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これからもありがとう

初めてお仏壇に自分から手を合わせたいと思った。毎日続けたいと思った。
お寺の子どもでありながら、毎日お仏壇に手を合わせること、お参りすることが義務のようになっていた。毎日お参りをしている人の話を聴くと、信仰心が篤いのか~とさえ思うほど。

2022年の始まり、15年間時間を共に過ごしてきたラッキー(わんこ)と一生散歩に行けなくなった。バイト終わりにお母さんからLINEがきてた。信じられへんくて帰りの車で息が苦しくなるくらい涙が出た。帰ったらほんまに動かんくて、触るともっと実感してしまいそうで、ただただ正座で泣き続ける事しかできんかった。その日の夜から次の日の朝、昼、疲れるくらい涙が出続けた。

ラッキーが亡くなった日の夜に犬が好きな、私の大好きな芸人さんにラッキーの事を書いて送った。次の日の朝『巨愛「愛」「居愛」』という言葉を添えて引用リツイートをしてくれた。最初は意味がぱっと分からんかったけど「心にはずっといてくれるよね」というコメントをしてくれている人がいた。もう居ない、会えない、会いたいとずっと思ってたから、心の中に居てくれるって言葉を時間をかけて心で理解した。寂しいけど、逆にどこに行っても傍に居てくれるような気持ちになれた。

「毎朝白湯を飲むときラッキーが居るか見てたから寂しい」「えさをあげんくてもいいのが寂しい」「まだ小屋から出てくるような気がする」とか、ラッキーがいなくなって1週間家族の中でそんな会話があった。まだまだラッキーが居なくなったことを寂しいと思いたいし、ラッキーの話をしたい。何年かしたら、寂しいって気持ちとか、そんな会話もなくなってしまうんかなって思ったら寂しくて。毎日、思い出したいな~って思ってお仏壇にある写真に手を合わせてる、ラッキーに心の中で話しかける。

だから「今までありがとう」というか、「今までも、これからもありがとう」これからもありがとうって変な言葉かもしれんけどまあいいか

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