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モンゴル抑留の歴史 その3くらい

シベリア抑留でのモンゴルでの抑留について調べており、Re:Earthを使ってデジタルアーカイブを作ろうと試みています。

時系列に作っていこうかと思ったのですが、とりあえずは出てきた場所をマークしていく方法に変えていことにしました。
前回は、ズーンハラーまでマークしたので、まだマークしていない初期の収容施設があった場所として以下が挙げられています。

セレンゲ州アルタンボラグ市にある皮革工場および手工業協同組合の宿舎に300人
ズーンボラグの国営農場のゲルおよび建物 100人
ジャルガラント国営農場のゲルおよび建物 400人
ウランバートル市手工業連盟クラブ 150人
ウランバートル市第一協同組合など 130人
ホジルボランの宿舎、食堂など 3300人
アムガランバートルにある宿舎 1200人
ヌフトのすべての別荘、事業体クラブ 600人
セレベ(ダンバダルジャー)の保養所を病院に

アルタンボラグ市

まずはアルタンボラグ市の情報収集 こちらは現在の様子がとても詳しくまとめられています。

ウィキペディアによると「Алтанбулаг сум (Сэлэнгэ)」セレンゲのほうと書いてあります。ウランバートル郊外、トゥブ県にも同じ名前の街があるそうです。ロシア、ブリヤート共和国のキャフタと国境を接しているとのこと。
Алтанбулаг сум 
ᠠᠯᠲᠠᠨᠪᠤᠯᠠᠭ ᠰᠤᠮᠤ
モンゴル語と縦文字です。
Wikipediaではモンゴル語よりもロシア語のほうが説明が詳細なので、こちらを参照していきたいと思います。
確かに、国境の街です。アルタンボラグ市と書いてあったのですが、1940年代は市のような扱いにおもわますが、現在は人口5000人程度ですのでアルタンボラグ村になったのかもしれません。

ズーンボラグ

ズーンボラグだけで検索をかけても出てこなかったので、単語からЗүүнбулагではないかと思い、検索をしてみました。Wikipediaでは
Матад сумの中心地として紹介されているのですが、場所的にはかなり離れています。Дорнод州の一部とのことですが、一応場所として出てきているのでマークをしておき、後でもう少し調べる必要はありそうな地名です。
ЗүүнбулагではGoogleマップでも出てこなかったので、Матад сумの場所にマーク。GoogleマップでМатад сумを見てみると、ますます謎が深まります。

ジャルガラント

厚生労働省のモンゴル抑留での埋葬地として「オグタール・ジャルガラント」として紹介されています。
Жаргалант сум ᠵᠢᠷᠭᠠᠯᠠᠩᠲᠤ ᠰᠤᠮᠤ
村ですので、属しているのは、Архангайアルハンガイ県なので、オグタールが謎ですね。この辺もモンゴル語レッスンで聞いてみたいと思います。
ジャルガラントの国営農場の記述の前に、エンヘタルの国営農場の記載もあったので、エンヘタルというのも地名なのか近場なのかわかりませんが、こちらも探す必要がでてきました。
まずはジャルガラントをマークしたいと思います。

エンヘタル

エンヘタルで探しても全然かすりもせず、エンヘタル、モンゴルで検索をかけたところ「ヘタリア モンゴル」で検索されて、違いますからと思いつつ、調べていたら、
The History of Agricultural Development in Mongolia
という小長谷有紀先生による「モンゴルにおける農業開発史」という論文を見つけました。この中に国営農場一覧があり、名称、ソム名、アイグマが記載されており、場所を探す最高の手がかりとなっています。
エンヘタルは、ホシャートとセレンゲなので、セレンゲ州のホシャーと村にあるっぽいので、そこから探せそうな気がしてきました。
Хушаат сум ᠬᠠᠰᠢᠶ᠋ᠠᠲᠤᠰᠤᠮᠤ
ホシャート村からはエンヘタルが探せなかったので、マーカーの場所はホシャートにしたいと思います。エンヘタルは場所の名前で国営農場の名称なので地名ではないかもしれません。

次はホジルボランからです。



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