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過去をアイデンティティにする人たち

子ども時代の影響は根深い

幼少期の経験や環境が、性格や思考、その後の人生に与える影響は、本当に根深いなと思う。

一見、恵まれた環境でさえ、本人にとっては、何らかのコンプレックスになったり、人格形成にネガティブな影響があったと自覚していたりする。

ましてや、貧困、虐待、いじめなど、一般的にネガティブとされる経験の影響はもっと深刻で、個人の人生を暗いものに変えてしまうこともあるし、時には犯罪や、負の連鎖をも引き起こす。

もちろん、個人や社会への復讐心や挑戦、ハングリー精神をパワーに、相当な努力をして、社会的にも経済的にも成功している人もいる。

その過程で「過去は過去」と切り離し、他人や社会に、ビジネスや愛で貢献してくれている人も多い。

変わりたくない人、変わるのが怖い人

一方で、根深いコンプレックス、妬み、人間不信を、心の奥底に溜め込んだままの人もいる。
ネガティブな過去を、自分のアイデンティティの一つとして生きている人。そういう人は、見ていると、とても痛々しい。

そして、私には、悪いクセがあった。
プライベートでそういう人に出会うと、「世界は明るいよ」「人は温かいよ」ということを伝えたい、体感させてあげたい、と思ってしまうクセ。

もちろん、自分が変わる気がない人にとっては、外部からの働きかけは、迷惑でしかないし、本人が心の底から望んでいない限り、変わることは難しい。だから、私も、そんな人には近づかない。

ただ、難しいのは、「今の自分がいやだ」と言いながら、本当は変わりたくない人がいるってこと。心を硬くして自分を守ってきた人の心は、なかなか動かないし、「恵まれない過去がある」という自分のアイデンティティを失うのが怖いのかもしれない。
いつも自分と人の過去の重さを比較し、無意識に人の優しさの裏側をのぞいていることにも気づかない。

たとえ、「変わったね‼︎」と思う瞬間があっても、何かのきっかけで、心の奥底の闇が復活。周りの人は、無力を実感するだけで終わってしまうこともある。

だから私は、簡単に変えてあげられると甘い期待をすることを「悪いクセ」と表現した(変わる意志のある人を仕事としてサポートするのは別です)。

ネガティブな過去へのこだわりは、ネガティブな現実を呼ぶ 

不思議なことに、「自分を大事にしてくれなかった社会への復讐」を目的に生きている人には、次から次へと「大事にされない」「疎外される」「人間不信になる」ようなできごとが起きて、本人は「やっぱり人間は…」となってしまう。

外から見ていても、「あーあ、またか」とがっかりする。「なぜ?」と考えてみると、負のサイクルが続くのは、偶然とか、運が悪いだけではない気がする。
いつまでも過去の自分の中で生きているから、に見えてしまう。

愛を感じる存在がありますように

前述したように、本人が望んでいないのに、他人がその人を強引に負のサイクルから引っ張り出すことは難しい。

最近つくづく思うのは、自分で気づく、感じることの大切さ。自分で腑に落ちた瞬間に、人は変わり始める。

その時まで、せめて、誰か一人でも、ただ寄り添ってあげる人の存在がありますようにと願う。

「愛が救う」と言ってしまうと陳腐だけれど、もう、それでしか救えない気がする。
パートナーでも、友達でも、同僚でもいいけれど、温かくて、メンタルが強くて、粘り強くて、共倒れしない人。

まずは、たとえ一人でもいいので、そんな人が必要なのだと思う。
その人を通じて、「人っていいな」と本人が感じられますように。そうなれば、社会も世界も、違って見えるし、現実も変わる気がする。





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