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CopilotとChatGPTにnote記事書かせてみた

生成AI遊びにハマっています。
ブログ記事だって書けるんじゃない? と思っていろいろプロンプトを工夫しているのですが、どうにも思うように書いてくれませんでした。
出てくる文章が欲しい雰囲気ではなくて、結局ほぼ全文を書きなおすことばかり。
う~ん。
もうちょっと、素人感と言うか、自分語り感が欲しいんだよね。情報記事じゃないんだから。
もっといい方法はないものか?

いろいろ試していたら、どうやら「ブログ記事を書いてください」だとあまり好みの雰囲気にならないことに気づきました。(これが欲しいテイストの人もいると思うので、あくまでも、私の欲しい雰囲気ではないって話です)
かわりに「エッセイを書いて」だったら、だいぶましになったので、紹介します。

このテーマは、いずれ、自分の手打ちでnote記事にしたいと思っています。その際は具体的な経験を入れて、きちんと書きます。
今回は「生成AIはどんなこと書いてくるのかな~?」と遊んだ内容なので、必ずしも今後執筆する私のリアルなnote記事と一致しないことを、あらかじめご承知おきください。


Copilotが書いた記事「スピリチュアルの迷宮からの脱出」

人生とは、迷いながら歩む旅のようなものです。私もその旅の途中で、スピリチュアルという迷宮に足を踏み入れました。当時、私は人生の意味を見失い、自分の居場所を探していました。スピリチュアルは、その答えを提供してくれるかのように見えました。

しかし、15年の時を経て、私はスピリチュアルが私の人生にとって役立たないことに気づきました。それは一時的な安心感を与えるかもしれませんが、根本的な解決にはなりませんでした。スピリチュアルに深くはまっている人々を見ると、彼らは不幸そうに見えました。彼らは次々と新しいスピリチュアルなコンテンツに飛びつき、その繰り返しに怯えているように見えました。

私は、スピリチュアルに依存することの危険性を感じ始めました。それは、自分自身の内面と向き合うことを避け、外部の力に頼ることでした。そして、その依存が私をさらに迷わせる原因になっていることに気づきました。

スピリチュアルから抜け出すのに15年もかかりましたが、その経験は私にとって貴重な学びでした。今も私は人生に迷っていますが、スピリチュアルに頼るのではなく、自分自身の力で答えを見つけることに集中しています。私たちは皆、自分だけの答えを見つけるために、この迷宮を歩いているのです。そして、その答えは、他人ではなく、自分自身の中にあることを私は学びました。

今、私は新しい一歩を踏み出しています。スピリチュアルの迷宮を抜け出し、自分自身の足でしっかりと地に立ち、自分の道を歩んでいます。私たちの旅は続きますが、私はもう迷宮には戻りません。私の人生、私の旅は、私自身の手で描くものだと信じています。

ChatGPTが書いた記事「スピリチュアルをやめました」

スピリチュアルの世界に魅了され、それを追い求めた時間は実に15年に及びました。なぜ、これほど長い間その世界に浸っていたのかを振り返ると、そこには人生の迷いが深く関わっていたことに気づかされます。しかし、今やそのスピリチュアルから離れ、冷静な視点で過去を見つめ直すことができるようになりました。そして、スピリチュアルは私の人生にとって決して役に立つものではなかったという結論に達しました。

人生に迷っていたことが、スピリチュアルへの執着を生んだ主な原因でした。仕事や人間関係、将来への不安が重なり、心の拠り所を求めていた私にとって、スピリチュアルの世界は一種の救いの手のように感じられました。瞑想やヒーリング、占いなど、様々なスピリチュアルな手法やコンテンツに触れることで、心の安定を得ようとしていたのです。しかし、それは一時的なものでしかありませんでした。

スピリチュアルにのめり込む中で、周囲の同じようにスピリチュアルに熱中する人々が、必ずしも幸せそうではないことに気づきました。彼らは常に新しい手法やコンテンツを探し求め、それに多額のお金や時間を費やしていました。それにも関わらず、彼らの顔には満たされない様子が漂っていたのです。私自身も同様に、スピリチュアルにすがることで本当に満たされることはなく、次々と新しいものを探し求める自分に怖さを感じるようになりました。

スピリチュアルの世界に入り込む前、私は人生に迷い、何か確固たるものを探していました。その時、スピリチュアルは一種の答えのように思えました。友人やインターネットを通じて様々な情報を得て、それに基づいて自己啓発を試みましたが、それは決して持続的な解決策ではありませんでした。むしろ、その場しのぎの慰めに過ぎなかったのです。

15年という長い時間が過ぎて初めて、私はスピリチュアルが私にとって真の解決策ではないことを悟りました。その間、多くの時間と労力を費やし、多くの人々と出会い、多くの経験を積みましたが、結局は同じ地点に戻ってきたように感じました。自己啓発や癒しを求めるあまり、次々と新しいスピリチュアルな手法やコンテンツに飛びつく自分に気づき、その繰り返しに嫌気がさしてきたのです。

今でも人生に迷いはあります。しかし、スピリチュアルから離れてみると、現実に目を向け、自分の力で問題を解決することの大切さを実感しています。スピリチュアルは一見、答えを与えてくれるように見えるかもしれませんが、それは一時的な逃避に過ぎません。真の解決策は、自分自身の内面と向き合い、現実を直視することにあるのだと気づかされました。

スピリチュアルに依存していた頃の自分は、常に何かを追い求め、不安定な心を抱えていました。しかし、今はその迷いを受け入れ、現実と向き合うことで、より強く、より自分らしく生きることができるようになったと感じています。スピリチュアルに頼らず、自分自身の力で人生を切り開くことができるのだと確信しています。そして、それが真の幸せと充実感をもたらすのだと信じています。


プロンプト

今回はまったく同じプロンプトを、CopilotとChatGPTに投げました。
 ↓

次の内容を、エッセイにしてください。文字数は800文字以上1000文字以下でお願いします。
内容:
・スピリチュアルをやめました
・はまったのは人生に迷っていたから
・今も迷っているけど、スピリチュアルは役に立たないと気づいた
・スピリチュアルにはまっている人が不幸に見えた
・次々に違うコンテンツにはまっていく怖さを感じた
・スピリチュアルにはまってから抜けるまで15年かかった

検証的なもの(感想)

まず、どちらのAIサービスも、文字数の命令は読み落としているみたいです。
プロンプトでは「800文字以上1000文字以下」と指示したのですが、Copilotは800文字に足りてないですし、ChatGPTは多すぎます。

あと、長くなればなるほどAI独特の言い回しみたいなものを感じます。あまり具体的に説明できないのですが「その辺によくありそうな文章」感が漂ってきます。どうしようもないところかな。

ひとつ例を挙げるとすれば「つなぎ言葉」が多いように思います。
「その」「それ」「そこ」のような指示語、「しかし」「そして」などの接続語が目につきます。
ない内容を、つなぎ言葉でカバーして文字数を稼いでいるのかも。
日本語は、そこまで指示語を使わなくても読めば理解できます。英語のように、that、this、をいちいち言わない言語ですから。もちろん意味がつながらないところには指示語が欲しいですが、省けるところは省いた方が読みやすい。

気を抜くと自分もやっていまいがち。無駄に長い文章になって読みにくくなるのは避けたいものです。人間はここを気をつけよう…

#1ヶ月書くチャレンジ #Day20 #これまでで1番の後悔

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