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ホラー耐性× グロ耐性△な人間が「ミッドサマー」を観たら

皆さんは何か「信仰」を持っていますか?
普段身の回りにある「風習」に疑問を持ったことがありますか?

どの宗教にも属していなかったとしても、貴方の周りには数々の「儀式」が存在しているかもしれない。
今日はそんなお話です。
※「ミッドサマー」のネタバレを少々含みます。

今回紹介する「ミッドサマー」のあらすじはこんな感じ。

彼氏のクリスチャンに執着する大学生のダニーは家族の死をきっかけにその執着がさらに加速する。

そんな中、クリスチャンと学友のジョシュ、マーク、ペレがペレの故郷、スウェーデンで行われる大祭に参加することを聞き、ダニーもそれに付いていく事に。

小さなコミューンであるホルガ村で開かれる大祭が進むにつれ、彼らは祝祭の真実を知ることになる……


最初これを観ようとした時、友達から「これは1人で観た方がいい」と言われ、従うとまぁ衝撃的なシーンばかりで、思わず声が漏れたり、目を覆ったり、自分は映画を観ながらこんなに動くのかと半ば冷静になった程でした。

特に私の肝が冷えたのはあるシーン。
儀式の1つである「アッテストゥパン」で、老人2人が村人が見守る中崖から飛び降りるというもの。
ぐちゃぐちゃの顔面やら、死にかけの老人が映し出されて本当ならそのグロさに吐き気を催してもおかしくないのに、私がゾッとしたのは村人達の様子でした。

「必要な儀式なのだ」と、憐れむことなく寧ろ祝福する彼らに対し、「気が狂ってる!」と罵倒する登場人物。
当然私も罵倒側の立場でしたが、ふと、「自分は今まで通って来た風習に疑問を持った事があるだろうか」という疑問が頭をよぎったのです。

もしかすると、ちょうどこの作品を観たタイミングで、亡くなった祖父の法事に母の代わりに出る事が決まっていたのも関係していたのかもしれません。

私は何をしに法事に出るのか。
それは何の意味があるのか。
元はどういう儀式なのか。

それを考えるには、あまりに手持ちの知識が少な過ぎることに愕然としました。

もし私があのコミューンで生まれ育ったとしたら、今と同じように「そういうものだ」と受け入れていたのだろうかと、そう考えると風習というものは酷く恐ろしく、それでいて他者との繋がりを生む心の支えともなるのだと考え、身体の中心から血が抜けたような感覚を覚えました。

「ミッドサマー」は「カルトの恐ろしさ」と表現される事が多いようですが、明らかな「神」というものは出て来ません。

ですが彼らは確固たる信心を持っているような描写もある。

その信心は、私たちが何気なく暮らしている日常の中にもあるのかもしれません。

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