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ゴミを使うという発想

先人たちの取り組み


かつて日本の企業か団体かがブルキナファソのゴミ問題に乗り出したことがあるという。街を綺麗にする歌を作り、実際に地元の人と協力してゴミを回収した。しかし、時間が経つと街は徐々に元の状態に戻っていったそうだ。歌は今でも残っていて、耳に残りやすいメロディーは子供たちの間で流行っているが、少なくとも私の知る多くの街では写真の通りの状態である。ゴミの落ちていない状態を見ても、「このままで維持したい」と思わないということだろう。この辺りに問題の難しさを感じる。日本でも同じような問題を抱える場所はあるだろうが、一度綺麗にした場所を見せれば維持したいという気持ちは誰もが持つだろう(実際に維持するために行動できるかは分からないが…)。

この国に来た当初、私はこの国はゴミが多いなと言う感想を持ちながらもそれ以上には何も考えられずにいた。そんな時、村の小さなイベントに行った。フランス人のケケという若い女性が開催している、ゴミ問題に関するプロジェクトの一環だった。彼女はグリオと呼ばれる地元の織物を家業にしている人々と協力してゴミを使った絨毯や小さい布を作っていて、イベントではその作品の展示と売買をしていた。さらに地元の人を通じて子供たちにゴミについて話していた。具体的な内容はよく分からなかったが、ゴミが君たちを苦しめている、ゴミをそこら辺に捨てるのはダメな事だという内容だったらしい。イベントでは会場の中にゴミ箱が設置されていて会場内は綺麗に保たれていたが、一足外に出ると相変わらずのゴミ散乱状態だった。
それでも私は彼女の活動に感銘を受けた。若い白人女性がほぼ黒人のコミュニティに行き、ゴミ問題という一見途方もない問題に立ち向かい、プロジェクトとして立ち上げている。彼女はリサイクルでありビジネスをやっている。何か本質を捉えている気がした。


フランス人女性が主催するBogoke Projet

絶望的な状況の中で私が見た希望


人は何か理由があって初めて行動すると思う。特に面倒な取り組みに関しては。
ここに住む多くの経済的に貧しい人々がボランティアや地域愛などというもので、ゴミ拾いをしたり、ゴミ回収をしたりするのは到底望めないことだと思う。冒頭で述べた日本の会社の取り組みが継続的に続いたり、他地域に広がったりしないのはなぜか。ゴミ拾いをやると決まったらやるだろうけど、本当にやる意味を感じなければその日限りで終わることになる。そしてポイ捨ては非常に楽で罪悪感のようなものがないなら、辞める理由もない。負のサイクルである。
「ゴミを減らそう」とか「ポイ捨てはダメだ」、「リサイクルは良いことだ」という私たちが常識化していることが、この国では通用しない。では何が彼らを動かすだろうか。1つは罰であろう。初回で書いた通り、隣国では法律の下でポイ捨てを禁止し、街を綺麗にできた例がある。しかし、私がここに滞在する9ヶ月でテロリストとの戦いに悩み続けるブルキナファソ政府にゴミ問題を働きかけて、法律を制定してもらい、ただでさえ足りていない警察をこの問題に差し向けてもらうことは、はっきり言って不可能である。
人々を動かすもう1つのものは利益であろう。特に経済的な貧困層が多いこの国では、小さい利益でも人々を動かすことはできるかもしれない。ケケが、どのような考えからプロジェクトに至ったかはさておき、リサイクルビジネスという案に私は少しだけ光を見た。

私はここに来た時、溢れかえるゴミを目の前に気が引けて、ほぼ何も考えられなかった。しかし、ケケの活動を見て少しだけやる気が戻ってきた気がした。もう少し具体的にいえば、9ヶ月間もの間この国に滞在する自分が、この問題の大きさを毎日毎日、目の前に見ながら何もしないでいるということが、自分自身にとって我慢ならないことだと感じることができた。かと言って、日常的にゴミ拾いをしても「物好きな黄色人がゴミを拾ってるらしい」という話になるだけで、私がこの国を去る来年の1月以降には何も残らないだろう。多少理由を分かってもらえて、更には一緒に拾ってくれる人は増えるかもしれないが、そんなことで何か変わるなら、私がここに来る前までにこの国を訪れた人々の働きが少しは残っていると思う。ただ実際には絶望的な状況である。だからこそ、私はケケの取り組みに希望を見た。

草鞋作りは1つの答えか

私は彼女のプロジェクト「Bogoke Projet」に非常に感銘を受けたが、同時に彼女のプロジェクトにいくつか難しそうな所が見えた。絨毯や布といったものを作っているためか、回収したゴミを念入りに洗い、その結果として作品はかなり高値になっていた。私の知る限りは、その値段を払える地元民はほぼいなかったのである。それから、グリオの高い技術が複雑な模様やゴミと布を融合させた作品を可能にしていた。つまり、ゴミはみんなが出すけれどそれを使える人は一部で、それを買える人はもっと一部だと感じた。それが全て事実かはいずれケケ本人に聞くとして、私は考え始めた。誰でもが作れて誰もが買える値段で、そして欲しいと思うものは何か。もっと具体的に言えば、作り方が簡単で、洗浄などせず多少衛生的でなくても良くて、みんながよく使うものは何か。

今から15年ほど前、私の両親は何かの機会を得て、私を含めた兄弟達をあるお爺さんの所へ連れていった。お爺さんは草鞋(わらじ)の作り方を教えてくれた。私は全く興味を持てなかったが兄は熱心に学んでいた。それから15年が経って、私はブルキナファソに行くとなった時に理由もなく実家の下駄箱に眠っている草鞋のことを思い出して、それを持って兄を訪ねた。兄は作り方をしっかり覚えていて教えてくれた。その知識を持って私はこの国に来て、自分用の草鞋をこの地で履き始めた頃、ケケのゴミプロジェクト「Bogoke Projet」に出会ったのだった。


1作目。まだまだ改善が必要だったころ

私のアイデアはプラスチックゴミで草鞋を作ることである。プラスチック袋を細長く切り、それを編んで強い紐にする。この紐を縦糸にして、横糸は細長く切ったプラスチック袋を使う。構想に1日、ゴミ回収は10分で事足りた。そして4時間かけ、小さな草鞋を一足作り上げた。

これを地元で知り合った6歳の子供に履いてもらった。彼は時に草鞋でサッカーをして、お使いに行き、家でも履いてくれていた。彼がそれまで持っていた中国製の安いサンダルと同じような使い方である。耐久性は充分らしく、彼曰く何も問題はないという(傍から見てると脱げやすいように見えるが…)。これがブルキナファソ人の足に合うのであれば、彼らが使っている安価なサンダルよりも安く売れるだろう。

全てのゴミを使えなければ意味はない

しかし、まだまだである。草鞋を作るための材料になるゴミを拾いに行くと、あることに気がつく。草鞋に使えるプラスチック袋は落ちているゴミの2割程度なのである。つまり、大抵のゴミを素通りすることになる。この国では袋に入った水を売る習慣があり、これが落ちているゴミの5割程である。そして、人が水を飲む度に増えていき、当然これを防ぐことはできない。しかし、この袋は割と小さいことに加え、硬いため加工しにくく草鞋作りに用いるのは難しい。残りの3割はペットボトルや布、紙といったものだ。100歩譲って、紙と布は今まで通り路上で燃やされても良いとしても、ペットボトルと水の袋はどうにかしなければいけないと思った。加えて破れたビニール袋も使う方法が必要だった。私は再び考えた。


水はこのように売られる。この袋がポイ捨てされるゴミの多くを占める


基本的な条件は同じ。作り方が簡単で、洗浄などせず多少衛生的でなくても良くて、みんながよく使うものは何か。

私は生活をしながら人々を観察し、探した。誰もがスマホで答えを探す時代に、自分でああでもないこうでもないと考えるのは楽しく、ワクワクするものだった。そして、1つの答えを得るのに、そう長い時間は必要なかった。

今日はこの辺にしよう。私が経験した、定まった答えがない中で様々思いを巡らせるワクワク感を少しだけ皆さんにも味わって頂きたいと思う。敢えてもう一度言う。誰もが画面に頼って直ぐに調べるこの時代だからこそ、スマホを手にしていなかった幼い頃に、合ってるか合ってないかとか、ああでもないこうでもないと考えていた頃の感覚を少しだけ呼び覚まして、考えてみて欲しい。
当ててくれても結構です笑
では、また次回会いましょう!

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