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学ぶ前提

「自由にやりたいなら学ぶ必要がない。」

おっしゃる通りで、自分の好きなこと・興味のあることを自由にやりたいのであれば、勝手にやったらいい。

そうではなく、自由になりたいのであれば、たとえ好きでなくてもやるべきことがあります。
(やり込んだ先に、得意になったり、手応えを感じたり、成長を実感したりすることで、好きになることは大いにあるでしょう。)

学ぶ前提で、大事にするといいと言ってもらった例え話がこちら。

以前に、ある農場経営者にお会いして話を聞いたら、面白いことをおっしゃっていました。

「農業ビジネスに将来性があると思います。だから当分、ここで学ばせてください!弟子入りさせてください!」という若者が来たそうです。

学校を卒業して、どこぞの大手企業に入ったものの「起業したい。これからは農業ビジネスだ!」と思ったらしく、雑誌の記事で見たその農場に飛び込んできたというのです。

農業ビジネスの将来性と自分の夢を熱く語るので、それならば試しに受け入れてみるかと思い、鍬を手渡して「じゃあ行こうか」と立ち上がったところ、その若者はキョトンとした顔をして、「え、僕も耕すんですか…?」などと言ったそうです。

社長も「え、どういうこと…?」と話が噛み合わない。

その若者の話をもっと詳しく聞いてみると、彼の「学ばせてください、弟子入りさせてください。」というのは、どうやら「農場経営のノウハウやテクニックをできる限りかいつまんで教えてもらえますよね?」ということだったらしいのです。

そして「思っていたのと違うので…」と、畑を一度も見ることもなく、その日のうちに帰っていったとのこと。

最近はどの世界の人と話しても、こういう人がやたら増えているという話をよく聞きます。

「修行させてください!弟子入りさせてください!」と言って、熱意の見せ方だけはとても上手なのですが、いとも簡単に「なんか思っていたのと違うんで…」とあっさり姿を消していくという人が多い。

「修行」はキャンセルできるものだと思っているんですね。

もしくは、妥協が許されるものだと思っている。

成果を出していない自分の判断で動いている時点でおかしいですよね。

修行とは弟子入りした時点で成果が出るまでは、すべて師匠の判断を素直に受け入れることですよね。

「こんなに大変だとは思わなかった」
「思っていたのとは全く違っていた」
というのは修行にとって当たり前のことです。

修行とは大抵思っていた以上に大変なものなのです。

それを乗り越えることが修行です。

「こんなに大変だと思わなかった。だからやめよう」と思うのか。
「こんなに大変だと思わなかった。だから気合を入れ直そう」と思うのか。

その考え方の違いで、人生に違いが出てきます。

「大変だからやめよう」という人は、次の世界に行ってもどうせ「大変だからやめよう」と言います。

そして楽なほう、楽なほうへと流れていき、居心地のいい底流あたりのところで満足してしまうのです。

「やります!」と口では言っておいて、やらない。

そういう人間が、自分も成長しないし、他人にも迷惑をかけるしで、一番始末におえない人種です。

こういう人は、確実に使い物にならないので、誰からも信用を得られません。

新しいことにチャレンジするときには、必ず思った以上の困難が立ちふさがるもの。

ご両親の反対や、友だち、彼氏彼女の反対などもつきものです。

「こんなに困難だとは思わなかった。だから乗り越えよう。」
「こんなに反対されると思わなかった。だから認められるまでやり切ろう。」
と考えることで、人は成長します。

しっかりとチャンスを掴める人になりましょう。

「イメージしていたのと違う」とは確かに思うことはあります。

そんなときに、学ぶと決めた人そして自分自身信じる力が試されますね。

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