夢や目標の話

ここ数日、あるいは数週間の期間に私の中である目標が決まった。人生というものの中で夢もしっかりした目標も持ったことがなかったので、今回は夢と目標について記録しておこうと思う。

将来の夢

私は割と近年まで夢や目標といった事柄が大変苦手であった。生活の中で
「あなたの夢は何ですか?」
というのは何度も繰り返されるテーマである。幼稚園の頃は
「忍者になりたい」
といったような頓珍漢な回答をしても許されるが、小学生になってくるとそうもいかない。作文というものが開始されるからである。今考え直してみると、これと読書感想文がこの世界に存在したために、私は文章を書くという行為が嫌いになったのかもしれない。

作文の出現

私は小さなころから夢をあまり見ることができない、つまらない人間であった。私がいわゆる"悟り世代"であるからと言うのはいささか責任転嫁が過ぎるだろうか。世間にどのような仕事があるのかあまり知らなかったからかもしれないが
「将来の夢を作文で書いて発表してください」
と言われたときに割と本格的に絶望したことを覚えている。日焼けした少年がサッカー選手、かわいい女の子がお花屋さん、頭のいい少年が学者といったように夢のある夢について発表する中、私だけが公務員になりたいと発表した。当時、私は公務員が何をやっている人なのか全く知らなかった。母や祖母に助けを求めたときに
「公務員で良いんじゃいない?安定してるし。」
と冗談交じりに(本気だったのかもしれないが)言われたことを鵜呑みにした結果の公務員である。私の夢では全くない。教室は見事に微妙な空気に包まれたものである。担任には申し訳ないことをした。本当に無かったのだ。許してほしい。

目標の台頭

さて、中学生程度になってくると夢に加えて目標といったものが現れる。しばしば
「今のままでは達成できないが、努力すれば達成できそうな目標を立てろ」
と言われる。私のような人間にとって、この目標というやつが非常に厄介である。
夢と目標を比較して考えてみてほしい。夢として大きな(それこそ全く達成できそうにない)ことを語ることは全く問題がない。むしろ推奨されるべき場合すらある。「何言ってんだこいつ」と思われることも、しばしばあるだろうが。しかし、目標はそうはいかない。目標として達成できそうにないことを語る行為が、いいイメージに繋がることはほぼない。目標とは、ある意味目的の裏返しのようなもので、達成できそうになければあまり意味がないのである。ほぼどんなことを言ってもいい "夢" すら決められないのに、 "目標" を決められるわけがない。
中学生程度の段階から、勉強、運動、部活などありとあらゆる事柄において、目標を立てなければならなくなる。目標が跳梁跋扈し始める。目標の台頭である。

夢が消失した近年

夢について語る人間をしばらく見ていない。私自身ここしばらく夢を語らなければならない機会がなかったように思われる。どうやら社会人に近づくにつれて夢というのは語らなくてよいものになるらしい。
しかし、夢に比べて目標はどうか。より厳格化し、達成できなければペナルティを受けることもしばしばあるように感じる。うんざりしてきて達成できそうな簡単な目標をでっちあげることがスタンダードになれば、私のような無気力人間の完成である。

目標の "発見" とその結果

相も変わらず夢は持っていないが、ここ数日、あるいは数週間の期間に私の中である目標が決まった。気恥ずかしいので目標の内容はここには記載しないが、 "発見" した結果については記載しようと思う。需要など、どこにもないと思うが。
端的に言えば、いまだかつてないほど精力的に生活するようになった。最近は読書し、ニュースを見て、勉強を行っている。自分から進んで勉強するなど、かつての私が最も忌避していたことの一つである。以前の私から言わせれば「頭がおかしい」。
これは、与えられたものではなく、自分で決めた目標であるということが、大いに影響していると考えられる。目標を達成するために今できることを(無理しない範囲ではあるものの)実施したいという意思が生まれるのである。この年になって初めて、目標を立てることの有意義さを実感した。
もちろん、かつての無気力な私が消え去ったわけではない。
「どうせこんなの一時の気の迷いさ。どれだけ続くのか見ものだね。」
という気持ちも確かに存在する。そこに嘘をつくことは私にはできない。
いずれにせよ、およそ5年後には達成したかどうかわかる。
無理せずに続けることで無気力な私をごまかして、どうにか目標を達成したいものである。

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