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恐らくそうあった、だから言えること

HSPという言葉とそのブームの中で。

自分もHSPだから、子供もHSPだ、とか。

うちの子供はHSPっぽい、とか。

そういうのは、正直な所、

ちゃんと見定めないと、子供の人生ぶっ壊しかねないです。

そこら辺にホイホイと転がってるような石ころ。そう言わんばかりの情報だ、根拠のないチェックリストだで、判断しないで欲しいです。

うん。

個人的に、自分とは近しい、同じだと思ってた母親が。

「親として守ってたと思ってたら、自分のほうが守られてた」

と、言っただけでなく。

結局、精神やんで転げ落ちたのは自分のせいだ。

最期を覚悟して、モルヒネを打つことを決めてから、これが最後だから、といわんばかりに打ち明けられた。

それほど、です。

うん。

HSPかどうか?ではなく。

実際のその子の、行動だけでなく、言動や判断力、行動力という部分から、幼い割に出来すぎてしまってる。

下手すれば親であっても、そういう部分の都合の悪さから、感情的になって抑えつけかねない。

それほどにある。

そういう所をちゃんと見て欲しい、と思うんですよ。

ほんとにね?

これ、切実な部分ですから。

うん。


あくまで一個人として

何がどうあれ、過ぎてしまうものというのは、自分の意志に関係なく周囲への影響を与えることで、自身に返る刃にすらなってしまう。

幼稚園に通いだしてからというもの。

先生の都合がいい時には褒められるのに。

自分以外の子が怒られてる時に、叱ってるのではなく、イライラからの怒りの感情をぶつけてるだけ、というのを簡単に気づく事になってしまったことで、

自身にとっては、同じ様に見えて気づいてるという部分が、日常的に大人の都合で上げ下げされるのが日常になりました。

それ故に、ね。

相当に困ってたんですよ。

そもそも、そういう部分以外にも今で言うLGBTのT。そういう部分が隠せなかったので、昭和であるが故の部分も相まってくっそ叩かれてたんですよね。

そんな感じだったので、ね。

なんでそんな1日の内に、何度と無く感情の上げ下げからの攻撃をくらうのか?

そこについて、自分のことを知ってほしいから、話し合いをして欲しいと望んでも一切されることがない。

そういう環境にあったんですよ。

これからはLGBTは受け入れられるから、そうならないはずだ。

自動車の運転よろしく、この「ハズだ」が大事故起こします。

そもそも、LGBTだなんだ言っても、当事者の中ですら違いがありますし、今となってはマイノリティの中のマイノリティが発生しつつあるという懸念ももたれたりしてます。

個人としても声をあげてますが。

まぁ。そういうね?

子供にしろ、LGBTにしろ、イメージや言葉で必ずこうある、なんてことないんですから。

個人個人と向き合う、そういう言葉や姿勢、動きが見えない以上、安心なんてなにかの拍子にすっ飛びますよ。

うん。

個人としては、なんだかんだんで、幼い頃から母親にしわ寄せが行くのを確認してたので、成長して色々ぶつかっても、最後に母が言ったのも当然かも知れないという感じで、引き下がるんですよ。

そこで、不安に感じさせないようにするため、引っ越して戸建ての住宅に住んでからは、

早く自分の部屋をちょうだい。

そう声をあげてました。

これは、自身が落ち着くためだけでなく、自身が苦しんでる姿を母親に見せて、心配かけることでの負担をなくすという、2つの目的があったんですよ。

こういうのも、成長してから同級生とかに話すと、そんなのありえないとか、真面目すぎとか、さらーっと流されてましたけどね。

結局、幼稚園と変わんないって感じで、違いに驚くわ、日常生活が真面目過ぎるだなんだと。

ただただ、個人の違いに過ぎないのに、何でそんなに、

何度と無く同じことを言ったり、聞いてきたりするの?

成長してからは、更にこう、大変になってしまうことにもなる、と。

あくまで個人の経験ですが、実際に現実に経験してきたことなので。

そうあるとは言い切りません。

でも、ちゃんと日頃から注意して観察してないと、こういう部分での負担やストレスって無いように振る舞うので、親が気づけなくなるほど。

そうなってしまう、可能性もあります、ということは言えます。

経験者なので、ね。


言葉だけで人は決まらないから

ほんとこう、自身が抱えてるうつ病にしても。

話題になりもした発達障害にしても。

HSPもLGBTも。

言葉だけ知っても、その本質は何なのか?を理解するだけでなく、人として、個人として、それぞれが違いを見せる部分なんだって見れるようにならないことには、何も変わらないと思います。

で、ね?

その違いが、ちょっとでも過ぎると、思いの外無意識的に防衛とも言える行動を取るのも人間なんです。

出る杭は打たれる。

この言葉も、結構、現実にありますから。

ちょっとしたことでの嫉妬だったり、それは贔屓だみたいなやっかみだったり。

そういうのも、出る杭はなんたらの一部なんですよ。

そしてこういう部分は、善悪なんてさっくり逆転しますから(笑)

そういうのを散々やられただけでなく、周囲に居る同級生やらがされてるのを見つつ、仲裁しつつ、止めつつしたりしてきてるので、身にしみて実感してたりします。

また、ね。

HSPなんて、正直なところ、

発達障害とは真逆行きますよ。

幼稚園児の時点で、言語化出来ない子たちの橋渡し、手助けを容易にやってのけてたのもあっての、面倒見が良い、です。

遠足や外への軽い散歩になると、車の接近にいち早く気づくだけでなく、先生任せにしないで必要があれば、同級生の安全にも配慮するので、よく気づく、です。

小学校に上がってもこれ、必ず上がる評価、でした。

でも、自分としては気がつくから、やって当たり前。

そんな感じです。うん。

気づく=検知してるだけでなく、状況を把握して、取る行動をどうするか?を脳が判断してるので。

そして、こういうのが基本形でした。

よく気づく、察する、感づくなんてのは、そういう判断をもっての行動や態度、言動があってからの言われなんですよ。

と、ちょっと長くなりそうなので一旦切って、から深堀りしますよ。


正直、何に気づいてるの?何を感じてるの?

疑問だらけです。

自分にとっての快、不快の話しかみかけないのが不思議で貯まりません。

そういう、快、不快という部分があるから、感情が動いてるだけで、その感情の部分だけで、感じるってのは、正直。

誰しもそうあるのが、まず当たり前。

そういうところに、メスが入るんですよ。

嫌なことを言われたという場合。

何がどうあって、どういう理由から、どんな流れをもって、相手はそういう事を言ったのか?とすぐに気付きます、よ。

しかも、相手の表情や言動、声色という部分からも、うっすら裏側が見えますし、それ故に言われても気にならないどころか、相手が逃げに走ってるなぁとか気づくので、敢えて言わずに流すことが出来るのも当たり前です。

だからこそ、人が良すぎ、と。

周囲から言われるんです。

また、怒られて辛い、なんかもホントお粗末過ぎだと思います。

何故相手が怒ってるのか?何がどうあって、どういう流れで、そこからどういう感情の動きが発生して、怒ってるのか?もあっという間に気付きます。

それどころか、本当に否があればそれも分かるので、素直に反省しますし、謝罪もしますよ。

それでも、頭に血が登った人は収まらない事があるので、そこは我慢。

もっと注意を払って行動してればそうならなかった。怒られながらこういうところも気づけますし、何の問題もないです。

ストレスにはなりますけど。

疲れやすいなんかももう、酷すぎじゃないですかね?

仕事だろうが、学校だろうが、本来なら楽しむための出掛けであっても。

精神的に疲れたり、身体的に疲れたりするのが当たり前。

疲れを感じるだなんて、入浴剤があってCMされるくらいですから。当たり前の話でしかないのに、なんでこうHSPって言葉を知ったからって繋げるのか、意味不明です。

また、ね。

音だ臭いだなんかも、小さすぎる物の方に気づくことが多いですし、日常的に何はなくとも、嫌でも音が振動として耳に入れば少なからず脳が処理してくれてるんですよ。

辛いとか、辛くない以前の問題。

見ようとして、聞こうとして、匂おうとして。各感覚器を意識して使わなくても、常時感じとって、大した異常じゃなくてもあれば、脳が切り替わって勝手に意識させてくるくらいです。

それ程に、1日だけでも、感じとりすぎてるんですよ。それを、何かしながらであっても、少なからず体のいろいろが動いてるので、エネルギー消費の合図と言わんばかりに、意図せず合図として気付かされます。

こういう部分が、普通じゃないって言われるわけですが。

そうは言っても、人それぞれ違いがあるし、身体自体も同じ血を分けた兄弟ですら差が出るものなので、普通なんて、数値化して統計とるとかしないかぎりは、感覚的でしかなく曖昧なんですよね。

それが出来てる、身長や体重なんかはデータとして見れますし、そうあるからこそダイエットするしないの判断が出来もする。

言うなれば、HSPでいわれる診断基準がない、の逆です。

個人でできる判断基準レベルのものもあり、それで個人個人判断してる違いの一環には、身長とか体重もありますし、計測しない以上パッと見では判断出来ないですよね?

HSPも、そういう違いと同じなんですよ。

この人と同じくらいにあるから、私の身長はこの数値です!

そう言ってるのと同じなんですよね、今のHSPブームに乗っかってる人の多くって。

そういう情報と、多分ココが同じなので、私はHSPです!

どうでしょう?


違いの扱いの話

正直、自分では当たり前のこととは言え、周囲から見ると良いも悪いもが振り切れてると言わんばかり。

そして、良い方は妙に持ち上げられるし、悪い方は事の流れや状況関係なく相手の気分次第、感情次第で叩かれる。

違いすぎる、と、そういう扱いを受けるんですよ。

会話のコツについて触れた時に、個人として教えないと言ったのも、こういう部分からの経験もあります。

どうやったらそんなに上手くできるのか?

と、聞かれたので、自分の実際を答えたら、

そんな事出来るわけがない。

そんな事ありえるはずがない、そんなはずはない!

聞いてきたのに、何でかこう話が急にありえない、おかしいになって、叩かれることになる。

そういうのを嫌ってほど経験してるので、「教えないんです」

うん。

そもそも、気づく、感じるなんてのは体があるからこその、影響に対する反応とも言えるんですよね。

それを、違う体を持ってるからこそ、ありえないなんて言えたものじゃないのに。普通という言葉を持って、その枠にはめようとされてしまうことすらザラで、なんでかこう無いことにされようとするんですよ。

私の体の反応なのに(笑)

何かしらの計測器を持ってて、計測してくるわけもなく。自分たちと違いすぎるからおかしい、ありえない、ってね。

周囲と違う程度なら、良いも悪いもを軽く流して、陰でアレコレいうのが人だったりもします。

そういう陰どころか、目の前で見て、目の前で聞いてるその場で、ありえない、おかしいって直接いわれるんですよ。

要は、多少の違い程度なら、サラっと流しもする。

日常的に周囲を観察してたら、そういう部分に気づけるほど、そうあるんです。

目に見えてますから。

それが、何でか自分だけは、相手が妙に騒ぐ、と。下手すれば、周囲にいる人を巻き込んで、多勢に無勢をしてくるくらいですから。

学生時代なんて、そのせいで、呆れるやらなんやらで、怒りすら湧かない程だったんですよ。

でも、それが、今度は学級委員だ、実行委員だ、何かしらの役割を決めるとなると、

「アイツはよく気づくから、アイツに任せよう!」

「それが良い、それが良い(同調」

こうなるから、ストレスになる、と。

成長してからは、大人しくて真面目だけでなく、こういう部分を制御してたのもあって、人に強くでなさすぎという部分から、気を遣いすぎだとも言われるくらいなので、やらせると負担が見えそうなのですが。

押し付けるだけ押し付けたら、言い訳ばかりして、いざとなると逃げる。

学生時代からこれで、社会人になってからも同じ経験をすることになる。

うん。

情報だけでなく、個人がもつ違いレベルでも、ですよ。

あの人はこういう人って流してもらえず。

都合の良いところだけを見て、取り上げて、都合の良いように扱う。

そうあるのが人なのだ、と。

ユリウス・カエサルという歴史上の人物には、頭下がる思いになるほどなんですよ。

人と違う、だから浮いてしまうなんてのも、ね。

どの程度違ってて、どの様な扱いをされて、何が原因で浮いてしまうのか?を説明できるほどに、

気づいてる、感じ取ってる。

そういうものなんですよ。

あくまで、個人の経験の話ですけど、ね。


あとがき

ホントこう、あーやっちゃったなぁ、と反省しつつも。

ある意味、抑えてた抑えを外してるので、制御しきれず暴れてる、それどころか今まで抑えてきてたから、深すぎて掴みきれない。

それ程にあるくらいなので、すごくしんどい思いをしてたりします。

よく、相談相手を見つけたほうが良いって言われましたけど。

自分をよく知ってそうな、母親ですら、隠す物がいっぱいありすぎて。

外になると、余計に出来ないんですよ。

どうしてもこう、現実としてどうあるか?以上に、それが相手にとって都合が良い悪いという、感情論が挟まってしまうので、話が噛み合わなくなるのも当たり前、だったりします。

だからこう、自分のほうが抑えてるわけですが、抑えてるからこそ負荷がかかるだけでなく、相談した相手の方が、私が思い通りにならないから、という感じで逃げますから。

相談なんて、出来たもんじゃない(苦笑)だったりします。

相談って、解決するためにするんじゃないんですよ。

結局、相談した側が自分で向き合ったり、対処する必要があるのが現実なので、解決するのは最終的に当人なんですね。

だから、下手なアドバイスして、思い通りにならないとか、相談じゃない、と。

ホントこう、言語化という部分では、話を聞いてましたか?って事が多いです。自分が相談すると、ね。

で、相談上手だ何だ言う人なんかも、普段は乗ってもらってるからと聞いてくれたりしますが、同じことやるんですよ。

貴方のためにアドバイスしてるのに!って。

そのクセ、驚いた時に説明しても、出来ない、不思議だ、ですから。

相談上手なんて判断を下す以上、結構身近な人ですし、相談とはいえ複数人で集まってる時、突然始まることもあるので、現場を見てる程なんですよね。

結局こういう部分でも、コツだなんだを伝えた所で、出来ない人のほうが多いです。

おそらくこう、言語化っていうんですかね。

脳での処理の部分が、違ってるかも知れない。そうある身なので、脳での処理という部分には、少なからず可能性として着目してたりします。

うん。

ほんとね。

体の持ち主は自分なのに。

違うというだけで、周囲が無責任というネガティブを散々ぶつけてくれました。

今でもこう、「そういうつもりはない」と言われてしまいそうなほどに、やってる人が気づけてないことを気づくくらいですから。

面倒とか、不便とか、寧ろそういう部類だったりします。

余りにも受ける影響が多すぎる、それ故に情報量と処理量も多くなる。

意図や意識しなくても、自然体がそれなので。

今となっては、辛くなったら意識を閉じる=眠るしか対処できないんですよ。

そして、こうなったのは、恐らく。

幼い頃から、受容がされないどころか、今ですら時代が変わったの一言で詳しく聞かずに流されるもんだから、

休もうにも、ケアがないので、やすめない。

仕方のないことなので、気にしないようにはしてますが、それでも相当に深いところでは、助けを求めたいと言うか。

受容をもっての、安心を得てみたいと、思ってるような節もあります。

ということで。


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