なんどだってやりなおせてしまう苦しみ。

明日からまた忙しくなる。
思ったことをそのまま書くことを再起動してみる。
そのまま、素朴に、率直に、そっけなく?書いてみる。
最近は行為について考えている。頭の中で何かを考えていても、結局行動や言葉にしていかなければ、絵にかいた餅ということにもならない。
こうしたいと思うことはとっても大事だと思うし、やる気スイッチのようなものがもしあるのであれば、押しまくった方がいいだろう。
最近は調子が安定してきているが、手荒れがひどい。体重も少し増えている。特に問題だと感じていないけれど、運動不足は否めない。
おじさんになって嫌なことの一つは汗がとても臭いということで、こればっかりはしかたないのだけれど、汗拭きシートなどを使って抵抗を試みている。
うまく文章を書こうと、校閲をすることや、見直すことというのは、とても大事だろうけれど、ここはもう僕がだーっと書いてそれでおしまーいとしたい。
自分のために書くというよりは、ただ書きたい。

母親がちょっと珍しい病気になったそうで、難病らしい。
難病というのは、何か難しいというわけではなく、珍しく、具体的な治療法が確立されていないということであるらしい。それが難しいということなのかもしれない。
いたって本人は元気でいつも通りにみえる、まぁ確かに年齢的な衰えであったり、以前から感情的になるようなところがあったり、孫に激アマムーブをみせていたりしている。つまりとっても普通な感じ。
僕はあまりうろたえているわけではない。どうにかなると思っているわけでもない。
自分の義理のおじいさんがなくなったときに思ったことをいつも思い出す。
それは、読めないのにカラマーゾフの兄弟を読んだとき、死者に対して、あとにはヤマゴボウが生えるのみ、みたいな話である。
ヤマゴボウというのもよくわからない。山に生えてるゴボウなんだろうけれど。
どこかで仏教的なことを考えているのかもしれない。輪廻がめぐるとかそういう感じではなくて、死んだあとも何かしら続くようなことを薄っすら考えている。ちょっとスピリチュアルな感じかもしれない。
というのも、夏前、正確には夏入ってすぐ、環境が変わってしまって、ただでさえ飄々としていた自分に追い風が吹いてしまった。
悲しいとかつらいとか、なんとも言葉にしやすそうな感じにパッケージされてかえって嬉しい感じもする。それはそれで変態じみているけれど、それぐらいのほうがいやだなぁと自分自身に対して素直に思える。

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