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経験から語ってみる1(感受性のお話

ちょっとスタンスを変えて。

兎に角幼い頃からそうあった。

と、思えば1歳時点でもおかしかったと知る事にもなってしまった。

そういう身でもあるので、今のブームではなく自分自身を通して語ってみようかなぁと思います。

幼い頃の話はね。

そんなの覚えてるの?って感じですが、そこにも理由はあるんですよね。それに、案の定というかよく覚えてるという話にもなります。

ま、前置きは程ほどにして、書いてみましょうかね。

1度で全てかきあげきれないので、複数回に分かれると思います。


幼い頃の話

幼い頃からまぁ、変わってたと言うか、どちらかというと周囲の子に比べて大人しい、それどころか落ち着き払ってるというようなタイプでした。

子供らしい、無邪気さがないっていうんですかね。なので、人によっては可愛げが無いと映るのかも知れません。

また、弟との年齢差が2歳というだけでなく、見事な程に明暗という感じで、落ち着き払ってる私と、子供らしく無邪気さというか、ちょっとした落ち着きのなさを持ってた弟という感じだったので、目に見えて上の子だと分かるタイプと言われてました。

幼稚園でも、色々なんやかんやあった割に

大人しくて手のかからない子

と、評価を貰ってましたし。まぁ、その割にね、みんなと同じようにという感じで、やりたくない事を無理やりやらされそうになる機会も多かったですが、こういう所で特徴が出てくるんですよ。

なぜ、同じじゃないといけないんですか?

って。元々インドア派という感じでしたが、遊ぶときは外で遊びはします。でも好んで遊ばないというだけでなく、幼稚園の時点で既に周囲に「危なっかしい...」という感想を持って、敢えて離れてたんですよ。

単純に親や、幼稚園の先生から指導を受ける「そんな事してたら危ないでしょ!」を、色んな要素から感じ取って気づいてたんですね。それだけでなく、転んで怪我した際の痛覚の反応で頭がいっぱいいっぱいになるのも自覚してたので、外で遊ぶ=転んで怪我していっぱいいっぱい=泣いてると男の子らしくないと叱られる、こういう風に頭の中で道筋を建てて、何故そうなってしまうのか?が説明出来るタイプでもあったんですよ。

絵をかいたり、絵本やその他の本を読んだりも好きだったのですが、それ以上に特段理由が無ければ不利益になってしまうので、外で遊ばないという取捨選択を幼稚園当時でもしてました。

なので、ある意味、ガンコでもあったんですよ(苦笑)

手のかからないといいつつ、中々外で遊ばないのを注意を受ける毎日。

なので、連絡帳ですかね。それの長期休暇に入る前に、通知表の様に評価を書かれてるわけですが、手のかからないだなんだに対し「なんでこんな評価もらってるの?」と母に聞いてました。

外で遊ぶ遊ばないの押し問答ってそれ程頻発してたんですよ。

酷い時は先生の方が上手く説き伏せれず、感情的になって怒りをぶつけてくるくらでした。そして、こういう大人=体が大きい相手が、声量も、怒ってる空気も、子供と違って大きい物をぶつけてくる。

これも、いっぱいいっぱいになる要素で、一気に溢れて泣いてしまってたんですよね。

それを自覚してだけでなく、その当時から自分の悪い所=大人に注意されるところって把握もしてたんですよ。

そしてこういう部分は、変わらず自分の持ち前の物として、活きたり疎まれたりする事になるんですよねぇ。


大人しい...子?

さて、自分で言うのもなんですが、自分自身にも客観視は働くので、大人しい子と評されるの理由も把握してました。

確かに、見た目としては大人しい、それだけでなく子供らしい行動や仕草を表に出しやすい弟が一緒にいたので、よりはっきり、見事な程に明暗で見えてたと思います。家族でいるときは、ね。

幼稚園や小学校に上がった直後でも、そんな感じだったので、まぁ手のかからない子、良い子というのは評価を貰ってはいたのですが。

ぶっちゃけた話、

「そうしないと、親や大人がうるさいから」

という感じで、自分自身では大人しいとか、落ち着いてるタイプなんじゃなくて、何かあると途端に大人が感情的になるだけでなく、説明したところで子供の話だとして聞いてくれなかったのも把握してたんですね。

大人だから、親だからは良いんだけど、怒る前に話を聞く、事情を説明するという事をちゃんとやってほしい

ほんとこれ。ありえなさそうだけど、真面目にこれです。

大人しかった理由って。こんな感じで、そうしてるのは理由があったからというだけでなく、その頃から見えてる範囲、ポイント、細かい部分は周囲と違ってたんですよ

カウンセリングで、現実を一歩踏み込んで見ているって評価されたと言ってますが、実際問題として幼い頃から、普通に見えるライン=周囲と比較すると突っ込んで状況を把握してたのが当たり前、という感じでした。

それ故に、よく見てる、良く気付く、とも言われてたんですよ。そして、音の聞こえ方も、遠足の時とかだと車の接近に引率してる教師より早く気付いて声をかけるという感じで、それだけでなくどうしても縦長になるので自分の周囲の子には注意するよう促してました。

なので、手がかからないだけでなく、良く気付いて、面倒見が良い子、という評価を幼い頃は貰うのが当たり前というか、同じような評価を何度もみたわーという感じです。

一言で言えば、状況を把握する、という事。

車の接近する音にいち早く気付くのも、危険な状況になりかねないですし、それに対していち早く気付くので、危険を伝えて安全な状況作りというのを自然とか当たり前レベルでやってたんですね。

見えてる、聞こえてる、だから分かってる、そのラインが周囲より一歩踏み込んだとこに来てる。

大人しくしてたのも、単に親や周囲の大人が怒るだけでなく、子供が落ち着いてないとイライラする人って居るじゃないですか?それは昭和の頃でも変わらずいたんですよね。

なので、親に余計なストレスをかけさせない為、でもありました。これも実際にそう思ってたんですよ。

そもそも、周囲が何も言ってこなくても、子供らしく我儘を言い、駄々をこねる弟と対応する母からも、こういう事をされると親も親で辛い、ストレスがかかるというのをちゃっかり把握してたんですね。

実際そうあると言わんばかりに、我儘を言ってきかない弟に対し突き放すかのようにお菓子コーナーを離れるという行動を母が取ってましたし、それも本気で怒って見捨ててるのではなく、反省を促す狙いもあると分かってたので、離れたら離れたで、私が弟をなだめて母の後を追って行き合流する、という事をしてました。

なので、私からすれば明確な理由や、幼いながらも状況判断してたからの行動であって、大人しいとか、良く気付く気が利くとか、何言ってんだ?って感じだったんですよ(笑)

お兄ちゃんだから、上の子だから、大人しいタイプではなかったんですね。

そしてこれは、長い事言われる真面目や真面目過ぎという部分と大差ないものです。

まぁ、その分性別の部分は困ったちゃんでしたけどね。確かに体は想かも知れないけど、好きでこの体に入って生まれたわけじゃないし、体はそうであっても内側に居る自分自身が、自分が男の子だと感じれない、だから女の子と遊んでたし、母親という存在に憧れてお母さんになりたいとか言ってたんですよね、当時ですでに。

昭和だからとはいえ、幼稚園に通う以前で4歳~5歳の間の時点でそうあるんですもん。心配するか、怒るかの二択でしょうけど、その当時は精神的な疾患って凄く悪いイメージや悪評の元だったので、叱って矯正するのはごもっとも。

とはいえ、もう少し話は聞いてほしかったですねぇ。


ここまで書いてみて

さてさてさて。

何が、敏感で繊細で生きづらいやねん!

と言ってしまうのも、幼い頃だと年齢不相応すぎて、大人が現実を見れずに自分の理想で覆い隠そうとしてた=今の時代、かつHSPブームに限定しなくても、都合の良し悪しで臭い物には蓋をするというのを、その当時から身をもって経験するだけでなく、ちゃっかり見て学んでたからなんですよね。

HSPのDOESのD、深く処理するというのは、もう既に見えてる、感じてるで把握してるラインが一歩踏み込んでるんですよ。そこからそんな事まで考えてたの?そんなところまで見えてたの?という感じで問われますが、私の方はいや、普通に見えてたでしょ?普通に気づくでしょ?って感じで、普通に見て取れる、察して気付いてる部分すらもちょっと先=現実を掘り下げたところに行ってる、という話だと思います、よ。

もうね、大人しくしてる理由が子供らしくないっていうか、一歩踏み込んでるんですよ。自分と親の関係性だけでなく、出かけた際には必ず他者が存在してるので、そこも考慮した上での、大人しいフリ=大人がそう受け取ってくれる状態を維持してたんですね。

そして、誰に教えられるでもなく、というか教えられても普通なら理解できなさそうな年齢の時点で、当たり前のようにやっていた。

ここで、後で知る母から聞いた1歳時点の話しも繋がって、合点が行くという感じになります。

1歳時点で、何を言われるでもなく、母のお腹に弟がいると判明した事に気付いたのか、母に対して気を遣う、買い物の重い荷物を持てないのに持とうとする、必要以上自分に構わせず休むように言う、という行動を取る毎日になった、と。

自分自身としては、余りにも周囲が同じ様に見えない、察せない、気付けないという逆の状態が幼い頃から続いてたので、自分自身が気付いてたり察してたり、ちょっとした違和感からあっと言う間に見抜いたり出来てしまう事に対しては、自分を疑ってたんですよ。

寧ろ、何で自分はこうあるのかね?

そして、当時はHSPなんて概念が無いどころか、精神疾患に理解も無いし、心理学という言葉を聞かないくらいだったので、分からなくて当然...

という事ではないんですよ。というか、これは語弊があるので、そういう部分もあるけど、そればかりではないです。

こういう部分は時として、他者にとっては都合が悪い事として、疎まれたりします。実際そう言う経験もしましたし。

よくわからない、理解できない、でも実際の行動から、そうあると想定した方が良さそうだと判断する人も居て当然ですし、こういう部分は時代も何も関係ありません。

なので、そういう部分が邪魔になるようなら、抑え込もう、封じ込めよう、と動くのもある種の人間心理です。

そういう部分に、腹が立ったり、傷ついたり、時にはイジメの様な扱いから泣いて意気消沈することで、抑え込まれてたので、心の傷やストレスって幼い頃から多かったです。

ただ、かと言って、自分がこういうタイプだから、そういう事になったんだろうという把握も出来てましたし、それ故に大人たちに都合悪くならない様に、更に踏み込んで隠す、黙る、フリをするで騙し始めるんですよ

それが小学校以降から、段々とそれが強くなっていく、というのはまたの機会にしましょうかね。


とにかくおかしい

そんな感じで、幼い頃から、自分だ他人だ関係なく、置かれた環境や状況、人間の関係性なんかも、幼い頃から普通に自然と気づいて、それに合わせた振る舞いをしてました。

自分で言うのもなんですが、大人の理解を超えた子供でもあったので、寧ろ大人の方が、そうあっては都合が悪いと言わんばかりに抑え込むなんて行動を取って来てました。

貴方は優しい子だから、いい子だから。

は?そうしてないと大人たちが機嫌悪くして”怒る”でしょ?

その当時から既に、叱ると怒るを使い分けてたりもしたんですよ。

また、成長するに当たり、それが指導という言葉に変わりますが、導くって字が入ってるのに、導くどころか感情的になってるだけじゃん...。

いわゆる真面目な子と言われるタイプに育ちましたが、そういう目で見てました。

ただ、それに対して同級生や同年代を見ながら、はぁ...あちらがあちらなら、こちらもこちらで、やれやれだ...って、心の奥底では思ってました。

それに対して、角が立たない様に振舞うだけでなく、二重三重の配慮を自分自身よりも私が間に入ってる事で、お互いがいがみ合う事にならない様な配慮までもして行動してたわけですから、そりゃストレス溜まって潰れますよね...。

社会人になってからもそんな感じでしたし、病んだのもまぁ当然かなぁ、とも思いつつ、それはもう別な話だからねーって事でポイ。


あとがき

まぁ、それなりに長くなったようにも思うので、この辺で一旦切り上げましょうか。

自分で言うのもなんですが、経験やそれによる記憶って結構細かく分けてるし、相応に嫌でも違ってる、自分でも何でこうなるの?と嫌でも問いかけてしまうくらいには経験してるので多くもあるんですよね。

その、ね?

生きづらいとか。

ハッキリ言って、初見で目にしてる時点での受け取り方すら違いますから、その程度で生きづらいって言う?甘え過ぎじゃない?って内容が多すぎるというか、何と言うか。

また、感受性が高いタイプとしての感じ取るって、何も感情として感じるばかりじゃないんですよ。個人談ですが。

共感に関しても、情動的共感なんかは当たり前で、相手の立場や状態から共感する認知的共感、イメージの中で感情移入する空想ほか共感にも種類があってそれも働きすぎるんですよ。自然体の状態で。

それ故に、何でそこまで気づけるの?とかもよく言われます。

そして、こういう部分が所謂相談上手という所で活きてきますし、解決しなかった事がほぼ無い位です。

寧ろ、話を聞いただけで、話の内容に出てきた人物に対して結構当たってるという所から、共感性が化け物だお化けだいわれたりもします。

そして、肝心な所として。

にわかに信じがたいかもしれませんが、それが普通なんですよ。個人としてですが。

敢えてこうしよう見たいな意図や意識がなくて、普通とか当たり前という時点で、感受性が高いだ、共感性おばけだ、なんですよ。

なので、良い方に働けば良い評価になりますし、悪い方、たとえばそうあられる事が疎まれる様だと攻撃される。

普通の状態がおかしいので、嫌でも色々経験してしまうんですよ。

近づかない方が良い人とか、すぐわかります。人に言われなくても。ただ、職場にしろ学校にしろ、同僚や同級生という付き合いからは逃げません。寧ろ対応して問題が発生しない様にうまくやります。

無意識に、自然に、極々当たり前に。

そうあるからこそ、周囲には全く気付かれない、悟られないレベルでサラっとやるんですよ。

という事でね。

なんていうかさ。

個人としては、5人に1人もいるのかなぁ?なんですよね。というのも、自分の倍以上生きてる人から、お前みたいなタイプには出会った事が無いとか、数百人規模の工場でお前くらいしかいない、お前みたいなのは初めてって感じでね。

そんなに居ないもんなの?覚えてないだけじゃないのって思うんですけどね。

お前くらいにあったら、嫌でも記憶するわ(笑)

こういう経験も、結構してるんですよねぇ。

なんでこうなるんだか...

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