雑記(20230302)ー複数人で映画を観ることー

今日はきょうだいと一緒に新海誠作品の「すずめの戸締まり」の2回目を鑑賞してきた。

以下ネタバレあり。

実は、私が一回目にすずめの戸締まり(以下「すずめ」))を観に行った時、私は「すずめ」をとても苦手な作品だと思った。トラウマを植え付けるような作品ですらあると思った。なぜ、数多く地震の警報が鳴るというのに、あれだけ広報が少なくても、一定以上の人気を得て、興行収入を得ているのかが正直理解し難い一面があった。

当事者であることでしか得られないものというほどのことでもないが、私自身も東日本大震災を間近に見てきた世代の一人であり、それをエンタメという俎上にどのようにしてあげるのかというところに自分の中でも難しさを感じていたため、災害に関する作品に忌避感があったと言われれば間違い無いのかもしれない。


(あとは、2016年以降の新海誠の作品のテーマ「災害」とは異なるが、「保護者と子供の関係」という面でのわだかまりとその解消のカタルシスの流れのシリアスさが、似たような言葉を吐きかけられた自分とすずめとが同化していくような感覚があって個人的に苦手だった。また、私にとってその言葉は日常の中に組み込まれていたため、それほど今までダメージを感じていなかった分、すずめの表情を見ていて辛い思いが一気に押し寄せてきたというのもあった。)

二回目に観た今日は東日本大震災の本震の際に一緒にいたきょうだいと一緒だった。そのことが関係しているのか、それとも辛いタイミングを知っている「慣れ」なのだろうか、あまりこの作品は凄く苦手だという意識を感じなかった。

むしろ色んな情報が頭に入ってきて、ああ、今回も新海さんは「ライ麦畑で捕まえて」を作品に組み込んだな、いよいよこの作品を読まなきゃなとか、芹沢のことばに対しての強い違和感をすずめが表明したことへの共感というか、共鳴があったというか。そんな新鮮な体験ができた時間であった。

あと、「セカイ系」の議論はほぼ全く追っていないが、新海作品が「セカイ系」であるという議論の中にはどのような変化があったのか、個人的に気になった。


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