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細かすぎて伝わらないんだった…

と、ふと、先程軽く買い物に行ける状態になったので、頭痛薬とか購入しに行ったわけです。

故あって店員さんに声かけられて話をしてて、ふと、

あー、そう言えば細かすぎて伝わらないんだった

と。

○○過ぎて伝わらないシリーズみたいな、ネタではないのですが、特に自分の体=人間の体が関わると、そういう部分が、顕著とか如実に出てしまうし、また出てしまってズレたのを気づけるので、会話の修正も出来る、と。

そして、その先で言われたのが、

敏感なんですね、です。

うん。そうなんですよ。

自分の体から感じ取れるものも、細かすぎて伝わらない=わからない側は敏感とか、繊細と言うしかない

そして、思い出すわけです。

また、人としての距離感を近く感じてる人だと、それはおかしいよ、ありえない、と。

なら、言ってることがおかしいのでは?となりそうですが、

そうある自身のとっては、いたって日常、ごく普通の当たり前でしかないから、敏感とか繊細とか、知ったかするな、と。

こういう部分も、気づいてるのに、状態を話すと、同じ日本語を使ってるのに伝わらない。

こういうのも、多かったんだっけ、という事で、今回は買い物での一コマからのお話。


そうある自身にとっては

心理面や精神面、思考に向き合ってただけでなく、自分の体もそれは同じくで。

どうしても、細かく感じ取る=脳に情報が送られて処理された結果が、細かくなってしまう。

そんな体とも向き合ってたんだよ、ね。

五感だけでなく、温感、痛覚、他色々。肌や皮膚という表面側もさることながら、ストレスによる胃の変化や、只でさえお腹が痛い事に苦しむ事もあるからか、腸の状態も結構細かくあって。

でも、病院に行っても以上が無かったりするし、胃の場合はカメラ飲んだら予想した通りだったという事になったり。

何も、外界ばかりではなく、自分自身の体の中で発生してる様々な影響、状態もそうあるのが当たり前。

そして、そうある自身にとっては、

それが日常、それが当たり前なだけで。

敏感とか繊細とかは、ある種のアゲみたいに持ち上げとも受け取れ無くないからこそ、否定するんだった。

また、敏感や繊細というのも、抽象化と普遍化をした概念で。

そういう簡略化した表現でもあるからこそ、知ったフリして、敏感とか繊細とか、言うのやめてくれない?っていう、言葉になってたんだ。

うん。

まぁ、そんな感じで買い物から返って改めて思い出した、気づいたと言うか。

未だに、学術書や研究論文に至らないレベルの本や動画、その他の情報に振り回されながら触れる人が多い=都合の良いイメージにしようとしてる、とも感じるから、否定も反論もしてるんだった。


概念に付いての向き合い方

あくまで世間話、日常の中の他愛ない会話であれば、そういう言葉は普通に使うこともなくもないわけですが、それが自分に向くと

徹底的に否定する=それは自分の言葉ではないから

こういう感じで、概念にしても、言葉でありコミュニケーション用の道具とも言えるし、只でさえ言葉にしてるのに他者が自分との比較をもって否定する。

それだけでなく、ありえない、おかしい、と。

そういうつもりはない、ではなく

目の前に居て、本人が説明してるのに否定するって、個人の存在自体を否定されるのと同義ですが?

という事にもなるんだった。

これが例えば、精神疾患としてのうつ病となると、逆に気分が沈むと説明しただけでは診断がなされない。

不安障害だったり、他の要素もあるので、様子を見つつって言うんですかね。明らかに違うものが前面に出てれば、違う診断にもなりえるわけで。

実際、個人として全般性不安障害と診断されたときは、

明らかに不安からくる、パニックを引き起こしてるような状態だった

という部分からも、そうなってたんだっけ。

気分が沈むとはいえ、どのように沈むのか?

沈む要因として、死別とかがあると診断も早計と判断されなくもない。

結局、伝わりそうな一般的な言い回は、時として思いどおりにならなかったり、違う方向に行ったりする。

そして、そうあるのを幼い頃から経験してるからこそ、突っ込んで知りに行くというオタク気質も相まって、色々知ろうとするんだった。

こういう部分の違った出方になるのが、相談上手や聞き上手。

自身がそういう言葉の扱いが細かい、というか、そういう詳細に区別、分別出来るタイプでもあるので、伝わって来るものが少し踏み込んで、少し情報量が多く伝わる。

まぁ、見えてる、聞こえてるという差もあるのですが、そこから踏み込むと言葉の扱い上手とも言えなくもない。

結局そういうものを持ってて、幼い頃から向き合わなきゃ行けなかったからこそ、概念や言葉、言い回しにたいしての向き合いも自然と突っ込んでた。

加えて言えば、

そうあるからこそ、上辺に流されないんだった。


言葉はコミュニケーションの道具でもある

人同士が、お互いを伝え合うという、コミュニケーションとしての道具なんですよね。

言葉って。

だから、言葉一つにとっても、扱い方に自然と配慮することもあるし、完璧には出来なくても踏みとどまって言わないと言うこともするんだった。

まぁ、そうあるからこそ、ストレスも溜まりやすい。

そして、そういう部分を「人として負荷を抱え過ぎじゃないのか?」と。最近だとそう言ってくれる人もいなくもない。ただ、距離感とか信頼関係、それ以外での人としての繋がりや背景と。

様々な部分に自然と思考が向く。

自分が!自分が!ではなく、他者とコミュニケーションして。時には情報の共有として。

そういう扱いにもなるからこそ、他者に向けた時に必要以上に傷が入らないように。可能であれば、傷つかないように。

そして、やってしまったら、

そんなつもりはない、なんて言わずに、自分の過ちを認めて謝罪もする

こういう部分が、気を遣いすぎとか、配慮しすぎとも言われるわけなんですよ。

言いたいことを言えばいいじゃない。

そうやって、楽ばかりを先んじて拾う人が、自分だけでなく他者にすら瞬間的にやってしまって、アイタタタ……することもあるくらいに影響を受けるから、自分は言ってはいけないってするんだった。

そうあるからこそ。

言葉一つにとっても大事にしなければ、想定外が起こりうる

だから、過去に想定外、想定外って聞かれた時に、マジ切れして周囲がおっかなびっくりしてたんでした。

だからこそ、子供の頃から「ちゃんと考えよう」って言ってたのに、胡座かいてた大人たちのせいだろうがよ!!

自分と違う、だけでなく。

笑ったり、馬鹿にしたり、侮ったり、蔑んだり。

話を聞かないどころか、自分たちは普通、自分たちは多数派、だからこそ自分達の中にいる、自分は正しい。

多数派とか、普通に寄っかかってるだけで、知ろうとしない、見ようとしない。そんな人間社会の有り様すらも、建前の裏の本音と言わんばかりに、楽の先取りばかりがあるから、もう反射的と言わんばかりになるんですよ、ねぇ。

そういう物を持ってたからだけでなく。

私の方は向き合おうとしてるからこそ、伝えてるのに。

それに対して、違うというたったそれだけの理由で、ホイホイ手のひら返しくらい続けたからこそ、というのも否めないほどに。

一人の人間として、言葉すらとも向き合ってたわけです。

うん。

それほどに、たった一言でも、大事なのよ。


上辺だけになりがちな現代

ほんとこう、そういう深い部分っていうんですかね。

昭和の頃から、対して深堀りもしてないどころか、実際に話題の渦中の人と対談したわけでもないのに、

分かったつもりで、感情論をすぐ口にするのを問題視してた

それも、幼い頃から自然とそういう部分に気づいてたし、そこが違いすぎるからか、幼い頃から自分の普通をやるだけで、

勝手に周囲、は面倒見が良いとか、優しいとか、いい人って、

誤解し続ける連続でもあったんでした。

情報どころか、そうある自分だからこそ話せる、そうある自分の一次情報を出してるのに、

都合が悪いと言わんばかりに、流してしまう。そして、上辺だけで勝手に決め込んで、楽するだけでなく、安心したつもりになってる。

そして、上辺だけどころか、感情論ばかりの情報とは名ばかりの番組だらけになったからこそ、テレビ離れが加速してるのになぁ、と冷めてたんでした。

それが今やもう、ネットにすら及んでるというか…。

本当にやれやれですよ。

そういうのが見えてる=そうある人たちから良くない影響を受け取ってしまう。

だからこそ言うんでした。

情報だって深さがあるし、上辺だけで知ったつもりはダメですよ、と。

そして、ちゃんと知って、学んで、落とし込めないと扱えないですよ?と。

さらに言えば、自分がどうこう以上に、

感受性が高い人って、そうあるからこそ、黙ってるし、人の振り見て我が振り直せをやることにもなるから、

おとなしくて真面目な人

センセーショナルなニュースがあると、そういう上辺だけの、近所や同級生の発言をあたかも正しいものとして、流すようなメディア。

皆が皆そうではないと思いますが、中にはそうあるからこそ、敢えて表に出さない人になってて、想像以上の負荷を抱えてる事に気づいてもらえない

故に、人そのものへの憎悪がとんでもないことになり、暴走もするし、凶行にも走る、と。

個人としては、そういう部分を自身の狂気として把握してるし、それに対して、自分はそうなってはいけない、と。

そういう話題が聞かれると、強く言い聞かせ続けて来てる。

上辺だけ=無自覚な無責任

そういう、受け取ってしまえばドロドロ真っ黒なもの。それを相手の状態おかまいなし投げつけてくれる。

そういう、上辺だけ怪人が多いから、被害を受ける人がいるんだった。

だからこそ、口うるさくもなるんだよなぁ。

本当にもう、時代が変わったっていうくらいなら、

上辺だけで語るのやめてくれない?

そこ、変わってないから(笑)


とはいえ流石に

必要以上に気にかけ過ぎても、それもまた悪し。

とはいえ、自由や権利を掲げるのなら、自分勝手ではダメでもある

それ故に、常に自問自答もしながら、なんですよね。

まぁでも、この辺は色々様々な要因が絡み過ぎるというか。

単純に、性格、思考、感受性、他様々な人の背景が違うだけでなく、個人として、人間という生き物としての違いという部分もあるもので。

肩を鍛えて、イチロー選手並みになれ!は無理な話。

なので、無理強いは出来ないし、無理をするのもダメだとも思いますし、し過ぎる人を見かける様なら、話を聞いた上で、そういう事を伝えたりもします。

そういう意味では、匙加減やバランスって難しいんですよね。

うん。

それでもやっぱり、個人として見てきた様々は、やはり上辺だけでダメという部分は多いです。

特に、スマホによってネットが”普及し過ぎた今”は本当にそうあると、強く実感してます。

自由と、自分勝手や我儘って違うのですよ?

言いたいことを言うにしても、気を付けておかないと、無自覚・無意識のうちに、傷つける弾丸を口から放ってるようなものです。

昨年、誹謗中傷による事件が取りざたされましたが。

寧ろ、悪化してると思います。

我に正義有り。

そう言わんばかりに、罵詈雑言や、怒りの感情をぶちまけてる人増えましたし。

それを、人海戦術で敢えてやってそうな集団なんかも居ると言えば居る。そう言うのも否めないですし。

なのでまぁ、飛び出し注意ではないですが。

一時停止は大事な事、だとも思います。

言葉で傷つけられた目に見えない傷は、目に見えないからこそ厄介で、治す治さないどころではないんですね。

人に振り回されるのは嫌だ!と言いつつ。

人が生み出した文明の利器に、振り回されてる様を隠しきれない。

真面目だ真面目じゃないではなく、傷つけられて嫌なら、自分が傷つけてしまうという逆の可能性を見つめる事が出来る様にならないと。

まだまだ、悪循環は止まらない。

それどころか、これからは更に加速すると思います。

さて、どうしましょうかねぇ?


あとがき

ほんの些細な経験から。

あっと言う間に、紐解けると言わんばかりに、色々浮かび上がってくる。

そういう意味でも、環境から影響を受ける、という表現は正にごもっともなのであーるー。

うん。

ほんとね?それ程にあれば、違和感や疑問の生じる頻度が多くなると思います。

それ故に、色々知れる、知るからこそ気づけるようになれる、そうなるからこそ必要以上に言わないという選択もする。

言うは易く行うは難し

いくら口で言ったり、やってる事を提示しても、落とし込めてなくて上辺だけというのは、あっという間に伝わってくるんですよ。

個人としては、そうある部分だけでなく、自身の体からの情報、影響という、体の内側からの感じ取りすら細かくなるくらいで。

そうあるからこそ、進化とか、遺伝とか、突然変異とか。

必要以上に気にしない、ハマらないしつつも、可能性としては既にそう言う部分に踏み込んでたので、今知れる情報の中には、偶然の一致という発見すらあるくらい。

なので、楽しいとも感じれる。

そして、そうあるからこそ、世界っていう言葉を使うと、宇宙どころか観測や想像の範囲を超えたところにすら行って無くもなかったりします。

ただ、こういう部分も傾き過ぎると悪さをするのでね。

あくまで、個人としてはこうあるだけ。

そうある自分だからこそ、自分らしくあるために、そうあらんとしてるだけ。

なので、概念は応用や活用をする為の物だし、自分がどうとか考える必要もない。

でも、都合がよくなるように弄り倒すというのは、もう。

散々嫌な物として見てるだけでなく、コールタールと言わんばかりにドロドロどころかこびりつく様な物として、

有無を言わさず受け取らされてる様な状態

そういう状態でもあります。

意識してなくても拾うのが当たり前ですし、そうあるからこそ感受性が高いって言われます。

理想なんて机上の空論です。

先々なんて、自分や多少人を集めたところでは変えられない。

それ以上のパワーバランスというものがある。

それを変えるなら、口ではなく自分が行動しなきゃいけないんですよ。

政治関係とか、そんなに言うなら「自分が政治家になって変えればいいじゃん?」なのですが。

言うは易く行うは難し。

と は い え。

外野に居て石を投げるだけという、楽を選ぶからこその有様はもう時代遅れなんですよ?と。

あくまで個人としては、そういう石を打ち返してる、というような心持もなくもないです。

だって、痛いんだもの。心が。

回復するどころじゃないほどに、ストレス源が現実に溢れてるのでね。

時には抗わないと、後悔もするからなぁ......。

自分でもどうしようもない、体が反応として、体調の悪化すら自然と、そして勝手に示してしまう。

でも、それは分かりきった事だから、自分の事は自分で向き合って、自分は自分の尻拭いは出来る様にしておこう。

そんな感じです。

うん。

細かすぎて伝わってないんじゃね?から始まったはずなのに、いつも通りになってしまいましたとさ。

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