久しぶりに色々と
あれほど色々触れては、物を言っていたのに。
突然言わなくなってしまった。
という感じでかなり期間が空いたわけですが。
ここ2,3ヶ月程はTwitterの方で、自分では珍しいほどに。
言うなれば、過激、です。
結構、自分にとっての言葉汚く、という感じで色々ぶちまけてたりもしてました。
また、それ以上に。
色々あったので、その辺から触れてみましょうかね。
なぜ触れなくなったのか?
特にHSPという言葉には、何かに拘ってるかのように触れてたわけですが。
正直、「無駄」を感じました。
まぁ研究してるわけでもなければ、現役で心理学を学ぶ学生でもないので。
と、言う事以上に
自分自身が、受け入れきれてなかったので。
限界を感じたし、それ故に、今の自分が何を言っても無駄になる。
その様に感じたので。
さらに言えば。
そうなると、やろうとしても出来なくなります。
もう、ね。
下書きを始めたところで、うん、これは無駄だね。
みたいになってしまうんですよ、不思議と。
言いたいことを言う社会
なんて、言っちゃってる人いますが。
ぶっちゃけ言うだけでは何も変わりません。
また、その辺についての感じ取り。
言う事の必要性、タイミング、意味はあるのか?他色々。
正直、こんなの要らないと言えるほどに、面倒も多いんですよ?
という感じで、何をしようとしても「意味がない」を感じてしまうので。
書けなくなってしまう、と。
そんな感じの状態でした。
ほんとこう、とにかく細かいことを感じすぎるし、それで自身の行動への制限としての作用にもなれば。
周囲にいる人達が、それこそ驚いてしまうほど。
色々細かく、考えて、判断して、常に自分に問う。
こうなると、確実に出来なくなってしまう、という状態に仕上がるわけなんですよ。
なので。
気づきすぎる、感じ取りすぎるというのは、とにかく面倒くさいが先。
生きづらいなんて気にならないほど。
そういう日々を過ごしてました。
現状について
若干、ヤケクソ感もあるかのように、Twitterでぶちまけてました。
そしたら、不思議とこう、
「やっぱり、自分が受け入れきらないとダメだな」
という状態になり。
嫌でも感じ取って、気づいてしすぎるどころか、自然と行動してしまうことで、とにかく否定を受けてしまう。
という、ね。
否定を受けることすらも、受け入れる事ができた状態です。
今まではこう、どうしても受け入れきれないというか。
過去の記事でも書いてますが、分かってたはずの母親ですら、成長するに従い油断をする事になったキッカケ。
「自分じゃない自分になる。周囲が望んでる自分になる」
というのを、小学校に上がったくらいの年齢で、強めの自己暗示をかけてしまってたので。
今まで、受け入れることが出来ておらず、それ故に、自分自身のことなのに他者が言ってる部分でしか触れられなかった。
そんな感じでした。
なので、意味がないことやってんぞ、おい。
とか、感じちゃったんでしょうけど。
こういう部分について、Twitterの方では、呪い、という表現を使いましたが、正にそんな感じです。
それ程に、幼い頃から、メンタル病んで引きこもってまでも。
「とにかく否定の嵐」
でした。
トンデモねぇ、環境だぁ!って、書いてる時点では言えてしまう程。
そういう、何はともあれの幼い頃にかけた、自分への枷。
それが、ようやく外せる程度には、受け入れることが出来た。
それを実感しつつあるからか。
再度、投稿してみようかな?
という感じになったので、今、これを書いてたりします。
過ぎるということ
とにかくこう、社会から外れてても。
ともすれば、気づきすぎ、感じ取りすぎというのは、嫌でも発動してしまいます。
なので、とにかく口が開けない。
過ぎたるは及ばざるが如し
口は災いの元
幼い頃から、散々経験してきましたからね。
それ故に呪いじみた自己暗示をかけたわけですが、それでも、どうしても出てしまうわけです。
本当に不思議なほど。
「自分たちとは、違いすぎる」
周囲は気付いて認識してるのに、毎回のように普通だ、同じだを掲げて好き勝手言ってくれます。
面倒くさい…。
更には。
現在、通院してる病院では、話を聞いてくれる=受け止めてくれる実感が持てる、なので、落ち着いてますが。
「他の患者さんはそういう事を言わない、だから、貴方の勘違い」
みたいに、”病院で言われてましたから”
いや、すんません。
私は私。
いくら、他の患者さんが居るっても、比較でそういう事を言われるのは、納得いきません。
というような、扱いすら受けてたほど、です。
「何故、個人の感じる感じないが、他の患者さんと比較されて否定されるのですか?」
何が悲しくて、これを、医師に問わなきゃいかんのじゃ…
そうじゃないと、事細かに感じすぎてるというのは。
それ程に、自分自身も見抜かれてる、ということにもなりかねず。
無意識のうちに、個人の感じ取るが過ぎてしまうので、見抜かれてるに変化し、防衛の行動、言動を取ってしまう。
というのは、常に感じ取ってたりします。
そういう状況になり、それが感じ取れるほど出てしまえば、ですが。
何故気づけるのか?
一瞬でも、目を瞑って、頭を振る。
これ、やるんですよ。
やらない人は居ないってほどに。
眼の前の現実に否定を入れてると言わんばかりです。
しなかったのは、臨床心理士さんだけ。
それでも、一瞬固まって呆然とします(笑)
こういうのって、とにかく気づく、感じ取るという人には、それまでの状況ではなかった「異変」として、感じ取るんですね。
とはいえ、あくまで個人的なので、皆が皆そうでもないかもしれないですが。
なのでまぁ、一瞬たりとも気を抜けない。
そういう”相手”になりかねないんです。
他者にとっての、ね。
なーので。
今までも、個人として言ってたんですよ。
感じ取りすぎるって、すっごく大変だし、生きづらいなんて言ってたら、
「生きていけないですよ?」
うん。
個人として当てはめない理由
感受性が高いという表現はする。
気づきすぎる、感じすぎるとは言う。
でも、HSPという言葉を当てはめないのは何故か?
それは…
今ほど色々出てきて情報が固まる以前のWikipediaであっても。
「これはまだ、人に対して当てはめてどうこう言う、という段階じゃないよね」
って、それこそ、”気づいた、感じ取ったから”です。
現時点でも。
最近は追えてなかったですが、研究されてる方が補完してくれもしたので、情報はその当時より充実してると思います。
素人目線でも、そう実感出来るほど。
診断基準がないというのもそうですが。
それ以外での、確証、確定要素となり得るものがない。
なので、当てはめない、です。
更には、
まだそういう段階なので、研究が続いてる。
だからですよ。
ある程度の結果が出ても、研究が続くというのはあるわけですが、その場合、
”何らかの基準が出来た状態、かつ、基準についての情報は一般でも知れる”
です。
それこそ、WikipediaやMSDマニュアルなんかで。
そうじゃないですよね?
だから、当てはめない。
当てはめて、大々的に自分がそうだと主張してる人は、
正直、何も気づけてないから、知れてない。
ダメダメだと思います。
気づきすぎる、感じすぎるというのは、都合の良し悪しなんてすっ飛んでしまいます。
それ故に、分かりすぎてる、という言われ方もします。
相談をよく受けてた時期がそうでした。
「なんで、今の話を聞いただけで、”そこまで分かっちゃうの?”」
毎回否定しなきゃいけないわけですが。
正直、分かってない。というか、分かるというのは無理なんですよ。
それは何故か?
話を聞いただけで、実際にその場に居たわけじゃないので。
更には、相談内容次第では、片方の人の意見しか聞けてないので。
分かりっこありません。
でも、相談した相手にとっては、
「多分とか、おそらくとか言うけど、一致しすぎてる」
になってしまうので、分かってるという判断、解釈がされるだけ。
この場合、相談した相手にとっては、気づいてなかったとか、そう言われるとは思わなかったとか、悪い要素もしっかり伝えてたりします。
だからこそ、余計に。
「分かってしまってる」と、判断される。
それ程に、異質、なんですよね。
何度か言われましたが、
「その場に居たはずじゃないのに、まるで見てきたと言わんばかり」
そういう、相手側の意見に対して、
「気持ちはわからなくないけど。不思議とそうなってしまうだけ。何でか気付いてしまうというのが、度を越えてしまうだけ」
なので、感受性、だけでは説明しきれない、不足する要素もある。
そういう部分も持ってるんですよ。
それ故に、余計な混乱を避けるためにも。
自分には当てはめない、名乗らない。
そういう、着地の仕方になってしまう。
そんな感じです。
それでも、そうある個人には。
それこそもう、幼稚園に通いだして。
周囲に、同じ年齢、同じ世代の子供が大勢居るという環境の中で。
とにかくよく気付いて、色々手伝ってくれる。
聞き分けも良い。
幼稚園の先生にとっては、これほど扱いやすい子というのは居ませんよ!みたに評価をされ始めました。
以降、
聞き分けが良い。
真面目。
よく気づく。
配慮ができる。
様々に、良い評価ももらっては居ます。
ですが、これは、その評価をした人にとって都合が悪くなったら、
「普通じゃない、おかしい、ありえない」
に、変わります。
馬鹿馬鹿しいほどに、何度となく。
コレに遭遇しなかった、年はありません。
うん。
それすらも含めた上で、
「幼い頃からの普通がコレですよ?」
って、言えてしまうわけなんですね。
社会人になって。
経営統合だなんだと経験して。
気づけば大手、万人規模になっても。
「貴方みたいな人に会ったことがない」
こういうことすらも、それなりの頻度で言われてます。
とはいえ、これらは総じて、
既に、そういう個人として、行動をした結果。
です。
行動に出てしまう。
それも、驚くほどに。
なので、評価をされるわけです。良い方にしろ、悪い方にしろ。
結果が無ければ、評価って生まれないですから。
なので、他者からすれば、出来てる、であっても。
そうある個人からは。
普通のことだし、いつも通りにやっただけ…なのですが。
どうしてこうなるの?
です。
眩しさを感じるとか。
人の怒りが苦手とか。
そんなの、当たり前とか、普通の範疇なんですよ。
そういう感受性を持ってるから。
それ故に気付いてしまう、感じてしまうのは、当たり前だから。
そして、こういう部分も、上で書いたような。
自分はHSPです!と、しない理由だったりします。
そりゃ、ね?
普通にしては度が過ぎてる、とか。
敏感どころか、鋭敏、とか。
下手すると、お前本当に人間か?とか。
嫌でも言われますし、普通じゃないんだなってのは実感します。
でも、個人単位として、出来ること、出来てしまうこと、自然とでもやってしまうこと、という範囲であれば。
ただただ「普通の事。それも、幼い頃からずっと変わらず」
そういうものなので。
特別扱いする必要が、一切ないんですよ。
後天であっても、得てしまえば。
特別にもなりえますが、特別だと認めさせるには、
結果のみ、です。
それに対して、頑張ろうが、努力しようが、認められなければ。
足りない、なんですね。何もかも。
それが人間社会です。
そこを嘆いてしまうのは。
自分が、努力した、頑張った、特別だ、そういう事に「固執してるだけ」
です。
というか、個人としては、普通に生活してるだけで。
引きこもってる今ですらも。
機会さえ発生してしまえば。
「普通じゃない」
良くも悪くも、言われますし。
嫌というほど、何度と無く、なので。
「またこれなの?もう、止めて…」
って、うんざりするくらいあります、よ?
あとがき
オマケのあとがきコーナー!
って、何の面白みもないわけですが。
まぁ、結構、苦しんでました。
やっぱり、自分自身が受け入れられないというのはネックでしたし、そこに幼い頃の自己暗示が関わってるのもわかってる。
でも、外すことが難しい。
だから、自分自身が受け入れられない。
それが可能になったのは、やっぱり通院他で、話を聞いてくれる=受け止めてくれる人、というのが現れたから。
分かってるからこそ、受け入れてもらえないというのは、相当な苦です。
生き地獄と言っていいほど。
なので、他者からの受け入れという救いを欲してました。
そこが、分かってるはずの母が出来なかったので、後悔の話と謝罪をされた。
意外と、重いものを背負ってたのだなぁ、と。
今なら実感出来てしまう程。
それ程に、変化、もしました。
それを、言葉だけでなく。
表情や感情、接し方も含め。
ようやく、聞いてもらえるように、なったかな、少しだけでも。
という、安心が得られたので。
再度、記事も書けるようになった、という感じです。
とはいえまぁ、今になるまで、状況も色々変化してまして。
障害年金も2級ということで、支給されるようになったり、と。
思いの外、深刻じゃない?
気づきすぎる、感じ取りすぎるだと、少し壊れてるとも言えるような。
そういう人に仕上がってしまいます。
ある意味、分かってしまう、という状態であるのも確かなので。
辛い、ということすら、何がどうあって、どういう流れで、こうなってるから、辛いのだ。
という感じで、感情よりも言葉での処理が先になってしまうし、それ故に通院してると、客観視というのが出来すぎてる。
そう言われたりもします。
そこもなんとなく気付いてるのですが、判断という部分では、良し悪しも含みますし、良し悪しが含まれると感情も含まれてる。
なので、主観もあるはずという部分と、否定を受けすぎたという経験があるがゆえに、客観寄りにならざるを得ない。
そんな状態が、長らく続いてました。
また、それが気がついたときから、物心がついた頃から、でもあるので。
主観だ、客観だを言い出すと、結構カオスです、カオス。
混沌とします。
また、そういう部分には、個人としての内側。
心理や、精神、思考が絡んでるので。
やっぱり、受け止めてくれない相手から、あなたはこうだ!って言われても、
何も分かってねーな…にしかならない。
自分自身から進んで難しいというくらいなので。
そう簡単に、他者が対応するのは余計に難しい。
でも、付き合ってくれる、話を聞いてくれるという、実感をもてるようになったので。
以前にくらべると、それこそ自分が避けてきていた、自分自身の受け入れができてる。
そういう実感を得られてます。
いやー、長かった。
というか、まぁ、それでも人生残ってますから。
良い悪い続くんでしょうけど。
とりあえず。
口の開きすぎというか、言葉の出し過ぎには注意しますけど。
今まで以上に、痛いことを言うかも知れません。
うん。
ということで。
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