絶望

何故か今、絶望を感じた瞬間を思い出した。
何もやる気がなく、虚無で、生きている感覚が変に感じられた瞬間だ。
朝起きて、今日は仕事が休みだった。
今までやっていた勉強をすると精神がぶっ壊れる予感がした。
俺は何のために生きているのだろう。
この問いに対して、普段の俺ならば、人生を精一杯楽しむために生きる。
どうせ人間みんな死ぬんだから、好きなことをして生きる。
そう答えていた。
だけどその日は違った。
虚無だった。
ふと我に帰った。
このままでは俺はやばい。
本能的に死とは違う絶望感に襲われた。
しかしそれは死と違いないものであった。
今頑張ると俺は死んでしまう。
だから今は頑張るのをやめよう。
しばらく我慢していた、自分のやりたいことだけをしてしばらく生きよう。
人間には安全装置がついていて、どうやらその安全装置が正常に稼働したみたいだ。
そこから徐々に人間としての感情を取り戻し始めた。
本当に危なかった。
俺は今までに精神的に追い詰められた経験が2度ほどある。
その経験よりは今は辛くないと思っていた。
なら頑張れるよねで勉強していた。
しかも勉強は嫌々やっていたわけではなく、それなりに楽しかった。
それでも、追い詰められていたみたいだ。
不思議なもので、勉強をやめた途端に、今まで会ったことのない人と会う機会が増えた。
矢張り、何かが抜けると、何かが入ってくるものなのだな。
今までだったら、勉強する時間が一番優先順位が高かったから、会うことはなかっただろう。
こう、運命というのか、必然というのか、そんな瞬間を感じることができた。
勉強をやめた時期から、おそらく半年くらい経った。
今でも虚無感に襲われることはあるが、前よりは少なくなった。
何だか心からやりたいことがほんの少しだけわかって、嬉しくなった。
やりたいことが具体的に浮かんでくる。
考えることが止まらなくなる。
行動をすると、新たな考えが浮かんでくる。
多幸を感じられる思考のループだ。
人は、夢中になっている時が一番幸せだと思っている。
余計なことを考えず、つまり嫌なことが入ってくる隙間がない瞬間、それは矢張り幸せだ。
絶望から抜け出しつつある。
絶望の根本的原因からも離れることができた。
マイナスがなくなり、プラスが増えた。
今後の人生に楽しいことが起きると考えられるだけには回復した。
俺は元々この思考の持ち主だった。
戻ってきた。
文字を紡ぐこともできるようになった。
また前を向いて歩ける。
頑張らなくていいけど、頑張ってね。

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