具体的なことを書いてから抽象的なことを書くとまだ読んでもらえるよという文章。

日記を書くということがあまり習慣にならなかった。
僕の個人的な一日というか一挙手一投足を公開するということ自体にあまり楽しさというものを感じなかったからかもしれない。
考えていることを知ってほしいという願望はあるので、ネット上で何かしらを書くことや、ツイッターで呟くことはまだ好きな方だけれど、日記という形でnoteを更新し続けるのはいったん停止してみようかと思う。

一人カラオケ2回目に行ってきた。
同じ店舗だったので、だいぶ慣れたものである。
昔は、joyかdamかということで友達とあーだこうだ話をしていたなぁと思い出しながら、どちらでもいいです、と癖でいってしまった。
どちらかを選ぶときって、本当にどちらでもいいときは、一応前者の方を選ぼうとは思っている。曲が違ったり、採点がどうのこうのとあったり、結構違うことは知っている。でもどっちでもいいかなと思う。
一人カラオケ二回目にして、料金が違うことに気が付いた。
ほんのちょっと一人カラオケ用の料金は値上がりされている。そりゃ部屋を一つ使うのに人数がこなければお金も減ってしまうから、当然だ。
少し考えたらわかるということも、きっかけがなければそもそも考えることすらできない。
勉強についていろいろ考えている。もちろん職業的にも考える必要があるけれど、それ以前に自分は勉強し直した側の人間ではあるので、気になってしかたない。
しかし、何かそこにきっかけはあったのだろうか。
振り返ると、自分は物を記憶することは苦手だけれど、考えたらそこまで間違った考えに至らないな、ということを直感的に気が付いたタイミングがある。それは、高校卒業して、一年浪人という名のプー太郎をしていた時だった気がする。
あの時と今と賢さという点においては何も変わらない。
違うのは地味にやることの効能というものを知っているか否かということである。
身体論から一歩進んで、ひたむきさというか愚直さのようなものに何か大事なことが含まれているんじゃないかということを大学卒業間際に嗅ぎ取ってはいたが、結局のところそれは地味さにつながっているという感じになっている。これはあくまで仮説にしかすぎないが、いろいろなことがそれこそ有機的につながってきている。
note更新も内容がどうのこうのではなかったはず。
毎日地味に更新する。僕の言いたいことや言いたくないことを書く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?