【精神#1】「死にたい」と今思っている方へ
易者の高橋南北です。
易者としてこれまで10000名以上の方と関わってまいりました。
鑑定をしていると「死にたい」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
それも一人や二人ではありません。
さまざまな年齢、職業の方が私のところにいらしては「もう死んでしまいたい」とおっしゃるのです。
その気持ち、私にはわかります。
なぜなら私自身がかつて「死にたい」と本気で考えていたから。
息が吸えなくなるほど、命を捨てていた
その日、二六歳の私は飲食店の脇の階段で膝を抱えていました。
ひどく寒い夜、おまけに外は大雨。
会社経営に失敗し夜逃げをした私にとって、文字がまともに打てるかどうかも怪しい古いタイプライターが唯一の持ち物でした。
生まれ育った東大阪の街からこそこそと逃げるように、しかし遠くに行くお金もなく、すぐお隣の八尾市でのホームレス生活のスタートでした。
最後の持ち金の三万円をやけくそでパチスロに突っ込みましたが、そんな状態で勝てるわけがありません。
忘れもしない難波の雑居ビルの三階にあるヤミ金融に借金をしに行ったところ、そこですら怖いお兄さんに「貸せません」と断られる始末。
もう、本当に死んでしまおうか、とぼーっと考えていたら、体は正直なもので息ができなくなりました。
いくら吸おうとしても肺に空気が入ってこない。
そうなると今度は現金なもので、なんとか生きたい、息がしたいという思いでゴミ捨て場に捨ててあった自転車を拾ってなんとか乗れる状態にしてひたすらこぎ続けました。
八尾から大阪城まで走り、深夜に何周も大阪城の周辺をただ走り続けました。
走っている間だけは肺に空気が入ってくる気がしました。
何気なく手に取った100円の本が人生を変えた
そんなどん底のある日、私は暖をとるためにいつものようにブックオフに行きました。
ファーストフード店に入るお金すらありませんでしたが、ブックオフなら無料でいつまでもいられて、マンガも読み放題だったからです。
しかしそのマンガも読み尽くした頃に偶然手に取り、何の気なしに、100円くらいだったでしょうか?
なけなしのお金をはたいて買ったのが安岡正篤の『運命を開く』と、不動産投資の本でした。
正直なことを言えば、私はそれまで安岡正篤も名前を聞いたことがあるかないかくらいでしたから、なぜ衝動的にその本を買おうと思ったのか今でも少し不思議です。
しかし、そこに書かれていた「運命は絶対的なものではなく、人間の知性、理性で運んでいくものだ」という言葉が、全てを失い命すら抛ってしまおうと思っていた私の空っぽな心の奥に、ストンと落ちていったのです。
不動産投資の本もその日に泊まる場所すらない私にとっては無縁なものでしたが、そこに書いてあった
という言葉で、
という希望を再び持つことができました。
それからです。私の人生が変わったのは。
いや、私自身の心の持ちよう、精神が変わり、それに引っ張られて人生が変わり始めたのは。
怒りや孤独、不安という感情に苛まれながら自分を責め続けるのを止め、過去を悔いるのではなく、過去の失敗を認めて、なぜ失敗したのかを考えるという作業をすることによって、感情の檻から出ることができたのです。
私を閉じ込め、毎日責め苛んでいた檻の鍵を持っていたのは私自身でした。
私は商売とは舌先三寸で人を丸め込んでお金を得ることだと、親からも最初に入った会社でも教え込まれていましたが、それは間違いでした。
儒学の祖の一人である荀子は『先義後利』という考えを説いています。
社会やお客様、相手に対して人としての義を守る者には後から利益がついてくる。
まずは「御用聞き」のつもりで相手に尽くそうと決意すると、再就職先を得て住居も見つかり、ホームレス生活から脱却することができたのです。
悪い時期を経験してこそ人生の道筋がわかる
なぜ私がこんな話をしたかというと、私自身が「死にたい」「死のう」というどん底を経験し、そこから年商二百億円の会社を創業するまで、全てを自分で経験したからです。
もちろん助けてくれる人たちにも恵まれ、多くの幸運に後押しされた結果ですが、その幸運を呼び込んだのが何を隠そう私自身の心の持ちようであったことは間違いありません。
幸運はただ待っていれば誰かが運んできてくれるものではないのです。
自分で自分の精神をコントロールし、自分の運勢をいい方向に主体的に導くことこそが真の開運にほかなりません。
古代より多くの先人たちが「開運」について学問として研究してきましたが、突き詰めるとそれは非常にプラクティカルなテクニックなのです。
それを体験した私なら多くの方々を助けられる、いや、助けにならなければならないと強く感じ、私は多くの人に広める活動をしようと決意しました。
開運は運命の気まぐれや偶然による奇跡ではなく、誰でもが再現可能なテクニックなのですから。
物質主義から精神の時代
今、精神の時代だといわれています。
いじめ、鬱、自殺、差別。
現代においてクローズアップされているこれらの問題は全て精神が生み出したものです。
昔、まだ人間社会が今ほど豊かではなかった時代の人々は、今日の食糧をどうするか、どうやって外敵から身を守るか、寒さをどうしのぐかに必死でした。
暖かい家に住み、お腹いっぱい食べられるようになって物質的な欲求が満たされると同時に人類は心の問題に悩まされるようになったのです。
現代日本では餓死や凍死、あるいはプレデターに捕食される命の危険はほぼありません。
それは同時に「死」が身近になくなったということでもあります。
多くの現代人は核家族で育ち、様々な安全装置に守られた社会に暮らしていますから、身近な人の死を昔ほど体験してはいないでしょう。
私が自殺を考えた時もそれはどこか遠いところのもので、本当に実感を伴った自分ごとではなかったような気がします。
だからこそ今ある苦から逃げるために「死」を考えたのでしょう。
実際に近代日本人の自殺率が一番低かったのは、誰もが死の恐怖を抱えながら生きていた戦時中だったといいます。
私が息を吸うためにただひたすら自転車をこいだように、死をすぐ隣に感じたとき人は必死で生きようとするのではないでしょうか。
死によって逃げたい、でも死ぬのも怖いから逃げたい。
その相反する二つの恐怖に挟み撃ちされて立ちすくんでいるのが現代人です。
そもそも死は誰にでも訪れるもので、特別なことではありません。
「死にたい」なんてわざわざ考えなくても、誰でもいつかは死にます。
極論すれば、私たちは毎日眠りにつくことで死を疑似体験し、起床するときに新しく生まれています。死を身近に感じることで、生きることもできるのです。
「生まれ変わって来世でやり直したい」という人もいますが、来世などというものはありません。人生という本には一ページしかないのです。
今、あなたが生きているこの世界、宇宙、感じているものすべてはあなたが心で認識しているから存在しているわけで、あなたが死んでしまえばそこで全てはなくなります。
残るのは「無」だけです。
だからこそ来世なんて不確かなものに期待するより、今日一日、今この一瞬をどう生きていくかが大切です。
幸せへと向かう道は一つではありません。
いくつもの道がありますが、一つ共通しているのは、幸せとは感謝の質量で決まるということです。
毎日、毎分「幸せだなあ」と感じている人は、自分でも意識しないでも「ありがたいなあ、うれしいなあ」と感謝をしています。
では、どうしたら感謝の気持ちを持つことができるのでしょうか? 中村天風は「幸福とは苦を楽に変えられること」と言っています。
明るい灯火でも真っ昼間の太陽の下では見落としてしまうかもしれませんが、闇夜に迷子になっている時に光明を見つけたとしたら、こんなに嬉しいことはないでしょう。
苦しいことを楽しく受け取ることができれば、あなたは心の底から幸せを感じ、それに感謝するはず。
灯火に気づくためには暗い闇夜が必要なのです。
気づくテクニックさえあれば、誰もが幸福になることができます。
幸福とは特別なものではなく、誰もがなれるものです。
なぜか?
そもそも人は幸福になるために生まれてきたからです。
幸福に向かう道を見つけ、歩きだすこと。
これこそが「開運」です。
私は今、毎日が感謝と幸福に包まれています。
生きていることが本当に楽しく、幸せです。
一度は全ての希望を失い、人生の迷子になって「死にたい」と思い詰めた私の体験、そしてそこから這い上がり、今の幸福を掴んだノウハウをお伝えすることが、今闇夜で迷子になっている人の役に立つことを祈念し、その方法を今後noteで解説していきたいと思います。
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