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書くリハビリ 受け入れる難しさ

自分のいい部分を認めるのが苦手。

それどころか、わかってるのに、受け入れをするようになりだしても、どうしても否定してしまうものがあって。

幼稚園時代から続く、呪いと言わんばかりの苦。

母親ですら、

「あんたが気づいてるのは大人だけでなく、お母さんも気づけないから。」

そう言われて、抑えるように、封印とも言える形で未だに抑えてる物。

所謂感受性。見聞きするだけで、当たり前のように深い部分を掴み取ってしまう部分。

それが病の根底にあるだけでなく、それ程に目にするだけで見えてしまう。

そういう、苦のお話でもしてみましょうか。


繕っても無駄よ?

本音としてはまさにこれ。

タイトルで話題をさらおうとしてるのではなく、煽ることで、今となっては違う意見を持つ人を怒らせて触れさせようとしてるのでは?

そう言えてしまうほどに、酷い。

中身が無いハリボテがそこら辺に転がってる日常は、流石にドン引きしております。

というか。

申し訳ないんだけど、国語の成績おいくつですか?と。

である・のであるで結んでる割に、ただただ上から目線になってるだけでなく、大して世の中見えてない。歴史も含めて現実を見ようとしてないという人も相当に多く。

これは酷い・・・。

理想という泥濘にはまり込んでるだけでなく。

泥濘なのに、まるでリゾートを満喫してるというようなイメージ。

拘りすぎると拗らせる。

だからこそ、適度に手放して必要があればつかみに行けば良いものを。

その程度も出来ないんですか?とツッコミたくなるほどに、固執してるわ、都合の良い部分しか見てないわ。

そういうのすぐ分かるので。

それ程にあるので、寧ろ都合の悪さから誤魔化してた程なのに。

相談上手なんて言われるような身としては、思いの外、同じと思ってたけど、大して見えてないのね・・・、という事も散々経験してきましたが。

割と直近でも、共感性お化けとか言われたことも有り。

いや、話聞いてるだけで、普通にわかりません?なんだけど、相談に乗る仕事をしてる人ですら、気づけてない、と。

やっぱり、目を反らすかのように、自分自身が否定して、未だ受け入れないようにしてるけど、

流石に過ぎてると、認めないといけないのか?

さて、どうしましょう?

言葉や文字という、目に見えなくとも言語としての実体化を果たすと、どうしても見える聞こえるしてしまう。

とはいえなぁ。

抑えてないと、人の感情を揺さぶるのも言葉や文字という言語なので、抑えなきゃいけなくて。

癒やすどころじゃないんだよなぁ。

こまっちんぐ。


ありえない、が多いかね

HSPという言葉が、繊細さんだ、敏感だ、生きづらいだと扱われてますが。

いやー、申し訳ないのだけど、そういう事を言う根拠は?

これだけで解決しかねないほどに、見えてない、気づけてない、知れてないのは流石にお粗末。

正直、ね?

同じレベルに来たら、精神潰れるどころじゃないぞ?

幼稚園児の時点でそれが既に当たり前だったので、良いも悪いも、自分が苦しむ事になろうとも、無駄に衝突して強いダメージを受けるくらいなら。

弱い方のダメージを選ぶ。

いくら見聞きだけで気づけるとはいえ、相談という場なら一致度がおかしくて驚かれるとは言え、人の頭を覗く事は出来ないので、読めるなんて言えないのが道理。

それがわかってるだけでなく、ダメージの大小での選択を行い、自身の感情も制御してるようだと、

自分はそうであっても、他者は違うのだから、必要以上に追求は出来ない。

そうやって、刃を抜くどころか、抜く前に柄から手を離すのが当たり前、そんな感じが日常というわけですが。

それ故に、ありえない、って良く言われます。

出来すぎてる、普通じゃない、同じじゃない、だからあり得ない。

目の前で様子を見て問いかけてきたのに、正直に答えたら否定されるばかりか、どう答えれば良いのか?と問い返したら、しらん!

うーん?

不思議と見えてしまってる、不思議と聞こえてしまってる、不思議と気づいてしまってる、だから相談や教えるに活かせてるだけなのだけど。

目の前で上手くやってるのを見て、何故上手くやれるのか?を聞かれたのに、上手くというから当たり前とはいえコツを教えたら。

ありえない!

は?意味がわかんないぞ?っと。

自分と違って上手くやれてると判断した上で聞いてきただろうに、上手くやれてる理由がありえないなら、寧ろお前さんが説明しておくれよ?

どこが違うのかを。

さあ見せてもらおうか、その性能とやらを。ではないですが。

見て聞いて違うと判断したり、何で気づいたのか疑問をもったりするからこそ、聞いてきたのでは?という部分の実態って常に否定ばかりなんですよ。

幼い頃から。

幼い頃は、評価に対する嫉妬からのイジメすらも普通にあるあるで発生してたくらい。

うん。

特殊過ぎるものを持つと、理解以前の説明すら聞いてもらえず。

そもそも、目の前で私の行動を見て、違うという判断をして、問うという行動を取った事で相手主導で発生した事態を、発生させた相手が否定してくるという。

とんでもない状況が、日常的に散発してたわけで。

寧ろ「あちゃー、やってしまった・・・」と自分の読みの甘さを反省することすらあったほど。

とは言え流石に、”トイレに行くきたくなって、トイレに行くという”、生理現象としての信号を脳が受けとって「トイレ行ってこよう」というようなのと同じものを否定されると、困りますよ。

真面目な話として。

にわかに信じがたいかも知れませんが。

精神病むどころか、就労支援のA型すら無理で、B型に変えもしたけど、兎に角色んなものを感じすぎてしまうだけでなく、感じたが故に様々に発生する体の状態が、吐き気や空嘔、足の震え、血の気の引きという。

言うなれば、根底に、何がどう合っても否定されてしまう。

理解以前の話すらも聞いてもらえない。

そういうのを、幼い頃から否応なく他者から浴びせられた結果。

外に出れなくなる、動こうにも体がもう止めてと言わんばかりに反応して、気分が沈んでしまうという、うつ病になった身としては。

流石にそれは、児戯レベルなのですが・・・、申し訳ないけど。

というのが多いですし、恐らくありえないという感想もうまれそうだ。

その様に思います。


そう在るからこその苦

休まるどころか、生きるを考えたら、動かなきゃいけない。

でも、体がもうこれ以上無理しないでくれと言わんばかりに、状態の悪化を持って止めに来ているとすら、感じてしまうほど。

それ程に経験を重ねてしまったんですよね。

もう、気力以前の問題。

コンビニとかに買い物に行く程度でも、胃がせり上がるし、意識が落ちそうな程の眠気が襲ってきてフラフラするし。

社会生活の場にでたら、異常を抱えてる人みたいにしか見えない状態が当たり前になってます、うん。

個人としてはHSPについては、否定をしてるのではなく。

生きづらいなんて言わないように注意してるというタイプでも、これだけ経験して、これだけ苦しんでますが、どの程度の生き辛さですか?

どちらかというと、問い、です。

怒られるには理由があるし、正当な理由というのも違う他者が見聞きや判断したものなので、自分の判断だけをもって正当化なんて出来ない。

それが、世の中の当たり前だし、寧ろそういうタイプが怒られてるほうが、自分が怒られるより苦になるので、仲裁だサポートだに行くくらいです。

イライラをぶつけて怒鳴り散らしたって、人が変わるわけじゃないから、上役である以上、寧ろ落ち着きを持ってくださいな。そんな感じで、ね。

疲れてしまうなんかも、ね。

集中したほうが、所謂ゾーン状態みたいに、人の声どころか、動き、立ち居位置、その環境における区画のイメージ、見えなくとも聞き取れる部分からの人の動きの把握、と。

兎に角、感じとりすぎる=脳の処理過多になるので、いくら睡眠をとっても、敢えて昼食を軽くして満腹の度合いを下げても。

否応なしに、意識落ちそうになるとかも、ザラにあります。

脳がもう、疲れたからいい加減休んでくれと言わんばかり。

無理やり落としに来るので、どうしてもうつらうつらしてしまうんですよ。

幼い頃からそういうのが当たり前。でも、人それぞれ違いが在るから同じレベルを求めたことはないし、あくまで自分は自分として、出来るレベル=普通をやってたら、あれもこれもが、違いすぎるだなんだ言われてしまい。

みんな違ってみんな良いとか。

アホクセェ!ってほどに、自身が持ってる違いを、説明の段階で違いすぎるからありえないという否定で無きものにされるのが、

日常だったんですよ。

精神病んでからも、病んでる以上に、復帰だ、結婚だ、子供だ、孫だと周囲の方がうるさすぎて気が休まらない。

いや。

話をそもそも聞いてくれないので、状況把握が出来ていないため、

休ませてくれない、が、正しいです。

うん。

個人として口うるさかったりするのは、こういう苦しみの経験があるからなんですよね。

ぶっちゃけ、ネットを使うには、年齢以上に人としての未熟さから、触れるのは不適当という人多いですよ。

無駄にネガティブが溢れさせるだけでなく、繕いきれずに漏らしてるポジティブに見せかけてるだけのネガティブなんかも見えてるので。

なので、リテラシーとかも触れるんですけどね。

自由とは名ばかりの、自分さえ良ければそれで良いという無責任が溢れすぎてて、もうダメポじゃね?これ。

と。

1人の声は小さいとはいえ、敢えて目を塞いでたけど。

もう、無理ですわ(笑)

だってもう、辛いどころか、体すらも苦しくなるレベルですから、ね。


あとがき

そうある自分だからこそ、何度か大噴火を起こした結果、山体崩壊するかのように、制御して抑えられる余裕が小さくなってしまってる。

下手すると、中二でリアルバーサーカーしただけでなく、普段から大人しいのはガマンしてただけで、お前たちが話を聞かなかったからアイツはああなったと教師が説明して、とりあえず喧嘩は良くないことという叱り以外はお咎めなし。

そんな経験もしてたりします。最近出すようになりましたが。

とはいえ。

やっぱり、抑えてるとろくなこと無いんですよね。

何が無くとも、もう胃がせり上がるような動きしますし、中身出ないけどこの体の反応はアカン・・・が続いてるので、敢えて一旦公開してみることにしました。

本音というか、実情としての苦しみとして。

とはいえ、ね。

苦しさを表現すると、どうしてもネガティブが溢れるだけでなく、感じやすいからこそ出したくないという相反する部分があるので、これはこれでまた苦しさがあります。

なので、過敏性腸症候群の下痢も再発しだしてるし。

胃が重いだけでなく、口角炎すら両側にバッチリだし。

体が反応してるので出すのも有りかなぁ、と。

とはいえ、一時的な公開になるかもしれませんし、場合によっては出しっぱなしにするかもしれません。

流石にいくらなんでも、確定した未来は気づけ無いので、行動を起こして結果を見た上で判断するしかないんですよね。

まぁ、そういう意味では何をどう繕っても、個人の結果論、その寄せ集めが人の世という部分もあり。

過ぎたるは及ばざるが如し。

今でも身を持って様々に感じてます。

ということで。

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