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石黒好美の「3冊で読む名古屋」⑧ 「誰が」よりも「どのように」の選挙へ

 ライター/社会福祉士の筆者が、名古屋にまつわる本をキーブックに、関連する2冊の本とあわせて読みながら世のありようを問います。

(※ 本記事は2023年12月17日のニュースレター配信記事のnote版です)


【今回の3冊】
『コロナ時代の選挙漫遊記』(畠山理仁、集英社)
『「ない仕事」の作り方』(みうらじゅん、文春文庫)
『職業としての政治』(マックス・ヴェーバー、岩波文庫)

 「市場」の需要があればどんなことでも、また人生のありとあらゆる問題について即座に納得のゆく意見を述べ、しかもその際、断じて浅薄に流れず、とりわけ品位のない自己暴露にも、それに伴う無慈悲な結果にも陥らないということ、これも決して生やさしいことではない。だから、人間的に崩れてしまった下らぬジャーナリストがたくさんいても驚くに当たらない。驚くべきはむしろそれにもかかわらず、この人たちの間に、立派で本当に純粋な人がーー局外者には容易に想像できないほどーーたくさんいるという事実の方である。

マックス・ヴェ-バー『職業としての政治』

 畠山理仁(はたけやま・みちよし)さんは全国各地の選挙の現場に出向き、「立候補者全員に取材をする」驚くべきジャーナリストだ。当落線上でデッドヒートを繰り広げる候補者にも、ともすれば「泡沫候補」と呼ばれ供託金没収の憂き目にあうような候補者にも会いに行く。それどころか、選挙管理委員会の前で待ち伏せし、出馬するかどうか分からないが「立候補に必要な書類を取りに来た人」にまで一人ずつ話を聞いている。

 選挙期間中は車を駆り、朝から晩まで街頭演説を追いかける。史上最多の22名が立候補した東京都知事選挙でも、候補者のホームページなどをくまなくチェックし演説スケジュール表を作って全員と会った。原稿料を取材の経費が上回ることが少なくないどころか、ここまでの取材をしても仕事に結びつかないこともあるという。この局外者には容易に想像できない畠山さんの驚くべきライターぶりは注目を集め、ドキュメンタリー映画『NO 選挙, NO LIFE』となってこの秋から公開されている。

「自分をなくしていく」取材

 どんな仕事であれ、「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」の間で葛藤することが多いと思われます。それは私も同じです。そこで肝心なのは、そのときに「自分ありき」ではなくて、「自分をなくす」ほど、我を忘れて夢中になって取り組んでみることです。新しいことはそこから生まれます。

みうらじゅん『「ない仕事」の作り方』

 映画でも『選挙漫遊記』でも、畠山さんは本当に楽しそうなのだ。自身の超能力を駆使して政治活動を行うという候補者の話も、「集団ストーカーという、まだ知られていない犯罪を世に知らしめたい」という主張も遮ることなく聞き通す。たった一人で街頭に立つ候補者ののぼりが風に飛ばされれば「おもりをつけては…」と思わず手伝ってしまう。

 「ゆるキャラ」「見仏記」などのブームを作ってきたみうらじゅんは、自分が「これは」と感じたものはとにかく徹底的に収集するという。「好きだから買うのではなく、買って圧倒的な量が集まってきたから好きになる」(「ない仕事」の作り方)

 まだ「ゆるキャラ」が注目されていないときから、あらゆる物産展に一眼レフとビデオカメラを持参して乗り込み、主催者である自治体に「着ぐるみは何時頃どこに出ますか?」と電話をかける執念と、候補者の事務所に電話をかけて街頭演説の時間を確かめる畠山さんの姿が重なる。

 正義感や使命感ありき、ではないのだ。畠山さんにも最初から「選挙が大事だ」「投票に行くべきだ」という思いがなかったわけではないだろうが、むしろあらゆる立候補者とその関係者を徹底して網羅する取材から、紋切り型ではない新たな選挙観が生まれているようなのだ。

 みうらじゅんはそれまで陽が当たっていなかったことや、重い、暗いと思われていた物事にキャッチーな名前を付けたり、言い換えたりしてポップにして世に出してきた。畠山さんはその逆だ。泡沫だとかトンデモだとか言われてきた立候補者の政策を聞く、演説を聴く、人となりを知る。その中に本質を突いた政策提案や、「当選する」ことの外にも立候補の意義があることに気づいていく。

2021年4月の名古屋市長選告示日のひとコマ(関口威人撮影)

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