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ゴミ拾いが趣味になる日

ゴミ拾いが趣味になる時

ゴミを拾うことの目的は、地域美化だったり環境問題改善であったり色々あるだろうが、ゴミを拾った先で、何かを作るという目的があるとゴミを拾う時の気持ちはガラリと変わる。
例えば、私の場合は主にビニール袋を拾っている。ビニール袋は紐に生まれ変わり、ベルトや草鞋(わらじ)になり、ボールにもなる。ブルキナファソの袋は大抵が真っ黒で、デザインなどはない。日本だと白が主流だが、この国では白い袋はあまり見かけない。黒い袋ばかりを拾うことになるが、時々青くて大きな袋や黄色くて大きな袋、さらに黄緑色やピンク、褐色の鮮やかな袋を拾える日もある。そういう袋を見つけると、何となく早歩きになり、風で飛ばされる前に拾おうと頑張る。前にも書いたが、まぁ明らかに変な奴だと思う。ゴミを追いかけて拾っているのだから。
ペットボトルを集める日もあるし、水用の小さなプラスチック袋を集める日もある。目的があって拾うと、それ以外のゴミに対するアプローチは多少疎かになるが、それでも実に多くのゴミを拾っていると思う。そして、どんなゴミが落ちているか、こういう日はゴミが多いなど気が付くことが増える。当然ながら、暑い日曜日は明らかに水の袋が多く捨てられている。しかし、当然ながら、普段拾わないゴミを使う手立てはないだろうか、拾ってゴミ箱に入れるだけのルーティンは止めたいと思い始める。潰れたペットボトルはどう使えるだろう、小さく破れているビニールや瓶を使う手立てはないかと考え始める。
ゴミ拾いを趣味と言うのはなかなか難しいが、そこを楽しむという側面があれば趣味と言えるかもしれない。

こんなものが欲しいとか、これを作りたいという思いがあると、そういうゴミはないかとか、どうにかしてゴミから作れないかとか思い始める。サッカーボールを作りたかったら、球体を成立させるものが必要だ。畑をヤギなどの動物から守る策のようなものは、どうやったら作れるだろうか。
こんなことを考え始めると、もはや本末転倒なのではないかと思う気も分かるが、ゴミを拾うという所だけブレなければ問題はない。日本でゴミを拾うとなると、ゴミの量も少ないかもしれないが、それでも何かは作れる。100均に行って色々と買いたくなるかもしれないが、それは最終手段にしてまずはゴミから作ることをオススメしよう。日曜日の昼か夕方に特にやることがなければ、平日のうちにゴミと構成を集めて、週末を楽しむことをオススメしよう。

ゴミアートという可能性

現在、SDGsに取り組む人々の中で、ゴミ問題に対するアプローチの1つはゴミアートであろう。もはや、どうしようもなくなったゴミを生き返らせることができる手段として芸術家たちは活動している。大きな家電ゴミや漂流物など、一見どうしようもないものをアートにするというアイデアは本当に発明だと思う。多くの人がそれに目を向け始め、その先にあるゴミ問題にも少しだけ目を向けているのであれば、芸術家の作った作品のゴミは本当の意味で生き返っているだろう。
ただ、意地悪なことを言うと、そのような芸術に目を向ける人は決して多くない。もともとゴミ問題や環境問題に目を向けている人、芸術という少し敷居の高い所に行く勇気と興味がある人が辿り着くのだろう。個展や展覧会が有料になれば尚更そうであろう。はっきり言えば、流行りのあいみょんさんや米津玄師さんのように本当に多くの人間が知るところまではなかなかいけない。はっきり言って、アートそのものの魅力など分かる人の方が少なく、それがどれほど有意義であっても、それがどれほど素敵なものであっても、流行には勝てない。社会問題を歌いたくて始めたバンドが恋愛ソングを歌い始めるわけだ。
ゴミアートに意味が無いとは全く思わない。むしろ非常に意味はあるし、アイデアも取り組み内容も、前述した通り発明品であり未来を担っていると言える。ゴミアートのもう一つの良いところは、誰でもが取り組めるところにある。日本でゴミ拾いをしている人々、それが高齢者であっても大人であっても子供たちであっても、アートは自由であるからこそ誰だって取り組めるし、自分だけのものも作ることができる。しかし、ゴミアートを外に持ち出して、人に広めていくことは難しい気がする。自分で作った作品を友達に見せたり、その友達が自分も作ったりする世界を作るのは少し難易度が高いのかもしれない。本当はゴミで作った作品を、もっと一般の人がSNSに投稿したり、何か競ったりしても良い気がするが、残念ながらまだまだそこには至ってないようだ。

この猫、ビニール袋などからできている。ブルキナファソで出会った友人が作っていた。非常に高い完成度だ


ドイツで出会った友人が作った置物。レモンの皮や木の枝を駆使して作っている。非常に興味深いだろう

ゴミアートを超えていこう

話が遠回りしているが、ゴミアートを超えるゴミ問題へのアプローチ方法が求められていると思う。そうした取り組みは既に始まっている。海洋マイクロプラスチックゴミを集めてアクセサリーを作っている団体、麻袋から食器洗い用クロスを作っている事業所など立ち上がっている。海洋プラスチックゴミ由来のアクセサリーを付けて外出して、友達と会うのはゴミ問題の観点から見て、非常に良い機会になるだろう。引越しの挨拶に持っていくものは使いやすい必需品である食器洗い用クロスが良いだろう。

ゴミアートを越えるとは、アート以上に日常で存在感を持ち、アート以上に必需品であるという意味である。ゴミアートを持ってしても環境問題やゴミ問題に目を向けない人々が山のようにいるこの世界で、もっと何か彼らを惹くものはないだろうか。この問題に目を向ける人を増やすことが、法律を作るよりもこの問題を根本的に改善するのに適した方法である。

マイクロプラスチックゴミ問題に取り組むカエルデザインさん


麻袋を活用する取り組みをしているhughugさん

マイクロプラスチックゴミ問題に取り組むsobolonさん

そんなことは分かっているのになぁと思うかもしれない。その通りだ。分かっていても同じ失敗をするのは、地球上で人類だけだと誰かが言っていた。分かっていてもできない。それが悔しいことだと思うだろう。分かっていてもできないのは、本当にその意味を理解していないからだ。そんなことが世の中には有り余っている。
しかし、ゴミ拾いをしている1歩目も2歩目も踏み出している皆さんに一緒になって始めて欲しい。ゴミで何かを作ることの喜びも楽しさも共有できる気がするから、一緒になって始めたい。ゴミで作った、アートかそれ以外の何かでも良いが、TwitterやInstagramで共有して欲しい。分別して捨てることを考えると、凝ったものは作れないかもしれないけれど、2次元でも3次元でもアートは自由なはずだから。この輪が広がりますように。#素人ゴミアート でご投稿ください😊

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