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そう言えば最近夢を見る 2

それにしても、突然気づいたわけなのですが、十数年近く見なくて当たり前と過ごしてたのに、今になって何故?

どうしても、そういう所に気付く事で、自然と疑問や違和感というものを感じるタイプでもあります。

また、そうしていくと、見えてくる物というのが、今となっては山ほどあるわけで。

それを少しずつ紐解いていきましょう。

そんな内容です。


これまでの生活として

就労支援のサービスを利用し始めてからも、3年くらいですかね。利用開始当初はA型の作業所に通所してたのですが、それが引き金かと言わんばかりに、精神的な症状が悪化。

なお、この時は全般性不安障害。この記事を書いてる2021年11月時点ではうつ病と主症状は変わってたりします。

まぁ、何はともあれ、ね。

そこにあるのは、幼い頃から全くもって変わらないという、自身の感じ取りやすさという物があり。

2020年から感染症のせいか、ブームになったHSPという言葉と、それに対する扱いの酷さから、そういう部分に突っ込んで触れて行くことになるわけですが、それで得た物が良い作用をしてくれてる様にも感じます。

ただ、この感受性という部分への向き合いについては、少なからずしてたものの、突っ込んだ形ではなく、どうしても他者からの物言いが煩わしくなるので、自分ですらなかった事にするという、ね。

明らかに、認知の歪みになってる、というのを、当然の様に受け入れて生活してたわけです。

また、引きこもったと言うのも、そういう歪みがもたらした、人という生き物に対する不信感が強くなりすぎたが故、なんですよね。

そもそも、幼い頃から、自身の親ですら受け止められないレベル。

それだけでなく、早く他界した母が、後悔して謝罪をすると言う程に、幼い頃からそうあったという話をされるレベル。

そうい物を引っさげて生活してたんですよ、ね。

そういう部分をちょっと踏み込んで見ようと思います。


自分という物を無くす程

良くも悪くも、様々な形で、気付く、察する部分と異様さというのはもう、1歳時点で観測出来てたそうです。

年齢的にまだまだ幼過ぎるだけでなく。言葉の理解どうこう以上に、もう明らかに何か感じ取って、気付いてるとしか言いようが無い程に。

母のお腹に弟がいると発覚した時点から、私の行動は相当に変貌したそうです。

兎に角、母をかばう、守る、支援する。

これは1歳時点に限らず、常にそうあったと言うか、高校生になって自分の進路を考えるという段階でも、このままでも母の負担がおおよそ抱え切れた物じゃないという環境でもあったので、支援をする為に就職を選びました。

結果としては、就職氷河期が丁度スタートする頃に、それなりの所に就職できたので、何とか乗り越える事は出来た物の。

盛大な落とし穴があり、私は病んでしまい、その職場をやめる事になっただけでなく、転げ落ちるように引きこもりという状態になったんですよね。

そういう意味では、三つ子の魂百まで、を地で行ってしまった、というような感じでもあります。

まぁ、明らかにそんなの気づくはずがない、だって自分の事とは言え1歳児だぞ?と、最初は自分がまず受け入れられなかったという状態を、自分は生まれつきで示してました。

そして、それが表に出るようになり始めたのが、幼稚園に通い出してから。

そうです。

人間として、社会に出て、少なからず他者と一緒に集団生活をするとなった時点で、様々な形で出てくる事になり、そこには良いも悪いもがごちゃまぜになってました。

また、1歳時点でそう気づいてたものの、幼かったが故に語彙力が無く、私が表現できなかっただけ、というのが、この頃から否めなくなり、自分から主張をするという行動が伴い出した事で、母が油断する事になりました。

そして、その油断も、

そもそもが私の方が先に気付くので、隠すようになった

という、そうあるが故の悪い部分が凝縮されて、自分自身が示すという結果にもなったんですよね。

自分自身を無くすと言うのは、小学校に上がる時点での私の有り様がそうなんです。

自分じゃない自分にならないと、普通じゃないって言われて攻撃されるから、普通にならないといけない。そうしないと、この先、生き残っていけない。

また、それに対して親の受け止めがされなてなかったのもあって、親ですら敵という認識をその年齢でやる羽目にもなるという。

そして、それを可能にしたのが、感受性という部分だったりします。

Wikipediaに書かれてる、HSP=感覚処理感受性が高い人だなんて、正直ほぼまんま当てはまるわ...という感じでした。幼い頃から。

ただ、当てはまり過ぎたとはいえ、まだまだ未解明という部分が多いという、おおよそ積み重ねた経験からの、主張する事のデメリットが明らかに見えてたので、触れずにいたという部分も大きかったのですが。

寝る子を起こしてくれましたよね、と。少しだけ、愚痴も吐いておきましょう。

そうなんです。それ程だったので、2021年で四十ウン歳という年齢になったのに、周囲や対人関係、環境というものに、合わせすぎたので自分という物がないんですよ。

そういう部分から、主観があまりなく、どうしても客観的になってしまい、それが、気を遣い過ぎ、真面目過ぎ、人が良すぎと、深く触れようとしないまま上辺ばかりで、勝手に人を判断する他者に苦しめられてしまう。

深掘りすると、自分ですら、どうしてこうなった?になるんですよね。


幼い頃から隣に合った物

それは、自分に対する理解の無さ、ともいえなくもない。

それ程に、言葉にしても伝わらない。

自分と違うただそれだけの理由で、自分自身だからこそ気づける事は無かった事にされる。

あ、いや、理解の無さというと語弊も生じるというか。おおよそ、誰しも、私だって他人の事なんて、理解するなんて出来た物でもないです。いくら察せようと、気づけようと、相手に確認しなきゃいけないわけで。

それを言いかえれば、話を聞いてもらえない、という環境があったというか。

なんでそんなに自分の事に置き換えるの?

と、言ってしまうのも、話を聞くというのが、言葉を聞いてるだけで、伝えようとしてる事を聞いていないという、とんでもない状態にもなってました。

そのせいか、言葉としての単語レベル、短い文章という短文という単位になると、共通認識が取れる物の、その共通認識が取れた傍からこういう事を言ったんだよ?と伝えると、

だからそれはあり得ないと言ってる!

という、返答しかない。

うん。なんで短く区切ると共通するのに、それを意見としてまとめた途端に、共通認識ではなくなり、有り得ないという事になるのか

これは長らく疑問になるわけですが、40という、いくつになったんだよ?という年齢になって初めて、客観的ないし、心理学的、もしくは医学的に証明される事になりました。

というのも、発達障害を疑われたんですよ、ね。

結果として、成人知能検査をするなりなんなりしたわけですが、結果はノー。発達障害ではないという診断に至ったのですが、ここに答えの一つがありました。

それは、成人知能検査の結果と、臨床心理士からの意見として、

言語性IQが高めに出ただけでなく、あくまで知能検査としての結果の数値であって、実際に検査をする、話をするという部分からは、数値の外、検査で示せない部分を持ってます。

そう、言語化が出来すぎてた、という部分が示される事になり、そこでようやくはっとするわけなんですよね。


デメリットの一つとして付きまとってたもの

ただただ、感じとってしまう、気付いてしまう、察してしまうとはいえ、それは会話の流れの中でも発生しますし、ここの良い部分としての要素が相談上手、聞き上手という部分になろうかな?と思います。

それ程に、言葉からの感じ取りって凄いですし、また言葉であるが故に、文字程度でも察するという事も出来なくない。

SNSなんかも利用しだして結構長いですが、何故ネットを介した文字だけの状態で、そんなに話を聞いてくれるのか?相談にのってくれるのか?上手く立ち回れるのか?というのは、よく言われてました。

ただ、必ず悪い部分=デメリットも付きまとうんですね。

それが、短文だ、単語だに区切ると共通するのに、意見としてまとめると共通しなくなるという、言語化という部分での壁、になると思います。

当たり前の様に使う言葉、同じように教えられる概念。

幼い頃から、ただただ優しさや喧嘩はダメと教えられるだけでも、面倒見が良い、いう事を聞いてくれる良い生徒、良い子という評価はもらうものの、個人としてはそこが悪さしてしまい叱られるという失敗もあったんですよ。

それ故に、同じように気づいてるだけなのに、何でそんなの意見が両極端と言わんばかりなのか?というのは、幼稚園~小学校低学年の間は、母親に限ってですが、何度となく質問してました。

そうなんですよ。

良い悪い、正しい間違い関係なく、気付いてしまう。また、それに対して踏み込んでしまいもするので、上辺だけの正しさをぶつけたところで、幼いながらも簡単にひっくり返してしまう。

それ故に、子供のくせに!という扱いが、幼い頃の日常にも山ほどありました。

また、そこには、ね。別に抱えてる、性別の違和感。私にとっては体は自分で選べない入れ物であって、それが自分の希望になってないだけという感じで、内側の私、性自認という部分の食い違いも持ってたので、ね。

兎に角話を聞かないのは何故?と何度となく突きつける事になり。

また、優しさだ、差別だ、イジメだを概念として教えようものなら、大人の叱るという行為が、ただただ苛立って喜怒哀楽の怒にしかなってない事に気付いてしまうので、

なんでイジメはダメ、喧嘩はダメって教える大人がやっちゃうの?

幼いが故に、人の世を知らない。知ろうにも脳の発達が追いついてないので、そこまで複雑な部分は理解できない。

本音と建前や、長い物にまかれるというのが理解できない上に、そこに感受性としての気づきだけでなく、言語化して突きつけるという部分も加わってしまい。

それに対して、なぜこの子はこんな状態にあるのか?という接し方をしてもらえないまま、ただただ生意気さを見せる時もあると感情的になられて、ネガティブを散々ぶつけられるという。

とんでもないデメリット、とんでもない落とし穴が、幼いが故という部分にぽっかり口を開けてくれてたんですよ。

そして、ネガティブをぶつけられると書きましたが、これは現在での環境感受性という概念を知るまでは気づくことが出来ず、言語化云々がようやく把握出来たというのに...という感じでの、壁として立ちはだかってたわけです。

いや、本当に。

ようやく、ここまで来てくれたのか......。

そういう感想が自然と漏れるほどに、そしてそうあったからこそ精神を病んで引きこもるという、ね。

感受性という部分だけでも、バックボーンというか、個人の持つものだけでなく、経験その物が根っことして悪さをしてた事に対し、ようやく色んな事が見えるようになった、というのが現在だったりするわけです。

あくまで、個人の言い分ですけどね。


精神疾患として

ただし、現状ではまだ心理学上の概念という扱いというか、まだまだこれからという部分になろうかな?とも思います。

そうあるのを示すかのようにというか、精神科通院してても、兎に角精神医学としては現状では根深い物があるとしか......という話を、今の主治医にされたことがあります。

その為、投薬を続けつつ生活をして、様子を見る。

結局、何がどうあれ、経験としてどれ程の物を抱えようが、自分自身が向き合う=時として色々受け入れ切れなければ、持ち上がらないんですよね。

そういう意味では、ネガティブをあまりにぶつけられ過ぎたとも言える状態が、少なからず精神疾患の根本というか、深い部分にある、という把握まで至ったのが現状だったりもします。

うん。

眠りと夢の話なわけですが、夢を見ないという状態を語るのに、引きこもってた=精神的にどうしようもないほどに参ってしまい、他者や社会と向き合う事を脳が拒否する様な状態にもなってたんですね。

だからこそ、外に出られない、他者と触れ合えない。

言語化だ、感受性だという、そういう壁があったとしても、そうある個人が目の前にいるのに、私みたいなタイプはそうそう居ない、出会った事が無いという理由だけで、他者がとにかく否定をしてくる。

一体私はなんなんだ?

そこに居るのに、今までの相手の経験がどうこうだけで、お前はありえないといわれてしまう。

そんなのを30代前半まで我慢して、企業勤めするだけでなく、30代なのに何でそんなに仕事ができるのか?責任あるポジションを安心して任せられる、それが他の工場に居ても分かるほどに仕事をこなせるのか?と......

そうある個人を見るより、他者が自身の経験則から、おかしいだ、ありえないだ、何故だいうだけでなく、理由を説明しても、だからって出来るわけが...みたいに、何でか下に置こうとする。

これでも、ね。

病む直前は企業合併で、某業種の最大手の社員になったわけです。

そうなってから、更に際立ったと言うか。

兎に角社会人として、大人として、個人として、当たり前の事として仕事に対し、いくら上司が責任を持つとはいえ、普段から丸投げにするわけにはいかない、自分の責任は自分で持つべき、と仕事をしてたらまぁ。

仕事出来てるんだから良いだろうがよ!!!

出来てしまうと迷惑なのか!?

ほんとこう、子供の頃から、ステップアップしようが、環境が変わろうが、何でそんなに出来るの?気づけるの?と。

そうあったら何か問題あるかな?と言ったところで、寧ろ周囲が抱えそうな負担を抱えずに済む=私が抱える事になってたから、ノーの返事が返って来る。

そりゃ、精神病んで、引きこもりもしますっていう、状態が長く続いた事で、これまた自身は長くトンネルを歩む羽目になり、ようやく心理学としての話が出てきた事で、救われつつある。

そういう結果が、自身の夢見に関係してるのではないか?

どうしても、ね。

今年に入ってからだけでも、相当に得てる物があって、それ故に自身の内側が自覚できないレベルで変化してるからこそ、体が元に戻るという状態を示してくれてるのでは?

深く踏み込んでしまう事になるんですよね。

あくまで個人的な話でもあります。

それでも、そうある自身だからこそ把握出来てる深い部分の話しでもあります。

その辺の匙加減や兼ね合いは難しいので、あくまで個人がそういう感じ取りをして、そういう判断をしてるだけという話でもあります。


それだけでなく、本当に深いです。

上辺の部分で似たような経験がある、何て言われると、こういう事すら過去には裏切りとして、周囲に居る誰かから、すり寄って来たのに一定のレベルに差し掛かると途端に、貴方のそれはおかし過ぎる!と噛みつかれる経験もしてますので、ね。

同じだから、似てるから、なんていう、阿呆な真似はしないで欲しいなぁ、とも思います。

そもそも、個人の経験や性格、様々な環境が違うんだから、同じになるはずがないんですよ。

ホントこう、HSPのおかしなブームも、繊細さんだとか、生きづらいだとか、心理学としての概念、深く突っ込まなくても学術とは関係が感じられない様な誰かが作った言葉に引っかかるなんてのは、ね。

おおよそ違いすぎますから。

その辺の普通の人ですよ、と、釘を刺しておきましょうかね。

その特徴が理解出来るなら、これでもまだ、出しきれてないですが?っていうくらいに、気づきや察しから来る部分、感じとる事の話ってできますから。

ね。

虎の尾を踏む、という表現がありますが、それに近い事をやってくれてるので、注意した方が良いと思います。


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