2020年4月19日(日) 生後12651日目

平均寿命まで残り17154日。

我が家は東京経済圏の中でもかなり末端(=田舎)に在るので、新型コロナウイルス禍の中でも、屋外で密集状況になることがない。

道も広い、大きな公園も多い、緑が多い、などなど、リモートワークが続く状況においては環境の良さを存分に享受できて嬉しい限りだ。

そんな環境で、天気が良い日は近所の川沿いの遊歩道を散歩しながら、一人物思いにふけるのが密かな趣味である。

この日ものんびり散歩をしながら、改めてこれからの自分自身について考えてみた。

これまで僕は、論理的な思考や、フレームワークのような考え方を駆使して、如何に早く、ある種の思考のゴールにたどり着くか、ということを拠り所にしてきた。

言い換えると、不完全な状態からいち早く抜け出すための手助けする、というのが自分の強みであり、パズルを解くような心理的な心地良さがあった。

フレームワークというのは素晴らしい発明で、不完全な状態をある方式に当てはめて分類することで、その分類された枠に収まることで皆が安心することができる。人は広大な荒野に一人立つより、ある程度狭い空間にいる方が自分の注意を限定できるため、精神的に落ち着く生き物だからだ。

それは物理的な脅威に対しては確かに有効なのだが、今自分たちが置かれている環境においてはどうだろう。

経済的な状況、技術の発展、自然災害やウイルスなどの予測不可能な危機。

僕たちが考慮しなければいけない脅威の変数は日々変動していて、その組み合わせは未知で無限だ。そして論理的な思考、というのはいつも後付けである。

このような状況で、後付けの論理で自分や周辺環境を分類し、その枠に収まることに何の意味があるだろうか。単なる自分を安心させるための方便ではないだろうか。

そんなことをふと思った。

勿論、組織を統率したり、成熟の過程にある人に対しては、色々なツールを使って方向性を統一したり、安心感を与えることは非常に重要だと思う。

枠に収まって、安心することである特定の思考が止まる。思考が止まった人間は、作業に集中できる。作業に対しての思考に集中できる、とも言える。これは集団を統率して何らかの成果を上げるには重要なやり方だ。

では、自分自身に対してはどうだろうか。単なる方便によって自分を安心させることは、僕自身の人間としての成熟度に対して、少し幼稚すぎるのではないだろうか。

不完全な状態を受け入れ、思考を動かし続ける。分類するための思考ではなく、本質を探る思考を楽しむ。そうあるべきだと思った。

とすれば、いわゆる自己啓発を最大の自己満足の手段としていた僕は、もっと瞬間の感覚を大事にすべきだ。その時々に感じる、楽しい、気持ち良い、そういった感覚をもっと重要視しなければならない。

分類されていないことへの恐れを乗り越え、特定の条件で与えられた事象に対する取り組み方を考える。これが僕たちが一般的な理解としての自己啓発や、学び直しという概念だ。当然、これに取り組むことで、心理的な安心度は増す。

この安心感を得るために、僕は論理的な思考と言われるアプローチやフレームワークを、世間一般と比較して少し多めの時間とコストをかけて取り組んできた。そして、これによって得られた物は多い。社会的な地位、収入、人からの評価、そして自己満足。

これら全てを幻想だ、と言えるほど今の僕には深みはないが、少なくとも本質ではない、と思えるようにはなった。

不完全な状態を受け入れ、本質を追求する。同時に、その時々に感じる楽しさ、気持ちよさ、多幸感、それらをより重視して日々を過ごす。

それを僕は、自然体で生きる、と定義しようと思う。

日々の営みや学びは、自然体の中で行われるべきだ。誰かに与えられたテーマではなく、本質的な欲求によって思考を働かせる。自分にとって本質とは何かを思考し続ける。

螺旋は前進せずとも上昇する。というのは僕が中学生の時に呼んだ本からの受け売りだが、螺旋や波紋、という概念が自然科学において興味深いテーマで在り続けているように、人間としての自然体にも、螺旋というイメージを当てはめることは、それほどこじつけでは無いと思う。

これは、状態を定義するフレームワークではなく、思考のプロセスを俯瞰した時に概念として現れるものだ。

結論を念頭に置いて様々なことを進めるのは、ビジネスの世界では良しとされている。一方で、思考を進める上では、どう考えたか、というプロセスの方がずっと重要だ。時には結論という概念自体が不要なこともあるだろう。

そういう意味で、僕自身の人間性として、自然体な状態を出来るだけキープしながら、一方でビジネスパーソンでもある自分のアウトプット、ということにも注意を払いながら、両立していければ良いと思う。

難しいことではあるが、これらを念頭に置きながら生活する今後の自分に現れる変化を観察し、さらに思考を深めていきたい。

明日が今日よりも良い世界になっていることを願って。

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