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そう言えば最近夢を見る 3
何をどう言葉にしても伝わらない。
同じ日本語を使ってるだけでなく、私の方は普通に出来てるという範囲の事を、相談上手だ、聞き上手だ言われてしまう。
それだけでなく、真面目過ぎ、人が良すぎ、気を遣い過ぎ、頑張り過ぎetc。
兎に角自分自身の行動にとやかく言われ説明する羽目になるのに、そういう行動をした本人として、実際はこうなんですよ、を話すとそれは無いと言われる。
それだけでなく、お前みたいなやつはまずいない。
いや、居ないのではなく目の前に居るのですが?
その目の前にいる本人を前にして、だからお前みたいなやつに会った事が無い、普通ではそこまで見えない、聞こえない、気づけない。だからおまえのそれはありえない。
感受性とはいえ、目、耳、鼻、口、肌感覚と違う体を持ってるからこそ違う部分がある。運動能力としての、力の強さ弱さ、足の速さ遅さ、学習能力としてのテストという数値化での差。
人間誰しも、様々な違いを見せるというのは嫌って程経験してるはずなのに、本人という個人、個体を前にして、その性能はおかしいと言う。
一体どういうことなのか?私はこんなにリアル過ぎる夢を見てるだけなのか?
いや、現実に生活をしてるし、流石に夢と混同するレベルではない。
それ程に、現実そのものが、夢ではないのか?と疑いたくもなるのが、実際の生活で垣間見えてたと言うか。自分自身は気にしてないのに、とにかく周囲がとやかく言うという生活を続けて居て苦しんだからこそ、夢をみなくなってしまったのかもしれない。
かもしれない、そんなあくまで可能性、推測という事すら、頭を抱えるほどの現実としてのしかかる。そういう生活を物心ついて25年以上悩みながら、向き合いながら暮らしてたわけなんですよ。
精神を病んでからすらも
止まることなくぶつけられた物。
長男で跡取りという、自身が抱える現実。
性自認だなんだの他に、家庭どころか、家系の事情として、先代=母方性なので母親の代で男子不在だったという状況が、精神病むどころか、仕事をやめて一線引いたのに、実際に言葉としてぶつけられてしまってたんですよ。
そういう事情もあるので、理解出来なくもない。
でも、母親だけでなく、実際に母が婿養子を貰ってついだからこそ、祖父母はうちに引き取ったのですが、その祖父母すらも精神病んでる現状だけでなく、幼い頃から私に対して求めたことが無い。
でも、それ以外の人が私に要求してくる物。
長男で跡取り。
わかったから、そんなに何度も言わないで。なんどか、余りの嫌気に口にしたものの、貴方の為、あなたの為と。
それは、突きつけてくる自分自身の為では?と言わんばかりに、私に要求するという形で、負い被せてくる。
お陰様で、幼い頃から幼いながらと言わんばかりの夢を語っても。
幼い頃であるが故に聞かれる将来の夢の話であっても。
なんでか私だけ、否定されてしまい、貴方は長男だから、跡取りだから、いずれ......と、私から見て直系にあたる母、祖父母だけでなく、曾祖母ですら言わない事を、そうじゃない周囲が私に言ってくる。
曾祖母なんて余りの嬉しさなのか、お披露目会という昭和ならではのちょっとしたお祭り騒ぎをしただけでなく、珍しいと周囲が言う程に嬉しさ全開で私を抱いた写真すら残してる。
そんな曾祖母ですら、あくまで男の子としてしっかりしなさいという事、そして戦争を実際に経験した身だからこその、様々な有難さというものを実感しながら感謝しなさいという事しか口にした事が無い。
あくまで私を個人として接してくれてたんですよね。
長男で跡取りという、私に付きまとう肩書のようなものではなく、ちょっと男の子らしくない、泣き虫である所を見せれば強くあるように。
食べ物の好き嫌いはないものの、農家であるが故か、食べれる事の有難さと、戦争という経験で物が乏しい事の苦しさもあいまっての、食べ物を大事にする事、そこから派生して、人に、物に感謝をする事を何度も念を押すように教えてくれた曾祖母。
幼い頃は厳しいだけで少し怖かったものの、中学二年の頃に亡くなって初めてそのありがたみに気付くという、人としての大事な事をその生き様すら持って教えてくれた曾祖母。
その人ですら、長男で跡取りだからなんて言わなかったのに。
なんで、精神病むどころか、引きこもりという当時話題にもなっててとやかく言われるばかりの状態になってる私に対し、個人に接するのではなく、肩書や自分の理想と言わんばかりに、長男と跡取りで接してくるんです?
ほんとこう、一部というか。残念ながら、婿養子であるだけでなく、そもそもが色々衝動的過ぎてカッとなりやすい父親という存在が。
どうしてもネックになってしまい、病んで転げ落ちても落ち着けないという生活をする羽目になり。
自分の部屋がもう、なんだか天岩戸だよなぁ......。
自嘲混じりになるほどに、自分の部屋というのを絶対的な防御壁として使う羽目になるなんて、とんでもないものです。
それだけでなく......。
テレビどころか、ネットの世界にまで踏み込んできて、正しいだ間違いだ、主観からの物言いだけでなく、政治の足引っ張り、人の感情を逆なでして分断を図ると言わんばかりの人達が、ネットですら闊歩するという。
余りの酷さが、現実として、目に見えるほど明らかな形で。
ネガティブさを醸し出しながらという。
そういう部分ですら、仕方が無いんだ、他人だから他人にはそうある理由があるのだから、で、受け止めきれなくなる程の生活をする事になるんですよね。
そうある現実だからこそ?
こんな馬鹿馬鹿しい状態は夢であってほしい。
そもそも目の前に個人としているのに、何やかんやと相手側の理由付けにより個人が否定されるなんて、現実は夢ですか?
とにかく人を避け、部屋に引きこもってても、日が昇り生活をする、意識を覚醒させるという状況が、そもそもそうあると他者と触れ合わなきゃいけない、触れ合う事を強いられた。
そういうネガティブさを感じてしまうという、とんでもない状態に陥ってたからなのか。
不思議と、徐々に夢をみなくなっただけでなく、それもまぁ当然か...という受け入れすらするような生活になって久しい。
夢を見なくて当たり前、での生活が結構長くなり、それももう当たり前になってただけでなく、精神科通院という形で通院を再開してもまるっと4年以上。
投薬したり、カウンセリングを希望したりしながらと、少なからず普通に戻ろうとしたからなのか。
ここ一カ月でも明らかに多い、片手が埋まるほどにあるというくらいに、夢を見る状態に戻るという経験をしたわけです。
うん。
正直、驚きました。
いい夢ではない、が続いてますが、夢を見る状態が戻ってきてる?という妙な感動、嬉しさのような物を感じてしまう程に、夢をみる。
夢をみるなんて、普通に生活してたら、普通にありそうなんですけどね。
長々と書いて来ても書き足りないと言う程に。
何でか不思議と、個人が抑えつけられる、抑圧されるという状態にありながら、それすらも無意識レベルで色々な作用をしたからか?、はたまたそれこそ生存本能か?と言わんばかりの生活をしてました。
個人としては、それすらも受け入れてるので、そういう部分での苛立ちや腹立ちはあったものの、それすら無くなりつつあるという状態だったのに。
夢を見る状態が戻ってきてる?
そうあるからこそ、そういう感受性を持つからこそと言わんばかりに、脳がその現実に反応しなさいと言ってる。
馬鹿馬鹿しいですが、そう表現が出来てしまう程に、夢を見てる自分自身に驚きやそれに伴う嬉しさのような物を感じてしまうんですよ。
それが、こうやって色々書き出した切っ掛けだったりします。
と。
ここまできて、ようやく夢の話ですか...。我ながら呆れるというかなんというか。
ここ数年だと、色々変わってきてるからか、
あんた、そんな状態でよくもまぁ普通に過ごせてるよね?
と言われたり。この際の普通というのは、問題行動を起こさない、非行に走らない、犯罪を犯さないという意味での普通という感じで。他者からの驚きの指摘を受けたり、
流石にそんな状況受け入れる自信が無い。とんでもない状態でよくもまぁ...。
と、私の置かれた環境が流石に酷いと、言ってくれる人が現れつつあるのも実感してます。
そういう人達からの、少ないとは言え分かってくれるという、私にとってのポジティブな経験になり、それで前向きさの具合があがったからか。
少なからず、夢を頻繁に見るという現実が戻りつつある今が、新たに色々な物を感じ取らせてくれる。
おそらく、おおよそ普通という人からすれば、何言ってんだ?と言わんばかりに可笑しい=笑ってしまう様な話かもしれません。
ですが、その渦中におかれ経験した側としては、辛いの二文字じゃ済まされないという感じなので、結構大事だし、それ故に持ち前の感受性が働く、作用するというのも当然でもあって。
まぁ、何はともあれ、夢だ!夢を見始めたぞ!
うおおおおおおお!!!
私、個人からすると、嬉しさに近いような、何とも不思議な感覚で、大声上げて叫びたくなる事、なんですよね。
勘違いしないで欲しい事
確かに過去の事ではあるものの、私からすれば感じ取り過ぎるが故に、日光を目にする、目に受けるだけで、嫌でも過去の事が思い出されるんです。
フラッシュバックという程には無い。
ただ、それもそう言う経験が多すぎて波の様に襲い来るという、質量をもつほどにあるからか、フラッシュバック特有の辛さがないものの、起きて、意識を覚醒して行動するだけで、色々思い出されてしまう。
もう嫌です。嫌なんです。思い出したくもない。
それでも、頭が。言い換えれば脳が、日光を目にする=嫌でも日常生活に引っ張り出されるという当たり前の経験として、過去を思い出してくれる状態に長らくあっただけ。
そういう客観的な現実としての話をしてます。
こういう話をすると、そんな過去の事とか軽く言う人が多いわけですが。
そうやって軽く流せるなら、流してるわ。そのくらいもわかんないの?
です。そうある側としては、ね。
嫌だからこそ、思い出したくもないのに、自分の意識で抑え込めない程に思い出させてくれるんですよ。
結局、何がどうあれ、私自身が追い立てられるかのように普通の生活に戻ろうとしてたので、脳の方がこれ以上は危ない、生き残りたいなら休め、そうでなければ過去の記憶を掘り出してお前の足を止めてやると言わんばかり。
それ程に、否応なしに、脳が過去の記憶を引っ張り出す。
そうなってしまっては、私自身は向き合うしかないんです。過去に置き去りにした、哀と楽すらも戻って来ては感情を揺らしもしてたので。
言うなれば、普通に生活してるけど、精神的には地べたに這うといわんばかり。かなりもがいてました。
相談相手が居ないというのも、それ程に気づいてしまって、
もうこれ以上は話せない...
良い期待ではなく、悪い期待=諦めを感じさせてくれる人しか、どうしても出会えない。
どうしても、頼むから止めて欲しいと訴えても、私の状態を聞くと、感じとりと言語化が過ぎてるからか、どうしても、ね。
口をついて「話をちゃんと聞いてます?」って出てしまいそうになる自分を抑え込まなきゃ生活出来なかったんですよ。
そして、私をそうさせてしまう、悪い意味での魔法の言葉。言い換えれば呪いですかね。そういう言葉があるんです。
そういうつもりはない
それは貴方の為だから
感じとり過ぎるだけでなく、何故人はそうあるのか?まで踏み込むと、どうしても無意識という部分に辿り着かなくもない。
自分自身からすらも、無意識にやってしまう癖を感じ取れるし、それすらも周囲は気づけない程、でも自分は気づけるだし。
明らかに嫌悪とか不快。他者が見せた時に周囲はそうある様を見せてるのに、私のそれは気づけなかったから、と、必要以上に気にしなくていいだなんて、自分から悪さを主張しても否定される。
感じとり過ぎるってのは、気づき過ぎる、察し過ぎるという事でもあるので、いち早く気付くんですよ。
これは五感でもそうで、緊急車両の音や、ガス漏れの臭いなんかでも、いち早く気づき過ぎてておかしいと言われますし、ガス漏れなんて屋外でもそうあったので、お前は犬か!?とからかわれた程。
ガス検知器を持って来なければ、私以外は気づけてない。でも、私はにおいがする事に気付いて主張するという、ね。
早く走るにはこうすればいいよ。
勉強なんてこうすれば簡単。
軽くサラッといわれても、そう簡単に真似できねー!って事はあると思いますが、何の因果か、感じるという目に見えない部分、個人の内側=思考や感情が絡む脳の作用や感受性として持ち合わせてしまった。
だからこそ、普通に見えてるんだけど?とサラッと言ったところで、そんな所が見える気づくするのはお前だけ、簡単に出来ない、と。
そう言われる現実の突っ込んだ部分の話しをしてるだけ、に過ぎないんですよ。
そうは思えないとか言われても、流石にこう、ね。
すぐ真上に文字にしてますから。逃げられないでしょう?という嫌味の様な、ね。
自分だって否定したいです。
でも、否定しようにも感じ取った私を、感じとったその瞬間で否定するのは他者なんです。
同じくできないから、おかしいって。
そうあるなら、同じ立ち位置で、見える、感じるなんて出来るわけがない。足の速さ、頭の良さですらそうあるわけなんですから。
人としての、気付く、察する、感じるという部分の難しさを否応なく経験してる、経験させられてるという、どうしようもない現実だなぁという話をしてるだけ。
そして、これほどに言葉を重ねようが、何度となく頭を下げて、頼み込むという態度を取ろうが、
自分と違うから、そんなのはあり得ない。
これをひっくり返すには、相当な長い年月を必要としただけでなく、それでも未だにひっくり返せない程に、面倒な部分、なんです。
というお話でもあるんですよね。
何度も同じ事を繰り返してるようで、こちらとしては、それ程に念を押すという事をしても、自分自身への否定が返ってくるという。
とんでもない現実が、未だ亡者が地獄に私を引き込もうとするかのように、付きまとってくれてるんですよ。
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