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バウハウスが残したもの

 1919年にドイツ中部・ヴァイマル(ワイマール)の地で誕生した芸術学校、バウハウス(Bauhaus)。建築や工業デザイン、グラフィックデザインをはじめ、現在の様々な分野に影響を及ぼし、単に学校の枠にとどまらず一種の象徴にもなっている。バウハウスの開校100年に合わせ、昨年から同校の幅広い教育成果を振り返る巡回展が開催されている。それが「開校100年 きたれ、バウハウス―造形教育の基礎―」展だ。昨年8月の新潟県を皮切りに兵庫県、香川県、静岡県を巡り、現在は最後会場である東京ステーションギャラリーでの展覧会が行われている

ここでバウハウスの歴史を大まかに振り返る。同校はドイツ工作連盟(※1)のメンバーで建築家のヴァルター・グロピウスが、ヴァイマルにあった工芸学校と美術学校を合併し、1919年に設立した。教師陣は、パウル・クレーやワシリー・カンディンスキーら、国内外の著名な芸術家がを務めた。
バウハウスは、初代校長のグロピウスが言う「全ての造形活動の最終目標は建築」を具現化するべく、予備教程を担当したヨハネス・イッテンを中心に構築された教育カリキュラムに基づいて、運営が行われた(後にイッテンはグロピウスとの対立で学校を去る)。同校の授業は今日の芸術系大学などで行わえる造形教育の土台となった。

1925年に共和国だったヴァイマルの政治的混乱から同校は閉じるが、デッサウで再ステートを切り、28年にはスイスの建築家であるハンネス・マイヤーが2代目校長に就いた。国連本部のプロジェクトなどを手掛けていたマイヤーが校長となったことで、バウハウスの国際的評価は高まり、それまでの赤字経営からも脱却した。ところが、彼は共産主義色が強まったことで解雇されてしまう。
1930年、マイヤーの後任としてミース・ファン・デル・ローエが3代目校長に就任した。デル・ローエは、初代校長のグロピウス、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトとともに“世界4大建築家”とされ、「神は細部に宿る」の言葉を残したことでも知られている(諸説あり)。しかし、次第にナチスの弾圧が強まり32年、同校はデッサウからベルリンに再度移転し、翌33年にバウハウスは14年間の歴史を完全に終えた。

 閑話休題。東京ステーションギャラリーでの「きたれ、バウハウス」展初日の7月17日、会場に足を運んだ。新型コロナウイルスの影響でチケットは時間指定の完全予約制が取られているため、手持ちの仕事に目途をつけて足を運ぶことを決めた。おぼろげなイメージでしか認知していなかった、バウハウスの教育の理解を深めたいという気持ちが同期になった。
 東京ステーションギャラリーは3・2階の2フロアを使った展示スペースで、細かな動線が決められていないのがその特徴だ。展示内容は(1)学校としてのバウハウス(2)バウハウスの教育(3)工房教育と成果(4)「総合」の位相(5)バウハウスの日本人学生―の5部構成で、(1)~(3)は3階、(4)と(5)は2階での展示となる。機関紙や教材、生徒の作品など約300点の展示から「バウハウスとは何か」を解き明かす展示となっている。

 展示を通じて感じたのは、バウハウスが学校という教育の場に限定しない存在だということだ。教師と生徒の関係は授業にとどまらず、金属や印刷・広告、舞台などの工房への活動へと発展していった。それは教師のことを「親方」という意味のマイスターで読んでいることからも分かる。個人的に、同校は数々の実験的取り組みを通じて、「人間としての在りよう」を追求していたのではないかと想像する。決して、手に届きづらい「象牙の塔」としての造形教育ではない。だからこそ、バウハウスの精神は今日の工業製品の中でも遺伝子となって生き続けているのではないだろうか。

 少し残念だったのは、本来は手に触れてバウハウスの教育を追体験できる一部の展示が、新型コロナウイルス対策で触れられなかったこと。それが叶えば、理解はさらに深まったかもしれない。思わぬところで、この世界的感染症の影響を感じた。

 感染者数が再び上昇に転じている今、コロナショックはすぐに収束しない様相を見せている。一時的なコロナ対応ではなく、これを機に生活様式がガラリと次のステップに移ることを考えた時、バウハウスで築かれたモノの捉え方が社会全体にどう影響を及ぼしていくのだろうか。


※1 ドイツ工作連盟…ドイツの産業育成を図るため、英国のアーツ&クラフツ運動(※2)の影響を受け、1906年に設立された団体。メンバーは建築家や実業家、デザイナーなど多岐に及ぶ、後の1933年、ナチスによって解散させられた。

※2 アーツ&クラフツ運動…詩人・思想家・デザイナーのウィリアム・モリスが主導した英国のデザイン運動。当時の英国は、産業革命を強力に推進した結果、大量の粗悪品が市場に溢れていた。モリスは中世の手仕事に回帰し、生活・芸術を統一することを主張した。

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