人に声をかけられやすい、という話。
画像はけっこう前に食べたピザです。
とある有名女優さんに似ている、とよく言われます。
美人、というよりは、ほんわかした笑顔の印象的な女優さんで、「その方に似ている」と言われるということは、たぶんわたしの容姿も、人からはそう見えているのだと思います。
人畜無害そうという意味で。
そのせいかわたしは、やたらと道を聞かれやすい体質です。
そりゃもうやたらと聞かれます。
知らない土地でも聞かれます。
駅では電車の行き先を聞かれます。
なんでイヤホンつけてスマホいじってるわたしに、「この電車は○○駅に行きますか」と聞いてくるのか。
駅員さんを頼ってほしいと思いつつ、バカ丁寧に○○駅への行き方を教えるわたしもたいがいだと思います。
人生に迷った人にも声をかけられます。
とある公園で「こんな素敵な場所があるのもこの世界をお創りになった方のおかげなんですよ」と声をかけられて「造園業者ですね」と答えた話は、確かTwitterで話したことがあったと思います。役所を崇めろ。
また、とある駅で知らないおばあちゃんに「○○ちゃん!? ○○ちゃんだねえ!?」と全然知らない名前とともに腕を掴まれたのには困りました。
ちょっと痴呆症入ってらっしゃって、迷い人だったみたいです。
かようにわたしの容姿は、あれこれとお声がけをいただきやすいものとなっております。
とはいえ悪いことばかりではなく、学生さんや弱った方に声をかけるのには、この外見はたいへん役立ちます。
たとえば、道の端で具合悪そうに座り込んでしまっている女の子に「大丈夫かい」と声をかけても、この人畜無害を体現したようなフォルムは、怖がられたりすることはまずないのです。
いえ、心の中ではいつも、黒いマントを羽織り月明かりのもとで身の丈ほどの大剣をきらめかせ「さーてと、世界救っちゃいますか」とか呟いておるのですがそれはそれとして。
ただ、やはり、負担になることも少なくないです。
ここ一、二年で増えたのが、男性から声をかけられることです。有り体に言っちゃえばナンパです。
誤解をされたくないのですが、わたしは男女平等主義者なので「これだから男は」とは思いません。「これだから人類は」と考えております。ご安心ください。
さて、前にも申し上げていますが、わたしは人見知りというかとかく人が怖いもので、そういう意味でのお声がけをいただくときは「無理です」「嫌です」を繰り返して逃げるのですが、その後しばらくは、そこを通るとき「またその人がいるんじゃないか」「恨みを買っているんじゃないか」とどきどきします。
きっと、そうしてわたしに声をかけていらっしゃる方々は、自分の行動の結果、わたしがその後数日おびえて歩いていることを知らないでしょう。知っていたとしても気にしないでしょう。
どうして知らん奴のせいで、本来ならばする必要のない心配に苛まれなきゃならんのだと思いますが、この件に限らず理不尽というものは世の中にたくさんあるので、致し方ないものなのかもしれんなぁ。
と、あきらめとともに日々を生きる社会人おねえちゃんなみあとなのでございます。
やはり人類は滅びるべきですね。
……といったことを書きたくてこの記事を立てたのですが、思いのほか面白みのないオチになってしまったので、お茶を濁すのもかねてもう少し。
上の話を書いているうちに、一つ思い出したことがあるので、それを書いておこうと思います。
これはなみあとが小学生女児であった頃の話。ちいさいなみあとちゃんの、ある日の下校時の話です。
いまほど「物騒」とかそういう考え方はなかったような気がしますが、さすがにわたしの小学校時代にも、「必ず家が近所の子と帰るように」みたいなお達しは出ていたように思います。
だけど、なんでだったか、その日はたまたま一人で下校していました。
その日、ちいさいなみあとがおうちに向かって歩いていると、路肩に白のセダンが停まっていました。おじいちゃんの車と似てるなぁと思ったことを覚えています。
道の端っこぎりぎりまで寄せて停められていたので歩道が通れず、仕方なく車体に沿って車道を歩いていくと、運転席の窓が開きました。
運転手は女の人でした。
五十代くらいのおばちゃんで「とある施設への道がわからなくなってしまったので教えてほしい」と言われました。
(※施設、店、そんなところだと思ってください。具体的な施設/店の名は伏せます)
運転席のおばちゃんはにこにこしていましたが、助手席に座った男の人はなぜかむすっとしているのが印象的でした。
おばちゃんの言う「とある施設」は、この道を、なみあとの家のあるほうにずーっとずーっとまっすぐ行って、二つ目の信号を左に曲がってまたまっすぐ行ったところにあるということを知っていました。歩くとそこそこ遠いのだけど、小学生の頭でも覚えられるほど簡単な道順です。
なのでそう答えると、おばちゃんは「ありがとう」と言って、車はすーっと走っていきました。
ちいさいなみあとは、そのとき、「大人も迷子になったりするんだなぁ」という知見を得ました。
さて、ちいさいなみあとは、引き続きおうちに向かってとことこ元気に歩きます。
しばらく歩いてだんだんおうちが近くなってきた頃、また歩道を塞ぐ車がありました。
同じ白のセダンでした。
またとまってるー、と思っていると、また運転席が開きました。
にこにこのおばちゃんでした。
顔ににこにこの笑顔を貼りつかせたまま、おばちゃんはこう言いました。
「お嬢ちゃん、車に乗って施設まで道案内してくれない?」
やばいにおいしかしませんね。
子どもでも覚えられる道順を、大人がわからないわけがないのです。それをわざわざ、さっきの子どもを待ち伏せしてあえて声をかけるなんて、もしいまこれと同じにおいの案件を振られたら即お断りするレベルです。
たとえるならば賃金未払いすら彷彿とさせるレベル。最初はすごいいい条件を提示されるも途中で依頼人と連絡がつかなくなるレベやめましょう。
ただ、ちいさいなみあとは小学生ですから、そんなにおいを嗅ぎ分けられる力もなく、また、いまのなみあとのように姑息もといあまりむずかしいことを考えられる頭はなかったのです。
道に迷って困っている人を前に、ちいさいなみあとは考えます。
ちいさいなみあとが知っていたのは、目の前のおばちゃんが困っているということと、『困っている人には優しくしてあげなきゃいけない』ということと、それから、
「今日ピアノあるから無理」
習い事のある日にいつまでも遊んでいると、おかあさんに怒られるということです。
助けてあげたいのは山々ですが、おかあさんに怒られるのは嫌なのでした。
これ以上呼び止められたら困るので、ちいさいなみあとはとっとこ走っておうちまで帰りました。車は追いかけてきませんでした。
以上、幼いなみあとはバカかわいいという話でした。
なんでこれいまのいままで忘れてたんだろうなと思ったんだけど、ピアノあるのに遊んでたこと知られたらおかあさんに怒られると思ったからだ。
それで誰にも言わないまま忘れてました。
ちなみにその施設なんですが、「午前中しか利用できない」ということは利用者と近隣の大人なら絶対に知っている事項です。
お茶も充分濁ったと思うので今回はこのへんで。
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