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そう言えば最近夢を見る 4

あまりにも違いすぎたからなのか?

幼い頃に、本能的と言わんばかりに違う自分になるという事を課したという事は、それほどに違いすぎてしまったということだった。

そんな生活を、それが普通だからと言う理由だけで続けてきた結果、現実に対しての向き合いが相当に辛くなってしまってたのが、引きこもり期間。

現実が夢であってほしい。

嫌な夢は覚めてほしい。

眠る前にそう考えながら眠る。

環境感受性という言葉から、ネガティブな影響を受けやすい、ネガティブな環境とそういう影響もあるのだと知れるまでは、何でこんなに自分は周囲だけでなく世の中のネガティブさを感じてしまうのか?と疑問を感じていて。

それ故に、もう嫌だ。

意識を閉じるために必要以上に眠りを求めて、眠るようになってしまってました。

今回はそんなお話。


一線を退いたところで

周囲からもたらされるのは、ネガティブなものばかりだった。

とはいえ、何も感情的になってるというものではなく。

何かあれば違いが過ぎて色々言われる。そんな私なのに、私がどうしてそうあるのか?を触れようともしてくれないどころか、自分から主張しても否定をしてくる様な人が、メンタルを病んでるからと、その人が良いと思ってるだけの事を兎に角なんやかんやと言ってくるわけで。

それに対してもう、合わせるのは限界でした。

合わせすぎたがゆえに限界を迎えて、朝になって起きれば何が出てくるわけでもないのに、吐き気と空嘔を起こしてしまう。

それでも何とか頑張ってたらもう、自然と涙が出てしまい、動けなくなってしまった。

病院に通う切っ掛けがここであって、それに対して理解をしめしてくれたのは母だけでした。

父はまぁ、母というクッションを置いた上で、それほどに悪い状態という察し程度は出来てたものの、母が亡くなってからはやっぱり自分がいいと思うことを何度と無くぶつけてきて。

かといって、友人の方も、兎に角外に出たほうが…という感じで、もう無理だ。外に出てしまえば、ただでさえ光を感じやすいだけでなく、家の外という環境に出てしまい、自身がそれに自然と適合することでの負荷にももう耐えられない。

だから、外に出れないと言ってるのに、それに対し病んでるからって外に出ないのは…。

いい加減もう、話を聞いてくれ。病んでるのは私なんだ。

そうやって話を聞かないまま、聞いたところで違いすぎておかしいと言ってしまうのを直さないままだと、流石にもう対応しきれない。今までは、私がそれにたいして譲歩する形で対応してただけに過ぎない。

だからこそ、負担やストレスが溜まりすぎて、外に出れなくなってしまった。

それだけでなく、もうテレビすらも目にするだけで神経が逆立つほどに、主観的な不満や、対して知りもしないくせに、自分がこう思うからと好き勝手に言いたい放題。

もう、ダメなんだよ。対応しきれなくなってしまったんだ。

だから、眠らせてほしい。こんな現実から切り離してほしい。

そこまで追い詰められてしまい、眠りという意識の閉鎖にすがるように眠りの時間が増えていったわけです。

そのせいか、呆れるほどに眠れてしまう。

意識を手放したいと願ってるからなのか、常に泥のように眠る言う状態すら感じられる。

そして、そうして眠りに助けを求めたせいか、ある時夢を見ていないことに気づいたわけなのですが。

もう、いいや…

最初のうちはいつもどおりと言わんばかりに、それを突き止めようとしていたものの、どうしても受け取ってしまってるネガティブな影響が多すぎたからか、

そんなに、眠ってばかりで…

と言われなくもない状態に陥ってしまったのでした。

まぁ、今思えば、なんてこった…って感じなのですが、そうなってしまったのには、ストレスが捌けてしまわないことも関わってきます。

ですが、そこにはとんでもない難しさがあったんですよね。


そもそも感じやすいのだから

影響を受けやすいし、そこには良いも悪いもがある。

そう。

気づきすぎる、察しすぎるからこそ、自分ではない自分になり普通の生活をするという部分では、無意識下で相当にストレスを実は感じてたという。

そもそも、楽しいものがそうそうない。

これも、感受性がそうさせるのか、楽しさを感じるものってまさにオタク気質と言わんばかりに、突っ込んで掘り下げてる時、理解する難しさはあれど深い所に踏み込んだような内容に触れてる時でなければ、大して楽しさを感じても居なかったんですよね。

それが示すかのように、家で勉強しないけど、授業をうけてるだけでそこそこの成績が取れてしまってるという感じで。

中学から高校に行く際も、まだ上が狙えると言われたものの、

は?めんどくさいのでやらないです、上に行くのが良いと感じませんから。

こんな感じでした。学校にいって勉強をするという行為は私にとってはベルトコンベアで流されるようなもので。楽しさも何も無いような物にしか映らなくなってたんですね。中学に上がる頃には、既に。

また、そうなったのは幼い頃から、自分が好きで触れようとしてたものに対して、長男だから、跡取りだからという物言いでストップをかけられてたのも問題で。

母はその辺好きなことをしていいと寛容だったものの、父がそうではなく。

幼い頃からの男の子らしくなさを個性として受け取れずに、母に対して怒りをぶつけるなんてことを日常的にやってた人なので、父を怒らせると母に負担が行く。

母を守るためには、というのが、そういう自分の好きを追うことにストップをかけさせるという効果まで出してしまってもいました。

正直、この辺もう少し周囲が…と思います。今更だけど。

というのも、こういう話になっても、母には味方が居なかったんですよね。

そう、長男で跡取りというのを病んでも突きつけてくるくらいの叔母達も、母がそういう部分で困ってても、私が長男で跡取りだからと…。

とんでもねー、家庭で家系だなぁ、おいいいい!な状態だったんですね。

子供がそんな事気にしなくていい。

無理ですよ。色々感じてしまうし、その感じてしまう事に対して、成長するほど深堀りが出来てしまう。

そもそも、そういう察しが出来てたからこそ、借金だ何だで大問題にならずにすんだわけですから。という余談。

うん。

なんていうかこう、本当にね。

生きづらい?その程度で?と言わんばかりです。ブームなんて。

察しが良すぎるがゆえに、現実や人間の生活の深い部分が見えてしまう。そこにはおおよそ見えないほうがまだマシという、真っ黒い物が潜んでるんですよ。

それに気づくだけでなく、その黒いものを抑え込みに行けるのが自分だけだからと、周囲からすれば自己犠牲が過ぎると受け取られてましたが、見えてしまってる以上それが悪さしてしまうのは看過できるものではありません。

もしそうしなかったら、可能性を逆方向に、過去のifとして使えば、誰かしらの命が失われてたかも知れないし、大事になって世間的なバッシングをうけたかもしれない。

現状ですら、話題の種になったものに対し、上辺だけの善悪、上辺だけの薄っぺらい正義で好き勝手やるひと、言う人って多いじゃないですか?

自身が当事者でもないのに、寄り添ってると言わんばかりに加害者だから、悪だからと、深いところを知りもしないまま、自己満足の正義のために叩く。

ネットがない時代でも、人の有り様を見てると、そういう部分ってあったんですよ。

まぁ、その、ね。

そんな状態でしたから、ストレスなんて吐けるわけがないんです。楽をしようとして置き去りにされてるものに対してすら、芽を摘みに行くなんてしてたわけですし、だからこそ面倒事を抱え込むというね。

そういう状態、立場にも自然となってしまうわけで。

そこに対して話し合いをお願いしたとしても、されたことがない。

それでも、私は気づきすぎてるから、普通じゃないから、そうあってしまうのだ、と。

認知を歪ませるように生きてくしかなかったんですよ。


実際問題として

そんな状態だったので、中学2年位から、いくら眠っても疲れが取れない。体を起こそうにも、相当に気を入れて踏ん張らないと起き上がれない。

今で言うなら、うつ病と診断されるような状態になってました。

とはいえまだ、時代は根性論というか。

精神疾患に対してのもののみかたも、まだまだ忌避というのが強かったので、ストレスというものすら、あまり深く触れようとしないような時代でもありました。

何も、個人の感受性が過ぎてて、気づきすぎるからこそ、深い所が見えてしまうだけで、私がそうなってたわけでもないんですよ。

そういう環境が醸成されてて、そこを崩せなかったからこそ、そうあらざるを得なかったという背景もあります。

そのせいか起き上がれないだけでなく、過敏性腸症候群での痛みも顔面蒼白が当たり前。学校に行けば心配されども、薬を飲んだからといえば深入りせずに触れてこない。

我慢するな、無理するななんて言われることもない。

また、授業中に突然、今で言う抗えない眠り。今だからこそ、即座に眠って休めるものの。

抗えない眠りと言ってますが、寧ろ体のほうが防衛的な機能として、意識を閉じさせようとしてきてるんですよ。ストレスなり、感じすぎた分の処理なりで、負荷がかかってるわけですからね。

表向きの意識とは別に、無意識側でのバックグラウンドの処理みたいなのが実際に発生してますし、だからこそ、集中してても音やら声やら、焦点から外れてる視界の端に映るものやらに気づけるというか。

そういう、目に映ってるもの、耳に届いてるものに対して、自分の意識が向いて無くても、自然と処理してくれてるんですよ。

だからこそ、臭いや音での異常にも気づきやすい、と。

結局そうあるからこそ、脳が疲れ切ってしまう。そうなってたかは、あくまで可能性、過去を振り返った今の自分からすれば、脳での処理が半端ないからそうやって意識閉じて脳が休もうとするのは、当たり前かな…というのが実情でもありました。

そういう意味では、うつ病と診断された時の状態って、既に社会人1年目でも経験してたんですよね。

でも、その頃はまだまだそういう精神疾患も見聞きしないだけでなく、せっかく良い所に就職出来たのだからと、無理矢理にでも仕事に出向いてて。

仕事先でしばらくの間、トイレに駆け込んでは、おええええええ!ってやってました。

でも、そういうのもね。悪く言われてたんですよ。

体が弱いだ、影で遊んでるだ。

お前ら普段は私に、真面目すぎだから…って言うくらいなのに、そんな事やる人間に見えるのかよ!

ほんとこう、その時その時の上辺だけ、その時その時の気分で衝動的に、なんやかんや好き勝手言ってくれる割に、話し合いをお願いしたところで、真面目すぎ真面目すぎって、それをお前が飲めだと、何も解決しませんがな…。

ほんとこう、幼稚園に通うようになって。

ただでさえ気づきすぎる、察しが良すぎるというのがわかってるのに。

個人として相手をしてもらえない。

そんな環境で30年近く過ごしてれば、精神も病みますよね…というのが実情だったりします。

眠いんじゃなくて、意識が閉じてしまうっていうね。

ナルコレプシーみたいに、突然バタンはなかったものの、授業中にその姿勢のまま眠ってしまったけど、気づいてもらえず、気がつけば授業が終わってたなんてことが、高校に上がってから途端に増えたんですよね。

でも、そういう症状を持ってる人が周りにいない。

出会ったことがないから前例がない。

だからお前がそんな物のはずがない。

うーん。

なんでこの、体にすら普通ではない状態が出てると訴えてるのに、普通を押し付けられたのか。

そこで、押し問答にしかならないから、気づく、察するという部分で、話すこと自体が無駄になるという、ね。

悪循環にも陥って当然なのでは?

まぁ、今となっては過去の話なのでね。

あくまで、過剰なほどに眠りにつける、眠ることで意識を閉じて、現実から自身を切り離すという話の、オマケ、余談なんですけど、改めてこう文字にしたり思い出したりすると…。

とんでもなさすぎて、少し笑いが出てしまうくらいなのでした。

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