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【関口威人の災害取材ノート】西日本豪雨で僕が「アレルギー」の問題を追い掛けたわけ

(※ 本記事は2023年7月8日のニュースレター配信記事のnote版です)


 災害は忘れた頃に…は本当に昔の話。

 災害の節目は、切れ目のないようにやってきます。

 特に7月は、毎年のように水害が発生する季節。中でも5年前の西日本豪雨は、広域のすさまじい集中豪雨で200人以上が亡くなった衝撃的な水害でした。

 災害の教訓をまとめるシリーズとして、当時の僕の動きを振り返ってみたいと思います。

広島県三原市で2mの水に浸かったという保育所。幸い園児は全員無事でしたが、七夕飾りが泥にまみれている悲しい光景がありました(2018年7月15日、筆者撮影)

西日本にかかる巨大な雨雲に恐怖

 西日本豪雨(正式には平成30年7月豪雨)は、梅雨前線の停滞で西日本各地にもたらされた記録的大雨による災害です。

 2018年7月6日から8日にかけ、長崎から広島、岡山、そして岐阜など11府県に大雨特別警報が発表。河川の氾濫や浸水害、土砂災害などが同時多発する東日本大震災以来の広域的な災害となりました。

 僕も当時、ニュースや気象レーダーを見ながら、西日本にかかり続ける巨大な雨雲の塊に恐怖を感じたことが思い出されます。

 やがて、深刻な被害は岡山県倉敷市や広島県西部の呉市・坂町などから報じられてきました。


 僕は倉敷市にはある書籍の仕事で1回だけ行ったことがありました。広島には中日記者時代から何度か行く機会があり、特に2014年の土砂災害時には呉市のホテルに泊まりながら広島市内を取材していたので、それなりに土地勘はありました。

 一方、前回に書きましたが2016年の熊本地震での経験から、現地に入るにしても何かしらのツテをたどりたいと思っていました。

 また、ちょうど「なメ研」を法人化したタイミング(2018年6月)でもあったので、取材の成果を名古屋でも生かしてもらえるような、地域的なつながりはないだろうかと探っていました。

友人経由で「三原からのSOS」を知る

 すると、大学時代の友人から「広島の三原が大変だ」という情報が寄せられました。

 広島県三原市で食物アレルギーを持つ親子たちが、アレルギー対応の非常食を届けられずに困っているというのです。

 友人は近畿在住でしたが、アレルギーの子を持つ親のネットワークに入っており、三原のグループから「SOSが流れている」とのこと。しかも、届けようとしている非常食には名古屋からの支援物資が含まれているといいます。

 僕は防災や環境のつながりで、名古屋の認定NPO法人「アレルギー支援ネットワーク(支援ネット)」という団体を何度も取材していたので、ピンと来ました。

広島県三原市に届けられたアレルギー対応の支援物資。ミルクや離乳食、肌着などもあった(2018年7月14日、筆者撮影)


 アレルギーは今でこそ学校給食でも対応されるようになりましたが、一昔前はなかなか一般に理解されず、特に災害備蓄や避難所での食事に個別のアレルギー対応がされることはほとんどありませんでした。

 そんな中で名古屋の支援ネットは数十年の地道な活動によって普及啓発を進め、東日本大震災時も東北のアレルギー患者支援にあたるなど全国的にも重要な存在となっていました。

 支援ネット常務理事の中西里映子さんに聞くと、確かに三原のグループからの要請に応えて支援物資を送ったが、現地の詳しい状況はつかめていないとのこと。

 僕は取材を通じて何かできないかと思い、三原の関係者にもつないでもらった上で、7月14日から現地入りすることにしました。

被害の大きい地域の間で埋もれがちな被災地

三原市は大きな被害が報じられた岡山県倉敷市(右)や広島県の呉市(左)などのちょうど中間あたりに位置する


 三原市は広島県で見れば東部。しかし岡山県を含めて見ると、ちょうど倉敷市と広島市や呉市の中間あたりの位置になります。

 こういう場合、目に見える被害の大きい地域の間に挟まれて報道や支援が少なくなってしまうはず。これまで数多くの被災地で目の当たりにしたことが、今回もその通りになっていました。

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