「目的と手段」
社会で生きることが目的だとしたら、労働はその為の手段だ。
でもふと気が付くと、この目的と手段は入れ替わっていて、私は働く為に生きているような錯覚をする。
いかに生きるか?を見失ってしまったら、ちっぽけな自我なんて跡形も無く流されてしまうものなのだ。

頂いたサポートは精神的にも経済的にも新米の生きる糧となります。・:*+.\(( °ω° ))/.:+