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過去①:ぎりぎり記憶のある限界~周りが見えずに孤立した小学生

しまあじです。

これの続きとしてかければ、と思いましてですね。


一回人生振り返ってみるぞって、ことで。

どうするかなあ、って悩んだんですよね。28歳から昔へ昔へいくか、それとも生まれた通りからいくか。

で、いったん同時に作ってみるか、ってなってこれともうひとつ、ビジネス取り組み始めと同時に書いてみてます。

で、筆が進んだ方から公開していこうかと。

というわけでゆるゆる書いていくので、暇で仕方ない人お付き合いいただければとっても嬉しいです。

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四国のどっかに生まれたしまあじなのですが、記憶がうっっっっすらあるのは幼稚園の頃です。

なーんか2つだけ覚えてまして。

1つはお遊戯会の練習中。

段ボールで出来た剣を振り回してたとき、ボンドが甘かったんですかね。もつとこ残して、刃の部分が吹っ飛んで。窓ガラス思いっきり割って号泣しました。

なんで泣いたのかはわからないですが、とにかく号泣したそうです。

もう1つは遠足、というかお泊りのときの朝ごはん。

ミックスベジタブル(たぶん冷凍)がおいしくなさ過ぎて食べれず、それが原因で怒られたことですね。ええ、今でもミックスベジタブルは嫌いです。


記憶すれすれからなんで、もう小学校なんですが、なんとも断片的なんですよねえ。


だらっと書いてもよいのですが、3行で終わりそうなので3行にしてみます。

・小学校3年生から野球やり始めた

・成績は良くないと怒られた

・嘘をつくのがうまくなり始めた


コンパクトになりました。


成績は良かったです、だいたい学年で1番か2番でした。小さい頃って勉強できると楽しいですよね。分かると楽しいっていうか達成感というか。

でも手を挙げて発表するタイプではなかったです。なかった、というかなくなった、というのがしっくりきます。

一度、手を挙げて答えを間違ったんですよね。2年生のとき。

すごいそれが恥ずかしくて。それを思いっきり笑われて。担任の先生にも笑われて。

それから手を挙げなくなりました。

自信がなくなったともいえるし、間違いたくない、っていう気持ちもありましたけど、何より笑われるのがすごい嫌だったんですよね。

勉強がすごい嫌になって。

成績も落ち始めたんですけど、それを母親が許さなくて。

めちゃめちゃ怒られたのを覚えてます。

この辺から成績を落とすことの恐怖がありました。

でも、3年生になったとき、とっても担任の先生が優しかったのを覚えてます。

「しまあじくん、すごい勉強できるよね!どんどんやってみたらいいんじゃない?」

それが嬉しかったです。見てもらえてるんだ、という安心感というか。

漢字ドリルとか計算ドリルとか、あと考える算数とか(今もあるんですかね)

どんどん先にやってました。時間が余ると次を解き始めて、それが楽しくて。予習やれば成績はだいたい良くなるので、それも安心してたんですよね。

”ああ、今回も怒られないな”

100点は褒められることではなく当然で、98点で機嫌が悪くなって、95点下回ると怒られる。そんな感じでした。

それを6年生まで続けたときにふと気づいたんですよね。



周りと溝があるな、って



なんか距離がある。

それだけで当時は十分でした。


毎日野球の練習だったので、放課後に友達と遊ぶことはなかったです。


土日は野球の試合だったので、友達と遊ぶことはなかったです。


休み時間は予習してたので、友達と遊ぶことはなかったです。


思い出してみると自分が原因なんですけど、そこに気づくこともできなかったです。

今回頑張ってみたんですけどね。

友達と会話した記憶が全然出てこないんです。

友達と話、してない。

どうしたらいいのかもわからず、だれかに話すこともできなかったです。

おかしいことだと思ってたから。

恥ずかしいことだと思ってから。

自分だけがこんなことになってると思ってたから。

親になんか絶対言えませんでした、友達がいないかもしれないなんて。

母親とは成績の会話だけ。

父親と会話した記憶はあんまりないです。

そこに気づいた自分と、教育熱心な母親の方向性が一致した結果。

地元のみんながいく中学校ではなく、私立の中高一貫校を受験しました。


ここでも失敗を重ねるのですが、それはまた次回。



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