかけを作ったロバート・ボイルを紹介しました。
まあ、ただの天才です。
ですが、この天才が錬金術を化学に変えることができたのも、人類が火を発見してから様々な研究を続けてきたからです。
コツコツと続けてきたことが、ある瞬間に一気に花開くことって、学問以外にもありそうな話ですよね!
そういうの僕凄く好きなんですw
さて、次回はいよいよ錬金術に終止符を打ったもう一人の天才、ラボアジエについてまとめていきたいと思います。
僕は細かい現象の理解も大事ですが、その現象がどう世の中の役に立って、どういう歴史を経て発見されたのかということが重要だと思っています。
この記事で興味を持っていただけた方は是非、ご自分で詳細に調べていただければと思います。
質問やご指摘なども是非お願いいたします。ではでは(^^)/

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