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身勝手な温度


二十数年、この土地に住んでいる私は、いまだに十度に合う上着がうまく選べない。

今日はお気に入りのビックシルエットでシャカシャカしたコートを着てみた。かろうじて肌寒い。変な言葉が似合う変な感覚だ。くるぶしを露出させている足回りは寒くないのに、上半身は心許ない。丘になっていて、風が強い傾向にあるのは確かだけれど、それとは他に何かあるのかもしれない。それが苦手意識なのかもしれないと考え始めてから、私は間違いなく雲がひとつもない空を見れずに俯いていた。

愛しているものに苦手意識を抱いてしまうことはよくあることで、私からは見えない側面があることの裏付けになるから、秘密がひとつもないなんていうのは恐ろしいことで、むしろ安心する事柄だった。それが今回は何故だろう。嫌だ。ただ、その違いはわかっていて、私が勝手に生み出したものだということだ。人間を除けば、私を取り巻く環境が私に関心をもつことはない。しかし、そうして身勝手に不穏な気分になるとは思いもしなかった。驚きだ。

好きな人の嫌な部分を知って、尚、素直な気持ちを持てたという事実、経験は、好き嫌いと無関心の論に関係がなかったことに気づいた。無意識のうちに紐づけていた。無関心を知らなかっただけなのだ。私はなんて恵まれていたのだろう。無関心に対する無関心は確かに自己防衛かもしれないけれど、ここまで気づけなかったというのは少し恐ろしさを感じる。身勝手に傷ついてしまえる。在り得る自分の身近さは、想像し難いが温度を感じる距離だ。

間違いない。今はとても肌温い。







というか普通に暑い。コートを脱ぐと寒い。やっぱ嫌いだ!

お気持頂戴