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【エッセイ?】憂鬱です

 十月二十九日、二十一時四十八分にこの文章を打ち始めた。締め切りまで後三日だけど、明日から仕事であることを考えると、実質今日までには完成させなければ、間に合わない。何とか間に合わせたいと思っている。だけど、パソコンを開いて文字を打ち込む気力はない。手書きで原稿用紙に書き込む気力はもっと無い。ベッドに寝転び、スマートフォンのメモアプリを開いて打ち込むのが精一杯だ。決定的な理由があるわけでもないのに、自分は今、酷く落ち込んでいて、何かを考えたり行ったりするエネルギーがほぼ空っぽになっている。毎年、この時期はそうだ。心身ともに不調をきたし、何をしてもうまく行く気がせず、鬱屈した感情を散らす気力すら沸かせられなくなる。
 構成も話のオチも考えられない。惰性で、今の感情を打ち続けることが自分の今出来る、限界だ。仕方がない。調子の悪いときは悪いなりに、その範囲でベストを尽くすしかない。こんなのがエッセイと呼べるのかもわからないけれど。
 なんだかんだとスマホに打ち込んでいる間に、時刻は二十二時になった。さっきから倦怠感がすごい。時計の針が、鼓動みたいに身体の内側に響いている。まるで、身体中が「もっと焦ろ。だらけるな」と脳に信号を送っているみたい。身体よ…私をとにかく動かせたいのはわかるけど、そんなに煽動しなくてもいいじゃない。動きたくない。永遠にベッドに居たい。私の憂鬱はなかなか図太い。元々、控えめに存在していたはずなのに、気づいた時にはかなり横柄に居座って、他の感情をさっぱり寄せ付けない。ああ、嫌になる。
 そういえば、檜葉に入会する前、こんな短編小説を書いたことがあった。冒頭はこう。
「書斎の隅に寝床をつくり、ひとり横たわっていた。目線の先に、埃をかぶった原稿の山と、その頂上に鉛筆が一本あった。
身体が鉛のように動かなかった。締切が一ヶ月を切っているのに、原稿がまるで手につかない。焦りはほとんど無い。せめて、苛立や焦燥や嫌悪といった感情が沸いてくれたら、と思う。僕にあるのは、鉛筆を握るのを妨げる、たまらなく重い憂鬱だけで、それを忘れさせる快楽に使う金も持ち合わせていない」
 あんまり上手な文章ではないけど、自分は今、大体こういう気持ちなんだと思う。この小説のラストは、説明が難しいのだが、雨水の重さに負けて落葉する銀杏と、憂鬱に抵抗できないままに作品が書けない自分の姿を重ねる、主人公を描いた。これは、本当に、「未来への可能性を秘めた若者」が書く作品でしょうか? 檜葉に入会する前の作品はこれだけではなく、他にも暗さだけは満点の小説もどきを何編か書いていた。しかし、見返すとどれもが、秋から冬に作ったものだった。やっぱり、寒くなると気持ちが落ちる。まあでも、それを利用しながらなんだかんだ、昔も今も、頑張って書いている。…駄目だ。エネルギーが完全に尽きた。一回寝よう。
 起きました。〇時三分。日付が変わってしまった。読み返してかなり不安になる。仕方がない、後戻りはできない。こんなものでも作品は最後まで書き上げたい。横柄な憂鬱と、物事をとことん追求しないと気が済まない性格、執着心が拮抗するせいで、私はいつも、負の感情を副流煙の様に周囲に撒き散らしている。
 それにしても嫌な夢を見た。私が誰かに延々と悪口を言っている夢。ああ、こんな事が話したいわけではないのになあと思いながら、ずっと話していた。
「ああいう女って大体さ」「悪いけど彼女って、学がないでしょ」
 本当に嫌なことを言っていた。現実の私には、あまり言わない言い回しをしていたけれど、言葉でハッキリ言わなくとも、勝手な想像で誰かを語ることは沢山ある。差別はこうやって、人を外側から一括りにする行為のことを言うと思う。小説をより深く読み、書きたい自分としては、いつだって、人を内側から見ていたい。せめて夢の中くらいは、理想の自分で居させてくれたらいいのに…と思う。無理か、夢は脳のスキャンでしかない。こうやって、また落ち込む。
 憂鬱や不幸が連鎖した時、「いっそのこと、消えてしまえば楽になれるから良いか」と思えば、逆に前向きになれることがある。「そんなことはダメだ」と思わないで、「それも選択肢の一つにある」と思うようにして、だけど、自分はその選択肢をあえて選んでいないのだ…と考えるようにする。
 「生きない」という選択肢を残しておきながら、それと上手に距離を取る方法が、自分には向いている。抗えない不幸や憂鬱の中でも、「自分の人生が選択出来る」ということを見出していれば、理不尽や不条理に完全に呑み込まれてしまうことなく、私はこの先も生きていける気がする。「書く」という行為を辞めたくないのも、きっとそういう思いが根底にあるからなのかな。
 最悪に思える持ち物を、いつか、腐葉土の様に利用して生きたい。不幸によって得られる幸福だって、あるんだと思いたい。自分はあまり褒められる様な人間じゃないから、「憂鬱です」と自虐的に話すのも、本当は、かなり烏滸がましいのだが。「不幸です」なんて話すのは、それ以上に。
 今度こそエネルギーが尽きた。かなりぶっ飛んだ話を盛り込んで、自分は、不器用な人間だなと思った。おやすみなさい。十月三十日、〇時三十二分でした。

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