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苛々している

2週間もの旅によって神経は疲れ果てていた。普段おとなしい先輩はいきなり怒鳴り出してどこかへ消えたし同僚は空を見つめたまま動かない。私はずっと苛々している。

スーツケースを引きずって田舎のホテルに着いた。部屋は埃臭くベッドのスプリングは骨に当たるし空調がついていないので常に蒸し暑い。網戸がついていないので窓を開けると虫が入ってくる。ベッドカバーは毛玉だらけだしトイレにしかゴミ箱がない。しかし今回の部屋にはお風呂がついていた。自宅にはシャワーしかないのでおよそ一年ぶりの風呂である。嬉々として蛇口を捻ったらお湯が出なかった。

朝食を食べに行った。朝食会場は無駄に広く公民館にあるようなテーブルと簡易的な椅子が並べられていた。天井からは中国風のぼんぼりがぶら下がり奥には取ってつけたようなバーカウンターがネオンを光らせている。ビュッフェ形式とは言っても選べるのはおかゆかご飯か蕎麦の実かパンであとは申し訳程度のサラダと色の悪いソーセージだけだった。薄暗い照明が余計と不味そうに見せている。実際お粥は水分が多すぎるし冷たく、パンはパサパサしていて、サラダは腐った匂いがした。ソーセージは海水くらいしょっぱかった。まともなのは紅茶だけだったがコップには汚れがついていた。

同じ階には10歳かそこらの男子たちが沢山いて廊下でサッカーをしていた。夜には酔っ払った別の客が怒鳴っている。幸いお湯が出たので風呂には入れた。お湯がいっぱいに貯まるまで待てなくて腰の高さ程度までお湯を張って湯船に寝そべるようにして無理やり肩を浸からせた。

仕事を終えて荷物を整理していると同僚の女から「306号室にビールを持って今すぐ来い」と電話があった。私は既に疲れていたし明日も仕事なので一度断ったが先輩の誕生日ということで仕方なく向かうことにした。この間の飲み会とは一変して部屋は変な緊張感に包まれていた。お祝いの言葉を言い抱擁をし、片言の日本語でありがとうと言われ、席についた。先輩は40代近く、他の参加者は全員20代前半だった。先輩は痺れを切らしたように「なんで静かにしてるの!?いやわかるよ緊張するのは、でも仕事とプライベートは別だよ、時には楽しくはしゃいで飲むことも大切だ」と言って新卒の男の肩にのしかかった。ぎこちない乾杯の挨拶と共にそれぞれがコップに口をつける。また沈黙が訪れた。先輩は今後の目標について後輩たちに聞いていった。あまりやる気のない同僚たちは何もやりたくないとか別にとか言った。先輩はそんな同僚たちを才能があるってみんな言ってる、とか誉めそやすので私は苛々した。言動の理由は理解できるし別にどうってことはないが、どうしても苛々してもう、帰りたかった。生理中で腹が痛かったため勧められた酒を断っていたら「彼女がこうなるのを俺はよく理解できる」と言って先輩は語り出した。何かと思えば彼自身も外国で働いていた経験があるという話で「だから合図は大変なのはよくわかる、こういう場にいると疲れるし帰ったら泣きたくなる、でも積極的にならなきゃいけない!皆んなも合図を助けてあげよう!」と言った。はは、これじゃまるでいじめられっ子だと思って惨めで泣きたくなった。100%善意だからあまり悪く言いたくないけど、叱責された方がマシだと思った。どんな顔をして聞けばいいのかわからなかったが、彼は私の顔を一度も見なかった。

藍色の空が光り雷鳴が響いた。網戸のない窓から雨の匂いが香ってくる。外には青い教会が見える。アホみたいな音量でEDMを流す車が走る。

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