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言葉が与える影響

もう疲れたよ、パトラッシュ。

某アニメのラストシーンでの、言葉ですが、本当にコレ。

何ていうのかな。言葉を言う、書くだけにしても、何かしらの意図や自分では感じ取れない無意識レベルでの色々、そういうものが出てしまうもので。

個人として、相談上手だ、感受性が高いだ言われる原因って、そういう言葉の扱いと言う部分にもあったりします。

また、その辺うまくやらないと、表情にすら出るんですよ。

目は口ほどに物を言う

という言葉があるように、視線や表情にも感情漏れてるんで。

そういうのを、ただただ普通に見るだけで、感じ取ってしまうから。

相談という会話形式だと、耳で言葉を聞きながらなので、余計に分かるほどです。

うん。

そして、痛い所を突くと「そういうつもりはない」というものの、視線や言葉で出てしまってる。

人が感情なりなんなりを出す部分って、ものすごく多すぎるくらい。

なので、ため息出るやらなんやら。

好きに言うのは良いんだけど、好きに言い過ぎて、自分の尻拭いはしないというのが溢れてるから、ネガティブ溢れるんですよ。やれやれだ。


おおよそ人間いい加減過ぎるもの

個人として感受性が高いと言われるときは、

相手が主観での良い悪い、正しい間違いを言うばかりで、こちらを一切見ていない

会話をしてるのに、その様が見えすぎるだけでなく、そういう態度からネガティブな物を受け取ってしまい。

メンタル病んで引きこもるどころか、寧ろ悪化するばかりで、意図して人を避ける段階になってしまったほどです。それほどに避けてないと、色々感じ取りすぎて困るんですよ。

そして、こういうのを何度と無く、幼い頃から説明しても、お前は違いすぎると言うばかりか、こちらの状態を知ろうとしないどころか、その上で好き勝手に突くもんだから、たまった物じゃない。

いい人過ぎるとかいうけどね?

不用意に吐いてる言葉に、感情が乗ってて、不満だ、イライラだ、怒りだをぶつけてくれてるようなものだから、嫌でも自然と気にかけてしまうんですよ。

自分に対して厳しすぎる?

周囲が自分に甘すぎて、すぐ感情的になるから、先んじてそうならないように配慮どころではないレベルの事までやれてしまうんですよね。

感受性が高いってそういう部分も含むんですよ?

おおよそ、HSPという言葉に飛びついてる、自分がHSPだといいたい、自分の思うHSPを語りたいだけの人には、到底出来てない部分とも言えるような。

自分しか、自分の理想しかみないままってのは、結構な無責任なんですよ。

理想は語るけど、それが実際に叶っても、そこで発生した悪いもの、都合が悪い部分には噛みつきますから。

そうやって、好き勝手に、その時の都合の良し悪しでしか物を言えない程度の感受性しかないから、ネガティブ吐き出して、世の中に充満させるっていう、ね。

個人としては、幼い頃から見続けてた人の世が全然変わらないんですよ。

他力ばかり当てにしてて、好きなこと言うだけで、自分自身を変えようとしない。

人間、変えられるのは、最終的に自分だけなのに。

自分に甘すぎ、いい加減過ぎな人が溢れてるから、ネガティブが溢れすぎてて、もうどうしようもなくなりつつあるんですよ?

ほんと、やれやれだ。


それは何故か?

感じ取ってしまうから、それは何故か?何故そんな事を言ったのか?何故そういう態度を取るのか?と。

自然と、それは何故か?を一瞬で読み解く。

高校時代に弓道をやってた頃は、常に意識して体の動きを感じ取るだけでなく、自分で動かしてたからこそ、おおよその動きを見るだけでも、筋肉の動き、伸びが取れてないのがすぐ分かる。

感じ取れるから、出来ること、やれることも沢山あるんです。

本当にこう、相談上手だ、教え上手だいうけど、そうある私の状態を聞くと、途端にありえないことにしてしまうから、いつまで経っても出来ないんだって言ってましたけど。

出来るのは、おまえだけ。

こんな感じです。

HSPだ感受性だという言葉が無くても、感じ取れるようなら、おおよそ普通とは違う事を自然とやってしまうもので。

なので、日常生活から、いくらでも話題は出せる、と。

うん。

そこには、感じ取る、影響を受ける、何かしらを受け取ると、色んな言葉に置き換えれますが、不思議とわかってしまう、が発生するだけでなく、そこに、

「何故そういう物を感じ取ってしまうのか?」と。

自分自身が、自分に向き合ってるからこそ、自分を知れる。

だから、人が変えられる最低限の範囲、自分を変えて柔軟に対応するだけなんですよ。

そしてこういう部分が、総じて、

違いすぎてておかしい

普通じゃない

そう言われてしまう部分なのですが、出来る側からすると、

面倒臭がってやってないだけ

とも言えなくないし、感受性は誰しも持ってるからとはいえ、やっぱり個人差が出てしまうものなので、得手不得手が出てしまうのもわかってる。

なので、必要以上に強く言うことは少なかったですが…。

HSPと言う言葉と、そのブームって明らかに、、ですからね。

日常生活の中でも、自然とやれてしまう、出来てしまう程にあるような事をいちいち特徴に結びつけようとするくらいですから。

あと、気づきすぎる、感じすぎるからこそ、強くもなれますよ。

面倒臭さ、生きづらさもありますけど。

感じ取れるからこそ、強くあれる事も間違いなくあります。

良いも悪いも、弱いも強いも、人以上に持ち合わせてるんですよ。

色々感じ取りすぎる、受けすぎるくらいですからね。


特徴って言うけれど

それはあくまで、研究の中で観察した対象の人が、そういう表現になるような行動、言動、態度ほか、色々示した結果でしか無いです。

また、それを一般的な言葉への置き換えがされてると思うので、特徴になってるから、それがそのまんま特徴ということにはならない、と思います。

というか。

そうある人なら、こんな事言われなくても、気づいて当然。

そういうものだと思いますよ。挙げられてる特徴って。

だから、その特徴と同じ様なところがあるとか、同じ様な事を出来るって言ったところで、それを普段から見せてないと。

また、見せてれば、間違いなく違うだ、普通じゃないだ、相手主観での色々を言われてると思います。

それ以上に自分自身が持ったもの、です。

いちいち誰かの見せた特徴と一致してる所を探すとか、論外。

特徴に合うようなエピソードって色々出せますから。あくまで、個人の話ですが、正直そのくらいないと、全然だと思います。

とはいえ、自分が基準とは言わないし、思いもしないし。

それどころか、自分以上の人が居るのも間違いないと思います。個人差がある=自分よりも高い人が居る、ということでもありますから。

敏感さも、繊細さも、自分だけで言うのではなく、そういう今までを振り返って、周囲と比較した上でどうか?が、言及されなさすぎて呆れもします。

明らかに普通じゃない。

それはもう、成人知能検査の結果やら、臨床心理士の先生とのカウンセリングやらで示されましたし。

感受性とIQ=知能指数は相関関係はないのですが、言語性の部分が明らかに数値化出来ない部分があり、話が伝わりすぎてる、また私が伝える話もわかりやすい、と。

自分で言うのもなんですが、言葉の読み解きは得意な方で、学生時代の国語のテストなんかでもそうありました。

うん。

今どきもう、特徴と一致してるではなく、そういう検査やカウンセリングで示してもらえると思いますよ。

臨床心理士とか、公認心理師の資格を持ってる人に接してもらえれば。

そういう示し方もあるので、特徴が同じ、なんてのは、金魚とアジが同じ魚類だと言ってるのと大差ないと思います。

いや、同じ魚だけど、深く突っ込んだら違うでしょ?みたいな。

そういう、ね。

特徴にして上がる部分も、何故それがあがるのか?という感じで、掘り下げて自分で気付けるんですよ。

そうあるなら。

で、そういう物だから、上辺だけの情報とか、簡単にした程度の本だけに頼るのではなく、もう少し踏み込んだ部分での情報を探して見つけられるくらいないと、言うだけで大したこと無い、と。

今だけの話ではなく、研究が続いてるので、先々でも変化がありうるのに、それに合わせられますか?

ってね。そういうものなので、迂闊にハマらないほうが良いと思います。


実際問題として

自分がHSPかどうか?ではなく。

自身の感受性が、そう言われる程に高い人と、同じ特徴を”示せるか?”だと思います。

だからこう、いくら自分で言っても、それを周囲が見てどう思うか?

ネットでなら、ネットに書いて出したものを、他者がどうみるか?と言う部分でもあるというか。

この辺よくある、理想論や理想的な話も同じく。

自分が思う良いところが肝心なのではなく、その理想が叶ったとしてその中でさらなる不満が生まれないか?

こういう、ね。

それこそ、踏み込んで見えてるのが当たり前なので、自分がどうだけでなく、自他を含めて客観的に見て……というのは、自然と出来ると思います。

それほどに普段から、見えて、聞こえて、感じ取れて、というのを自然とやってしまいますから。

なのでまぁ。

いくらこう、話題や本二飛び乗っかっても、根拠になる部分は違いますから、そこを知った上でうまく扱う必要すらも、追加で発生するものです。

オオカミ少年の話ではないですが。

口で言ってるだけで、実際が示せない、行動で示せないようだと、いずれは自分の首を締めると思います。

で、そういうのが昭和の頃から変わってない、と。

理想や話題性に飛びつくだけで、それが実際にどうなるのか?どうなのか?をちゃんと見据えてないからこそ、過去の地震で原発がまさかの事態に陥ったという感じで、大事になりもするんです。

事故を起こした途端に反対だ、脱だって、さんざん今までその利益を享受してた人が、全体を見据えず勢いだけで言ったところで、今までうるさく突かなかったという過去を捨て去ることはできません。

ほんとこう、目先だけとか、今だけというのは、今後直していかないと。

いくら、後の世代に残さないっても、今まで変えられてないからこそ残ってきたんだから。

本当に残さないようにするには、社会や政治だけでなく、個人個人がしっかり先を見据えないことには、何も変わりません、よ。


あとがき

一体何が見えて、何が聞こえて、何を感じ取って、そういう事言ってる、やってるのか……。

ほんとこう、時代が変わったなんてのも言ってるだけで、その時代、その時代での人が変わらないから、今まで不利益被ってた部分が全然変わんない。

辛かったこと、心の傷の話しをしても、時代が変わったからって。

変わる前に、散々傷つけられたから苦しんでる。

そういう話をしてるんですが?ってツッコミ返されてしどろもどろする。

時代が変わったっていう言い方も、ホントこう、こんな感じです。実際に不遇の目を見てなかっただけでなく、変わるまで話を聞こうとしなかったわけですから。

自分が実際にそういう場に居合わせてない、のではなく。

居合わせた人たちと、物の言い方が全然変わってない、全く同じなんです。そういう目に遭ってきた側としては。

それを時代が変わったと言われようものなら、そうなったから過去を全部水に流せとでも?と言う話でね。散々傷つけてくれた人の傷つけ得なんですよ。

面倒だからって、話を聞かず、相手を知ろうとせず、自分の好きに言ってただけですし。

好きなことを言うってのは、そういう人を傷つけてようが、その時その時で言い訳がましく、何かしら言い換える人と変わらないって言動で示してしまうんですよ。

そういう部分すら、突っ込んで見えてる、聞こえてるのが当たり前なので、痛い所、図星を突く事すら余裕。

また、自分も苦労したとか言いかえる人も居ますけどね。

精神病んで引きこもるどころか、人間不信拗らせてます?とか言うと、コレまた何か言い返そう、と。

言い返せば良いのではなく、話を聞いてね?って言ってるのに、何やってるんだか……。

こういうのは、今になっても嫌ってほどみるし、そんな感じでその場しのぎのいい加減さという、ネガティブを自然と吐き出すから、人の世がネガティブだらけになってないかな?って見えてしまう人もいる。

昭和の頃から、幼い頃から、嫌ってほどそういうのを見てる。

幼い時点で、感じ取りすぎるだけでなく、言葉に対しての受け取り方が違いすぎてて、明らかに痛い所を突きすぎるから、黙って演じて、周りを騙しながら生きてきた。

そんな事すら、余裕で言えるんですよ。

こういう痛いことを言うと、あなたも変わらないじゃないか!という人いますけど、だから何?

変わらないからどうだというの?と返されて、また自分から墓穴を掘る、崖に向かって走っていって追い込まれる。

自分がポカやってることに気づけ無い。

見えるもの、聞こえるもの、感じ取れるものが違うというのは、こういう厄介な部分も持ち合わせてるので、人間社会で生きていくには、自覚して、把握して、それでその環境に合わせて。

そうしないと、まず生きてこれないですよ。

下手すれば道を踏み外して、他者を害すかもしれないですし。

まぁ、道を踏み外そうにも、瞬時に自分の周囲だけでなく、相手側の周囲というその他大勢の悲しむ顔、涙を流す顔が一瞬で浮かんで、とどまらせてくれますから。

踏み外すってのも、相当に感受性がそうあるようなら、自然と自分自身が、自分の頭の中=恐らく脳が、そうあってくれるはずです。

うん。

本当にね。

なんでこう、人間、楽とか目先とかばかり追うのかね。

だからこそ今が生きづらい時代になってるし、そういう時代を過ごして無くても、歴史=日本史なり、世界史なりを知るだけでもおおよそ見えてきますよ。

過去も未来も今も。

一つの流れでしか無いです。切り離せないんですよ。

それほどに、現実、が見えてしまうと思うんだけど。

なんでですかねぇ、ほんとに。

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