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さてさてさーて?

七つの大罪のメリオダスの口癖で始まる今回なのですが。

いやー、偶然で片づけても良いのだけど、ね?

何の流れも無しに急変すると言うのは、いくら諸行無常だなんだ言っても、連続する日常の変化の中に極端なイレギュラーの観測させられる事で、逆に違和感、疑問を感じる要因になるだけなんですよね。

その、イレギュラーってなんなのか?というと、5人に1人を見なくなったのと同じです。

生きづらいだ、繊細さんだというHSPの記事がおすすめにでなくなったんですよ。

あれほど、何でこう表示されるかな?と疑問に思いながら過ごしてたのが、突然表示されなくなる。かといって、その手のHSPについての記事って頻繁に上がってる。

うーん?(苦笑)

まぁ、少なからずプログラミングだなんだも勉強してきてるのでね。自分で設定する所がない以上、そういう部分からも疑いが出てしまうだけでしかないわけで。

やれやれでございますわねぇ。


とりあえず、どん!

はいよー、いつもの一丁。

こういうサイトもあります。

感受性が高ければ相応に気づけそうですが、経験や体験だけでなく、情報も時には何かしらのカードにもなりうるわけで。

そういうのを嫌と言う程、色々こなして来てるという部分からも、

知ろう、学ぼう、考えよう

という、事を言うんですよね。

また、知るという事は視覚から刺激や影響を受け取るという効果もあります。そういう部分で、自分は見たくないからと目を背けるのはその刺激や影響を受け取る事を、自らの意思で拒否してるとも言えなくない。

とはいえ、人間感情があるので、それも仕方ない事なんですけどね。

ただ、心理学や精神医学が絡む内容で、それをしてたらいけないというか。

安易な発想からいじり倒すと言うのは、現状での精神疾患各種でも見られる、

当事者なのに違う当事者に配慮出来ず、結果傷つけてしまう

という事と変わらない行為だと思いますし、そこに主観からの生きづらさだったり、自分の不得手から来る話を持ち出して正当化したりというのは、通用しないと思います。

寝る子が起きますからね?


否応なく違うというだけで否定されたから

だからこそ、違う、という事や、言葉に対しても敏感に反応してしまうんですよ。

個人的に。反応したくもないし、スルー出来るに越したことはないですけどね。

とはいえ、HSPという言葉や、それを元にしたブームや流れは流石に、ねぇ

生きづらさなんて誰でも感じてるし、見て聞いて感じてで、色々反応するのは誰しも同じというのは、嫌でも気づく事レベルなのに、自分以外に気付けてないだけでなく、自分だけしか見えてないと言うのは、全くもって違いますよ?でしかなく。

五感に関しても、嫌でも周囲が感じ取れない物を感じ取るからこそ、違いを指摘される。また、同じように感じ取れるようだと、感じとってる物を詳細に区別、仕分けが出来てしまうので、これまたおかしいと言われ。

何がどうあっても、普通じゃないと言われるんですよね。

とはいえ。

日常という生活の流れの連続体の中では、実は目立たない事の方が多いです。

なので、普通といっていいのか、周囲と変わらない生活が送れるものだったりもします。

ただ、何かしらの切っ掛けがあると、途端にその違いから出る杭になってしまう。

普通じゃない、おかしい、一般的じゃない。

これが普通、当たり前、一般的。

どういう意図があるにせよ、結局のところ”お前は違い過ぎる”という部分に集約されて、良いも悪いもを突かれます。その割に、その普通や当たり前、一般的という根拠が無い。

誰かの言説に乗っかってるだけで、自分の中に落とし込めてないから、何がどう違ってて、どうあるから普通じゃないという説明が出来ない。

HSPブームでのあるあるの流れも同じく、誰かの言説に乗っかって、特徴に当たる部分をこじつけて語ってるだけなので、いざとなると掘り下げて語れなくなるのに、自分は深い処理が出来てるとか言い出す始末。

いくらグラデーションがあるとはいえ、正規分布になると、おおよそが中央に集約されて、両端は極端に低くなるんですよ。

うん。

まぁ、変な話どころか、普通に冗談交じりであっても、

おおよそ人間じゃない、人間らしくない

こういう事も言われるくらいだったりします。個人的に。

うん。

あとね。

知るって事は、自分の中に取り込む、取り入れる、落とし込むが出来ないと、知っただけだと付け焼刃になりますからね。

だから、人間誰しも勉強もするし、努力もするし、技術も磨くというわけなんですよ。


何でこんなに違い過ぎるのか?

ちょっと非論理的だし、あくまで偶然、個人がそう言う経験をしただけなので、それを語るかどうか?という難しさはあります。

ですが、何がどうあれ、何が返ってこようが、最悪肉斬骨断する覚悟くらいはしてるので、突っ込んで話してみようかな、と思います。

何かしらの切っ掛けがあれば、ということ自体の機会も多く、そのせいで大なり小なり、嫌でもおかしいおかしい言われてしまうだけでなく、それを幼い頃から40年近く続けてきたので、自分ですら受け入れもしてて。

それ故に、自分を異端とか、特異点とか、そういう言葉で表現する事もあります。表には出した事ないので、これが初出ですが。

それ程に違い過ぎるというか、受け入れも出来てしまったので、客観的な視点から自分ですら、

何でこんなに違ってしまうのか?

ある程度把握してるだけでなく、記事に書けるくらいにはあるのですが、それでもどうしても悩まされるんですよ。

見えてる物、聞こえてる物、感じてる物が違うせいか、色々気づくことになるので、いわゆる普通というラインが自然と超えてしまうと言うか。

流石にこれ以上は相当に意識を強めないといけないから、精神病んでる現状だとその方が悪化を招くというレベルにしてますが、それでもおおよその普通からはみ出てしまうんですよね。

なので、これ以上どうすりゃええねん?なのですが、

それでも周囲に合わせて擬態という、これ以上まだレベル下げるの?もう無理ですよ?というのを、通院で言われて流石に荒れもしたくらい。

現状ですら、自分で自分を上げたくないという気持ちや、周囲からの指摘とその無責任さがあるだけでなく、これ以上抑えつけると流石に体調の変化として、過敏性腸症候群だ、胃炎だ、胃酸過多だという不調が発生するんですよね。

抑えつける=負荷なのでストレスや負担はありますし、そもそもが自分の認知を無理やり捻じ曲げてでも抑えるという、なんだこれは?という状態にもなるんですよ。

提供できる認知がない、レベルが追いつかないという事で、認知行動療法も出来ないとか言われもしましたし。

なんかもう、人間っていうレベルから抜け出てるよね?という感じもあるというか。

物心ついた時点で、動物図鑑の進化論の図を見つつ、

なんで人間の上は居ないの?人間はこれ以上進化しないって事なの?

という事を不思議と質問してしまって、親を困らせたというのも、自分自身はその時点で薄っすら気づいてたんじゃないかな?とかあらぬ考えも浮かぶんですよ。

こういう事言うと、お前は何様だ!とか言われるので、言わないようにしてるわけですが、進化に関しても疑問は常に感じてます。最近になってダーウィン自身が寧ろ否定してたけど、勝手に広まって認知されて今があるみたいな流れも耳にして。

進化とは言わないまでも、突然変異体だったりしてね...。

余りに色々ありすぎる、未だにそこを実感させられるので、自分で自分に呆れ笑いしながら、もしかしてー?と冗談めかして考えもするくらい。

そういうレベルに仕上がってるんですよ。

正直、生きづらいどころか、ドン詰まりです、ドン詰まり(苦笑)


あとがき

絶対ではないし、言い切れないし、あくまで個人が観測や経験しただけのはなしなので、余りに突拍子がなくなってしまう。

とはいえ、誰かしら少なからず理解出来る人、というのには出会えないんですよ。

就労支援サービスの相談員さんなら、少しはわかってくれなくもないですが、流石に全部伝えるのは控えてますし、小出しにしてても、真面目過ぎだなんだの話は、実際に能力があるからと、こちらの認識とは違う答えが返って来て、言葉のキャッチボールがあああああ!になってしまい。

コミュニケーションだ、言葉のキャッチボールだは言い過ぎると自分が疑われもするので、あくまで困ってる部分だけでしか言ってないわけですが、それでもおかしい、妙という風に映ると思います。

もうね。

単語とか、短い表現にすると認識が一致するのに、それを繋げて文章にしたら、それは違うってどういうことなの?という様な事も経験してますし、自分を出さずに隠す以外は手立てがない状況です。

それなのに、自分自身は当たり前の見る聞くレベルが相談上手だ、共感性の化け物だ言われてしまい...。

個人差があると言うのは分かるし、個人差の内とも思う。でも、何でそんなに過剰ともいえる評価を貰ってしまうのか?という、違和感や疑問、疑念にしかならないんですよね。

あくまで、普通というレベル。

個人差があるものでしょうが、自分としては幼い頃に教わった、学校で過ごすうえで学んだ程度の事しかやってないんですよ。

楽をするという部分も基準がずれてるわけですが、これ以上やると、それがすぐさまストレスとして体調に出て来てしまう。

こういう感じなので、楽をする事自体が体に悪さしてしまうので、寧ろ楽になれないんだけど?にしかならず。

そう言う状態なので、HSPだなんだは、やっぱり希望です。

また、ストレス社会にもなってるので、下手打つとネガティブぶつけられやすい環境というのも現状だと思います。こうなると、自分と同じ経験、もしくはそれ以上に辛い思いをする人が...とかも、イメージや映像すら浮かぶ程に想像出来るので、

適当にいじるなよ。ホント辛い人は、辛いレベルも突き抜けて理解されないですから。

という気持ちにもなります。

学生の頃だと、今のブームレベルの生きづらさなんて、寧ろ受け止めて上げる事で、気持ちが楽になったというレベルなんですよ。

自身としてはえ?普通に話聞いただけなんだけど?なわけですが、相槌を打ってくれたり、少なからず気持ちを分かってくれてる言動、態度や仕草、雰囲気も見せてくれるし、そうあるように感じられる。だから、安心出来たという感じで。

それが続いた結果、相談上手と言われる様になった。そんな感じです。

嫌でも違うと言われたり、それを理由に否定されるのでね。

noteでは口うるさく言ってますが、対面だと逆にそう感じさせてあげる事が出来るんですよ。自然レベルで。

それ程にこう、他者からの方が色々指摘してくるからこそ、自分が自覚も出来るという事にもなります。

共感とかも、自分はしてるつもりではなくても、相手がしてもらえてると感じるんですよ。しかも、意図的にそうしてるではなく、自然体であるからこそ、安心を与える事が出来る、みたいにね。

だから、出来るではなく、気づいたらやってる、そういうレベルです。

うん。

なんかもう、色々書いたところで伝わりにくい、分かりづらいという感じかも知れませんが、そうあるからこそ感受性が高いとか言われるのでね。

おおよそ、普通の人には理解が出来ない物でもある、そういう認識も持った方が良いんじゃないかな?って思います。

人間どうしても、自分の経験や体感が元になりやすいですしね。

という事で、久しぶりのHSPについてでした。

うーん。何で急にオススメでなくなったんでしょうね。ホント不思議。



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