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決して後ろ向きなわけではない話

お父さんの仕事の関係で転校したり、大失恋をしたり、誰かの連帯保証人になってしまったばっかりに大借金を抱えてしまったり、父親が失踪したり、自転車盗まれたり、人生には様々な不幸なことが起きる。心が疲れるような経験は、ある程度の大人であれば大なり小なりほとんど全ての人が経験しているのだろうと思う。

東京の街。このところのコロナウィルスの影響で、シャッターが目立つようになってきた。そもそも東京から少し離れれば、シャッターが軒を連ねる街並みなんて、もうずいぶんと前から珍しくなくなってしまった。

シャッターが閉じたままのお店の前を歩くと、少し悲しくなる。いつでもどこでも、少し気持ちが重くなる。
少なくともシャッターが閉じたままになっているという事は、きっとこの店の誰かの心は、今疲れているだろうと思う。そう思うと、何とも言えない心持ちになって、悲しく、気持ちが重くなる。

シャッターが閉じているという事は、あったものが無くなったという事じゃなくて、無かったはずのものが今はあるという事なんだろうと思う。むやみやたらとセンチメンタルに受け止めているわけではないのだけれど、見えない振りはできないよなと思う。

「自分に何ができるか」という部分において、自分は非常に非力だ。運動家でもなければ、政治家になろうとは露ほども思わない。
だけど、同じ時代で生きて苦しむ1人として、悲しくなり、気持ちが重くなる。

コロナウィルスの脅威が通り過ぎ時、誰かをかくまってやれるくらいもっと柱の太い自分になれているように、今日も頑張る。

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