青春の終わりと中年の始まり 1

久々に筆を取った。悩めるときは自分自身と対峙する必要があり、筆を取るほどの時間があるからこそ悩むのである。

転職活動の顛末を日記的に日々綴った過去のシリーズは下記にマガジンとしてまとめてみた。世界一需要のない文章だが、自分で読み直してみると割と趣がある。

このところの僕はというと、また転職を考えている。割と真剣だ。

現職で仕事を得てから早3年半ほど経つ。ありがたいことに、社会人生活(キャリア形成)としてはこの期間で大きく前進した。

少し前での自分では考えられないくらいの大きな収入と、大きな人数を部下に持ち、肩書きもなんだか笑ってしまうような立派なものを頂いている。

この環境が当たり前だとは思っていないし、どちらかと言うと分不相応なくらいの待遇で恐縮するくらいだ。

そんな恵まれた環境なのに、なぜ転職かと言われれば、今回も気分という要素が大きい。自分の責任として一つ大きな山を超えたし、次に越えるべき山も見つかった。そしてその山は多分、僕じゃなくても登ることができる(むしろ僕ではない方がより正しい登り方を見つけられる気もしている)ことにも気がついた。

潮時、という言葉がふと頭によぎる。

前に自分が残した駄文の中に、

再現性の高い軽率性というのは僕の性分だろう。

という一文があった。言い得て妙である。

今回は前よりも転職に期待を持っていないという感覚がある。それはシンプルに選択肢が限られてることを知っているからだ。どの選択をしても、何かしらの大きな諦めが伴うことになるだろう。

今の会社で働き始めた際に、この会社での勤務が終わる時が自分の社会人人生における青春の終わりだろう、と直感的に思った。そして多分、実際にそうなるだろう。

これからいくつかの会社と話をすることになると思うが、難航することも十分考えられる。出来れば年末年始である程度身の振り方を固めて、日本の新年度にあたる4月からは新天地で働くような形を目指したい。(2023年12月3日執筆時点)

まだ頭がクリアではない、というか、ここしばらくずっと頭にモヤがかかったような感じだ。

書くという行動は自分を翻って見る時に非常に有効な手段だ。
また駄文を連ねながら、自分と向き合っていきつつ、いつかまた読み返す日を待ちたいと思う。

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