中立と公平

早速更新をサボってしまった…一本書くのに2,3時間かかるのもあって、なかなか気が向かなかったです、反省。

今回はだいぶ趣向は変わりますが、中立と公平の違いについて思うままに書いていこうと思います。

まず、中立ってどういう意味でしょうか?コトバンクは「紛争対立に対して、第三者がその局外にたち、公平の立場を維持すること」と書いています。更に、英語では中立のことをneutralityと言います。一時期流行ったカードゲーム、「シャドウバース」ではどの陣営のデッキにも入れることのできるカードを「ニュートラルカード」と言いますよね。英語の辞書のCambridge dictionaryは、"not saying anything that would encourage or help any of the groups involved in an argument or a war" と定義されています。訳すと、「論争や戦争に巻き込まれているいかなる集団を助けるような発言をしない」ということになります。

続いて公平ですが、日本語の辞書では「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと」と定義されています。また、英語では"impartially"といい、" in a way that does not show support for any of sides involved in  an argument"と定義されています。和訳すると、「論争に巻き込まれているどの陣営にも助ける姿勢を見せない態度」といったところでしょうか。

以上見てきたように、中立と公平はだいぶ違います。中立はどちらの味方もないですが、公平は正当な理由に基づき、必要であれば正しい側の味方をします。

非常に長い前置きになりましたが、ここからが本題です。
ぶっちゃけ最近、公平であるべき場面なのに無意識に中立になってしまいがちな人が多いんじゃないかと感じています。例えば、ウクライナ問題において一部ではロシアにも正義があるという「どっちもどっち論」が展開されています。そもそもこれは侵略戦争なのになぜ中立的な話になるのでしょう。道徳的正義と法的正義を分けて考える必要があると思います。

話を国から個人のレベルに落として考えてもそうです。確かに人間関係の場合、「どっちもどっち」の場合は往々にしてありますが、かといって最初からそれありきで話を進めていいのでしょうか。"neutrality"は「無関心」を意味する"indifference"と言い換えられることからもわかる通り、中立的な人はどこか冷たい感じがしませんか。少なくとも自分にとって、その問題に中立的な人には絶対的な信頼はおくことはなかなか難しいです。

きっと何事においても頼られる人は”公平性”と”温かさ”を両方兼ね備えている人なんじゃないかなぁ、と書いてて思いました。俺もいつか頼られる大人になりたいです。

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