身の回りにいる人の人数は制限される

こんばんは、な飯子です。

 日本酒、美味しいですね。ただ、言い日本酒には良いおつまみも必要です。相乗効果でおいしくしていかないと勿体ないなって思います。是非、いいお刺身と一緒にいただきたい気分です。でも、スーパーにあるかなぁ...


 さて、珍しく早めに本題です。自分は常々思ってるんですけど身の回りにいる人って人数が決まってるような気がするんですよ。たぶん、その制限人は運命的に決まっていて自分はせいぜい10~15人程度なんだなって思います。で、最近になって身の回りにいる人、いわゆる友達とか仲がいい人とか息が合う人ってのが変化してきているなって思います。これって自分が変わってるからだなって思います。なんだろ、ナーバスになってはいるものの支えてくれそうだなって人もまた増えてきている印象です。

 皆さんにとって「親友」「恋人」「家族」『息の合う人』ってどんな人ですか?『』って強調したのは、身の回りにいる人って息の合う人で構成されていくと思うんです。いや、そういう世界で生きて行けてる人は幸せなんだと思います。私は、息の合う人って「波長の合う人」っていう傾向があります。悲しいことに全く同じ波長の人っていないんだと思うんです。だからこそ一期一会。その瞬間にだけとても息の合う人もいれば、ある一定期間ずっとコミュニケーションをとっていく人もいると思います。波長が合ってる期間は自分の近くにいるんだと思います。なんか、理系で悲観的な発想ですね。

 

 そろそろ、神頼みしたいなって思ってきました。新たな出会いとか勉強とか、なんか行き詰まりを感じてます。本当は月曜日に出かけたかったのも大学の用事で延期に...。赤城神社にお参りに行きたいですね。お守りが欲しいなって思いました。皆さんも「自分に縁があるな」っていう神社やお寺もあると思います。「あそこの神社に行ってからすこし運気が上がった気がする」とか。私は、まさに赤城神社が当てはまります。あとは伊勢神宮。旅行に行きたいと思いつつもこのご時世ではままならないなって思います。ただ、漫然とした気持ちで車で長距離を走るのが大好きです。歩きもいいんですけど、風景の変化の速度的に車が最高だなって思います。あるいは、鈍行の電車とか。個人的には、高速道路を走るのが好きです。止まったりしないでずっと流す。疲れたなって思ったらサービスエリアで休憩。お金は使いますが気持ちが晴れるのでどうも止められません。

 煙草吸ったり酒飲んだりも悪くは無いんです。でも、車で遠出するのとは訳が違います。でも、一人で何かすることに年々抵抗がなくなるのは一抹のさみしさを感じます。自分の本音を理解してくれる人と出会えたらなって思います。



 さて、脱線してましたね。でも、こういう価値観って言うのを理解してくれる人がいて欲しいんです。一緒にいるだけでいいって人。小学生の時以来、そんな人に会ってません。あー、中学生のときもいたはいたか。まあ、悪い思い出が多すぎて記憶から抹消しましたが...。

 記憶って抹消出来る派ですか?自分はわりと記憶消すの上手なタイプですね。ただ、消してる記憶って「マジ」が付くほど嫌な記憶だけですね。あとはふわっと覚えているというか、やはり記憶の奥底に残っていると思います。

歴代で好きだった女の子の匂いって忘れないですね。なんか、似てる匂いに出会うと「あっ」って寂しい気持ちに襲われます。あとは、ハイオクが燃えた匂い、高校時代のよい思い出を感じて寂しい気持ちになります。バイクなんかが通り過ぎたあとなんかも懐かしさに襲われます。でも、匂いをかげる環境にいたのってすごいですよね。車にせよ女の子にせよ、その距離感で過ごせたのは素晴らしいなって思いました。



 脱線は繰り返しているものの、大枠ではずれてないって思います。好きだなって思う子と近くに入れたり、車好きの人と悪い遊びをしたりと良い意味で古くさい人生を過ごしているなって思います。携帯があるのに連絡しないで遅刻したり、けっこう淡泊な連絡が好きだなって思います。媚びてないというか、馴れ合わないけど話したり助け合ったりする。そういう人と過ごせて自分は幸せです。ただ、今までと環境が変わってきてるなって思います。さよなら、そしてよろしくですね。


 なんか寂しい気持ちになりました。さて、日本酒を飲んで気持ちを抑えつけて行きたいと思います。そして、例によって書き溜めしていこうと思います。

では! 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?