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昨今のHSPという言葉について

物申す。

相変わらずやってしまいますが、今回はアプローチを変えてみようかなと言う感じで。

早速言ってみましょう

同音異義語、翻訳、文脈の意味

ということで、見出しにある程度言及したいことを入れました。

日本語には同音異義語というものがありますよね。

例えば「すみません」という言葉。

謝罪として使われたり、道を訪ねたりするときのワンクッションだったり、家を訪ねたときに不在か否か?を確認するための声掛けに使ったり。

そして、英語を学んでるというか、中学校で教えてもらったレベルであっても、日本語で言う同音異義語と同じ様に、単語としての意味と、文脈で解釈した際の意味が違うことがある、というのは知ることができると思います。

ということで、HSP=Highly sensitive personという言葉をとりあえず単語ベースで読み解きたいと思います。使用したのは、Google翻訳です。

Highly:非常に

sensitive:敏感

person:人

という感じで、単語として繋げると、非常に敏感な人ということになるのかな?と思います。

さて、ここで注目。

繊細で、生きづらさを感じるという言葉が付きまとって目にする機会が、昨今では多いと思いますが。

あれ?繊細とか生きづらいとか、出てこないじゃん?単語として、という単純明快なお話になりますね。

今度は繊細ってGoogle翻訳で日本語を英語に翻訳するようにしたら、


delicate:デリケート

と、出てくるわけです。日本でもそういう繊細とか、か細くて今にも壊れそう、傷つきそうとかそういう使い方もされると思います。

そして、生きづらいを翻訳すると

Difficult to live:ディフィカルト トゥ ライブなのかな?

という、どこから出てきたんじゃい!って言葉が出てくるんですよ。

そもそも、HSPとは心理学上の概念の言葉だそうで。精神医学上では規定されてないので、症状としての診断基準はない、とされています。

詳しい学術的な話は私には無理です。そもそも、高校を卒業した程度の能力しかないので。

という感じで一旦終わらせて、次に行ってみようと思います。

日本語としての敏感

さて、次は敏感という言葉です。これも、使い方によっては様々な様子が敏感と表されることがあると思います。

次に単語として確定してるもの。まぁ、日本語もね○○詞みたいな細分化された部分もあるので、単純な話とは行かない部分がありますが、簡単な所で名詞みたいな、もう確定してるからそれ以外ないという言葉について。

と言われたら、即座に思いつくものは何でしょうか?

言われるまでもなく、人間や動物という生きた存在が持ってるだと思います。他には台風の目の様に、何かの中心という意味で使われることもありますが、なんというか目みたいだよね?という部分からそう付いてる、そういう表現もあったりします。

さて、本題の敏感ですが、刺激に限らず、ちょっとした感触等もより深く感じ取るというか、そういう意味合いになってくると思います。

ふっと耳に息をかけられただけでも、ひゃぁ!!って驚いたりしますよね。

そういう度合いが、いち早く感じるとか、弱い力でも感じるという場合でも敏感と言われることもあるでしょう。

これが、HSPの話になると「刺激に対して敏感」という表され方になったりしてることが多いです。

結局HSPってなんなの?を紐解き出すと、話が膨らみすぎるのですが、音や光という五感に対しての敏感さを例に上げる人が多いですし、そういう話をする何かしらの肩書を持った方も多いです。

って、こうなると誰でもHSPっていう人ではないですか、という話にもならず。HSPを調べていく中で、5人に1人というような表記を見かけるとは思います。

こんな感じで、何かしらの刺激に対して反応するのは誰でも同じだけど、どちらかといえば少数=より感じやすいというのがHSPなんだな、みたいにここでわかってくると思います。HSPという言葉を知らなくても。

とはいえ、先に話した翻訳ではないですが、単純な翻訳について「刺激に対して」なんて入ってこないんですよね。

こういう翻訳に伴う、意味づけや、翻訳をした場合の齟齬ってどうしても生じてしまいます。

それが、HSPを言葉を知って調べたりする中で見受けられてしまうんですね。

それなのに、本に書いてあったから、動画で言われてたから、そういうことなんだな、を突き詰めないまま使ってて、正直誤解してるんじゃないか?というかしてるでしょ?というケースも見かけなくもありません。

え?私ですか?

それはまぁ置いておきましょう。

アーロン博士という存在

こうして、HSPを知り触れていくと、間違いなく目にすると思います。心理学的なHSPの概念を提唱された方のようで。

なので、この辺の研究とかの実態を置いたまま、このアーロン博士の名前だけが持ち上げられるという現象が日本では起こっています。

テレビとかでね、コメンテーターとか、評論家とか、専門家と同じでしょうね。

名前を出す、ネームバリューを利用するという隠れた意図のもと、その名前を勝手に扱われてるというところでしょう。

まぁ、HSPについて触れていくと、

・アーロン博士の論文が云々

・アーロン博士が作ったチェックリストが云々

・アーロン博士が作ったプログラムを修了して云々

いやー、大変よく扱われてますが、実際に会ってHSPについて対談したとか、ディスカッションしたとか、そういう内容はあくまで現在までに見た所かつ、個人視点では一切出てきません

すこぶる、いい加減ですね?

そもそも、日本でもそうなのですが監修に携わったということで、名前が明記されてたりすることもあり、監修はしたものの実際に著者ではないという事も普通に見かけると思います。

だからどうした?

という反応もいただきそうですが、ここもミソというか。

名前を使えば、貴方の言っている内容は正しいということになるのですか?と。

今までに上げたように、翻訳によるものだけでなく、そもそも日本語そのものが扱いの違いで意味合いが変わるようなものなんですよね。

まぁ、ね。より多くの人が云々はわかりますけど、次の話に行きたいと思います。

Sensitiveという英単語

ここで出てくるのがsensitiveです。

というのも、上で挙げたアーロン博士のお名前を表記してるケースの中で「自身もHSP」というオマケをつけてHSPを語る方も多いです。

ん?なんで、ここでsensitiveなの?ってところですが。

流石に勝手に、他の方が書いた内容を転載というのは問題があるので、あくまで自身が調べた部分として書かせていただきます。

こうね、こういう扱いをすると、色々面倒もあるのですが、如何せん書いてる私自身オタク趣味も持ってて、転載云々は声高には言いませんが問題視してたりします。

こういう部分からの転載を回避している、というのをご容赦いただければ。

ということで、sensitiveなのですが、英語としての例文として扱われた際の意味のようなものを調べていくと

他者が必要なものを理解して、助けになろうとしたり、親切にしようとしたりする

という場合にsensitiveという言葉が文章に入ってたりするそうです。

他には、

身体的な影響による、変化やダメージを受けやすい

人によるからかいというような、恥ずかしがらせよう、怒らせようというというものによって動揺しやすい

扱うことで同様させたりしないように慎重になる必要があるテーマ

というような内容が見つかったり、

他人の喜怒哀楽を汲み取れる人、体の痛みや感覚を感じやすい人

というのも見かけますし、他にも色々あるでしょう。

他の項の流れも合わせてここまでの流れを踏まえ、HSPという言葉を解釈したいと思います。個人解釈ですけどね。

・HSP=非常に敏感で繊細な人、生きづらさを抱える人と表記されるけど、本当にそうなのですか?

・単語での意味、例文としての意味、それだけでなく翻訳された日本語としての扱い方として、本当にそれが言葉の意味になるのですか?

・アーロン博士の名前を表記するのは良いですが、対談したという話は見かけず、関与した物、論文を読んだ等、英語日本語問わず言葉の扱い方から、何かしらの読み違い、食い違いが発生してそうなのですが?

というような状態で拡散されているのが、日本での現状です。

まぁ、こういう言い方をしてしまうと、翻訳は間違ってない!意味の取り違えはしてない!とか言われたり、そもそも翻訳をきっちり100%間違いなくできるわけがない!と言われたり。

いろんな反論が返ってきそうです。

というか、ツイッターをしてるとわかると思いますが、内容によってはセンシティブな表現が含まれます、みたいな注意書きでも使われるんですよね。英単語ではなく日本語表記ですけど。

こんな感じでsensitiveという単語一言とっても、下手すればどうとでもいえてしまえますよね、という少し意地悪な書き方もしてみたりして。

ということで、sensitiveについてはここまでにして。

ここからは少し自身の話をしてみましょうか。

言葉について語る割に、自分の話するのもなんだかなぁ、とは思いつつ。とはいえ、それなりの感受性を持ち合わせてるようですし、色々経験しましたし、ということで此処から先は自身の話をしながら触れてみようと思います。

私が持ってるもの

ま、目にしてる方にはいつものが始まったという感じになろうかと思います。

今ではかなり自称するようになりましたが、あくまでこれはHSPという言葉の扱い方があまりにも酷い有様だというのを目にしてから、です。

それ以前は、ほんと普通だし、当たり前だし、普段生活してると全然指摘はされないのですが、何かの拍子に指摘されたり、驚かれたり、逆に都合が悪いのか逆キレされたりetcいろんな扱いを経験してきてます。

それも、物心ついた4歳位からなので、そろそろ40周年を迎えそうという程度には経験を積んできてる、感受性というものです。

この辺は色々エピソードを書くと長ったらしくなります。そもそも、ここまで来た時点でも相当に長ったらしいですよね。

一旦書き上げて、記事を分けるということも考えたのですが、結局勢いというかこのままの流れでバンバン上げることにもなりそうなので、書き続けています。という、余談。

そして、この感受性っていい部分もあれば悪い部分もあるんですよ。

そんなの世の中当たり前というか、別に人が持つ能力や感性、感受性に限らず、物は使いようという感じで、現実として物質化、実体化してるものってそういう側面があるものが非常に多いです。

私の場合、母とのエピソードとして、母がガンで亡くなる前に知らされた物心付く前の私の状態と、そしてそこで気づいてたはずなのに、精神病んで社会から離脱するまで気づいてやれなかったという後悔や謝罪という話があります。

詳しく書くと、私の母は肺腺癌ということで肺の表面に出来ていて、気づいたときには切除しようにも心臓を傷つけることで、命を失う可能性もあり、成功率も五分五分というのが主治医の見立てでした。

それをその事で生命を失うなら、と投薬による延命を選択したようで。この辺は後々になるまで知らかったんですけどね。

まぁ、そんな感じだったのでガンの増殖というか大きくなっていく中で肺が潰れてしまう、残った肺に水や血液がたまるので抜く必要が出てしまうと、進行につれて相当にきつかったと思います。

という、話をしてしまうとお涙頂戴くさいので、あまりしたくないのですが感受性云々を語るには、どうしても扱いやすいというか、狙ったいとも示しやすいというか、そういう感じになってしまいます。

そして、母が最後に、これからは自分自身の幸せを考えて、となぜ伝えたのかがようやく自分なりに理解できたので、ひどい言い方ですが利用というかさせてもらおうかな、という感じです。

母のガン発覚にあわせて

流石に誰にも言えたもんじゃない、というのは当時の状況ですが。

現状として、メンタル面での行き詰まり感解消の為にHSPという言葉に再度触れさせてもらってるので、打ち明けようと思います。

その無いようなのですが

ガンが見つかったと打ち明けられたとき、即座に「あ、お別れの時が来たか」というのが自然と頭の中に降ってきたんですね。本当に自然に。

なので、母がガンと言う現実がありながらも、悲しさみたいなものは湧かず。

そして、病院で治療することになるし、そもそも入院という状態って意外と日常から離れた非日常に近くなってしまうから、なるべく顔をだして日常感を与えないとなぁ。まぁ、難しいし無理かもしんないけど。

という、思考が働いてました。

この時点で既に、メンタル病んでいたというか、精神疾患で社会から離脱し、復帰→離脱をくりかえしただけでなく、病院不信という状態で自身は通院も何もしてませんでした。

少し話がズレますが、感受性の部分の悪さっていうんですかね。嫌でも感じ取る、いや自分の中に相手の感情が入ってきてしまうという感じなので、とにかく対人関係というのを極力避けてました。

それじゃダメじゃんって言われそうですが、感情だけでなくその影響で自身の身体的変化により、吐き気やら目眩、血の気の引きなんかも起こしますし、そもそもとして、物心ついた頃から感受性の部分は見向きもされないというか、言葉にして伝えても受け取ってもらえないどころか、年端の行かぬ子供相手に周囲の大人がガチで切れる=怒りの感情で殴られるショックがあるという状態だったのを、無理やり引きずりだされてしまってたんですね。

昭和生まれだから、仕方がないというのはあります。とはいえ、それ以降理解されたりしたわけでもなく、母から後悔の言葉は聞きましたが、入院してからの私の動きを見るまで思い出さなかったのか、「油断をしてしまった」とか「親として守りきれなかった」と言われてしまうくらいに、当然のごとく無視されるし、みんな頑張ってるから、みんな我慢してるから、と単純な感情部分だけでなく、体の痛みや不調すら我慢させられるというのが常でした。

なのでまぁ、小学校上がった頃には今で言う過敏性腸症候群みたいな症状が既に出ており、精神やんで離脱するまで、外に出かける=腹痛、しかもかなりの激痛&下痢が発生するのがほぼ日常だったんですよ。

と、自身の話を挟んだら長くなりましたなぁ。

まぁ、母のガンが発覚して闘病生活に入るのに合わせて、妙な感じ取りとそれによる思考によって、周囲とはまったくもって違う動きを見せる事なるわけなんですよ。

と、っとっと。

あまりに長くなりすぎたので、ここで一旦切り上げますかね。

まぁ、記事を変えて続きはすぐに書いていこうと思います。

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