20240219
友達とご飯屋さんに入って、注文して、待ってる間にお知らせに気付いた。先に気付いたのは友人の方で、「あ、やっと来てる コンカのこんなとこ通知入れなくね?てかツイートしないんだ」とペラペラまくしたてていて、私は安心と絶望の入り混じった、よくわからない気持ちになった。チケ代全部払っちゃったなあ。返ってこないかなあ。東京で何しよう。あの会場に拘束されずに済むんだなあ。嬉しいな。悲しいな。飯うまっ!
大阪(別のアイドルの現場で来ていた)でその知らせを受け取ったもんだから、自宅のある○○県へ帰りたくなくて仕方なかった。死ぬほど気持ち悪いのは承知の上で、バスからずっと窓の外を見ては、人の顔をひとつひとつ確認しようとして、やめた。それからずっと、家へ帰るまで、いや帰ってバイト行くまで、いやバイト行ってからもずっと、頭の中をぐるぐるといろんなことが巡っていた。自分の願望を取り出せば本当に山ほどあって、でもその中でも最も強い願望は好きな子の幸せだから、それを優先すると必然的に私のその他の願望は叶わなくなってしまう。歌とダンスが見たい、元気でいてほしい、お外に出れるなら出ろ、生きててください、そのどれもが私のエゴで、必要のないものだった。アイドルの○○○くんを好きになったはずが、いつの間にか○○○くん本体を好きになってしまっていたようだ。以前好きな子がアイドルになることで人を救いたいと言っているのを聞いて、死が救済だったらどうするんだろうと軽く考えていたのが、今になってずしりと私にのしかかる。自分が一番ひとにかけてほしくない言葉を、好きな子にたくさん送ってしまったことを今更思い出した。なんてことをしてしまったんだろう。私を、取り除かなくては。
コンビニエンスストアのウォークインには魔物が住んでいる。飲料を入れている間は誰からも邪魔されないので、その分思考が嫌というほど働いてしまう。魔物は私の体力と精神力を奪っていく。床に座り込む。目の前のオレンジジュースがぼやける。わざと大きな声で「よし。」と言って、立ち上がり、仕事を再開する。あの子の飲めないコーヒーを黙って並べていく。好きな子にとって要らないものは排除しなくちゃいけないのに。
ウォークを出て、店内の状態を確認し、深夜の分のレジ横惣菜を作る。好きな子がコンビニチキンの中で一番好き!と教えてくれたそれを好きな子を想って丁寧に揚げていくが、どれもが店前の無料案内所に勤めるガラの悪い兄ちゃんたちの口内へと放り込まれる。
家路。最近はもっぱらルセラのGood Parts。それからユーミンの守ってあげたい。aikoのキラキラは、彼を待つことが許されないような気がして聴けなくなってしまった。バブルが来ない間も、心配している、と口にできなかった。これまでずっと、好きな子がアイドルという職業を自ら選んだというのに甘えて、加害することに必死になっていた。金さえ払えば許されるというのは大間違いで、相手が人であることを思い出す必要があった。正直、これが突然で予想もしていなかったこと、というわけではなくて、いつかどこかで転けてしまうのではないかという心配はずっと付き纏っていた。でも、そうやって心配をすることが、彼の日々の頑張りを否定することにもなり得ると思うと、○○○くんが頑張ってるから、私も頑張ろう!としか口にできなかった。怖かった。相手と、相手を好きになった自分を否定するのが。ここまでに全てを費やしたのに、今更間違っていた、だなんて言えるはずがなかった。私は彼と、彼の選択を信じたかった。それが「好き」になり得ると思っていた。間違っていたことに気づいたときには、もう遅かった。私の必死の「推し活」が好きな子の心を殺していた。
推し、というのを「何かを好きと仮定した上で行動を起こす対象」そして推し活を「色々理由つけてやりたいこと全部やる」くらいに私は捉えている。アクスタと一緒なら、アミューズメントパークもかわいいカフェも綺麗な花火も怖くない。「オタク」の面を被れば、可愛いあの子と同じことができちゃう。それに推し活自体が流行しているから、したいことをするだけで流行りに乗れちゃう。承認欲求だって満たせる。メンバーカラーの推し活グッズを身に纏い、○○尊い!と周りを気にせず叫び散らかし、発狂し、涙を流す。オタクの皆さんのことわかってます!と商品を打ち出す企業側はウハウハ、経済はぶん回され良いことづくめだ。
逆張り星に生まれた逆張り星人の私がこんなものに肯定的であるはずがなく、ケッ!とそっぽを向いて、「違うの、私のそれは生活の中にあるの ちょっとした『推し事』なんかとは一緒にしないでほしいわ、暮らしに根ざしてるんだから」と文句をたらたら慎ましく生きていたわけだが、ここ最近の私のやっていることは完全に推し活だった。好きな子のことを好きと仮定し、現場へ通い、チェキを持ってイルミを見て、パフェを食い、疲れた疲れた!限界限界!貧困貧困!と誰も聞いてねえのにデカい声でアピールをし、それでも現場へ行っちゃう私♡を演出、世の求めるそういう「オタク」像に近づくため、日々頑張っちゃっていた。情けない。tiktokで流れてくるようなオタクあるあるに共感できてる私に興奮していた。恥ずかしい。でも、ずっと憧れていた。月数千円のお小遣いでは来られなかった世界に、今来ているのだ。こんなに素晴らしいことはない!最高!最高!この素晴らしさを非オタにも布教しなくちゃ!!
成人式に合わせて実家へ帰省し、中学時代の友人たちと久しぶりに会った。あんた最近何してるの?という質問に待ってましたと言わんばかりに食いつき、私が今どんなに素敵な人にどんなにいい思いをさせてもらっているかを説明しているうちに、自分がどれだけ浅くつまらない沼に自ら浸かっているかがわかってきた。突然狂いが醒めて、そこにはつまらないことに低時給アルバイトで稼いだお金をじゃぶじゃぶ使いそれに価値を見出そうと必死なブスがいた。友人は苦笑いしていた。「なんか、楽しそうだね笑」と言って、私就職するんだ。と切り出した。情けなかった。ああ、私が永遠だと思っていた、これ以上なく楽しく素晴らしいものは、ただ私の人生の一瞬をめちゃくちゃにするだけのつまらないものだったんだ。いつかは終わる日が来て、後悔だけが残るんだ。友人の「いつ愚かさに気付くんだろう」という視線が痛くて目を逸らした。
存在を知ってから1年足らずで、好きになって、現場に行くようになって、グループがCDデビューして、それから活休まで経験してしまった。なんと濃い1年。他人からしたらかなり笑える話だろうし、私だって笑いたい。先日親に電話をした際、状況を説明した後、かなり面白いでしょうけどまだネタにできるほど元気ないよ、と自分で言いながら泣きそうになった。なんでおやすみ?と問われ、精神的に、と答えて、はあ〜可哀想にねえ、と言う母に、同じような感じで学校行けてない私には甘えんなって言うくせに?とちょっと思った。私はこんなことが起こってまでも自分本位だ。
母は、まあそういう経験も大事だよ、と言う。私がこれほどまでに入れ込んだ「永遠」は、人生における一過性の「お勉強」に過ぎなかったようだ。多分私だけがそう思っていて、好きな子にとってもアイドルという職業は、生涯の、ではなく、いずれ履歴書に書くことになる経験でしかなかったのかもしれない。それにしては、彼の経験は、私という一人の人間にとってあまりに大きな出来事だった。好きな子を好きと仮定して行動しているうちにできるようになったことが増えた。「善人」の仮面をつけることが怖くなくなった。笑顔がいいね、と接客を褒められる。地球のためにできることをして、日々平和を祈る。善人の仮面は、いつしか私にぴったりとくっついて私の顔になった。私は私の枠を飛び越え、新しい私を知った。自分を好きになれたわけでも、救われたわけでもないけれど、自分の中の好きになれなかった部分が、少しずつ溶かされていくのを感じることはできた。自分を変えることはできなくとも、自分を増やすことはできた。これって本当にすごいことだ。好きな子って、本当にすごいのだ。
いつか好きな子のいない日々が当たり前になってしまうと思うと、今日が終わり明日が来て、そうして過ぎゆく毎日が怖くて仕方ない。けれど私の大切な1年が失われるわけではないし、今度は次の1年を、好きな子がくれた新しい私と一緒に過ごすのみだ。魔物の住むウォークインで今日もコーヒーを並べる。並べたコーヒーを手に取ったお客様と不意に目が合って、そうして新しい私が微笑むのだ。
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