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それは全くもって違うから

気にする、気になるではなく。

そんな事しなくても、感覚的に気付ける。

こうなんですよ。

だから、驚かれる。

そんなね?

気にする=相手を意識する、とかしてたら、色んな感覚を気にしてる人の人数分だけ、相手に向けるわけですから。

気苦労で疲れて当たり前ですよ。

そんな、普通に誰しもやってるようなことを、いけしゃあしゃあとHSPです!とか言って語らないでくださいな。

誤解うむから


それって不安障害なのでは?

特に社交不安。古い言い方をすれば、対人恐怖症みたいなものです。

人が怖い、人に対して不安がある。だから、相手を探ってなきゃいけない。

そうじゃないんですよ。

イチイチそんな事しなくても気づくし、「お前、いつのまに気づいたんだ?」という感じで、気づかれたことに相手が驚くんですよ。

何かに集中してようが、してなかろうが、一瞬で気づいてしまうので。

視界の外でも、背後であっても。

例えるなら、スポーツでいうゾーンみたいに、集中するだけで一定範囲なら自然と感じ取ってしまう。

それ程に、作業しながらでも、周囲の声や音も聞き取って判断してるくらいです。だから気付ける。

ただそれだけ、です。

人に気を使いすぎて振り回される、疲れるとか、ホントね?

「何でそんなに人に気を使わなきゃいけないんですか?」

感覚的に気づくという人からも、間違いなくそう問われると思いますよ。

気にする=敢えて意識を向けるということは、理由がなければしないことです。

車を運転するなら、運転に合わせて、様々な箇所に意識を配って事故を防ぐ。だから、運転も長時間してると疲れるんです。

人に気を遣いすぎて、とか、疲れて当たり前ですよ。

こんな、ね?誰しもやってそうな。

しかも、気にしなきゃいけないほどに気付けないのを、敏感だとかいうんじゃありません。

寧ろ「鈍感だから気づけてないんですよ」という話になりますから。


寧ろ振り回します、よ?

いわゆる、個人の普通。

普通に気づく、普通に聞こえる、普通に臭う、ほか色々。

その普通が、周囲より確実に細かい所まで及んでるし、それを「普通だから」と言ってしまうから。

周囲にとっては、「普通とは言え、流石にそれは度が過ぎてる」と。周囲の方が勝手にざわついて、振り回されてしまってる。

それすらも手にとるように分かってしまうので、

「人間誰しも違うんだから、なにはともあれアイツはおかしいほどに気づくタイプ。そういう事で放って置いてください」

と、お願いするほどです。

だってその、お前は犬かよ?と言われるほどに、細かすぎるどころか、雑多に臭いが混ざってるのに、嗅ぎ分けてガス漏れの箇所を見つけたりするんですもん。

それでも「普通のレベルで気づきますよ?」って言ってしまって、「あれ?やっちゃった?」になるくらいです。個人の話ですけどね。

それも、幼稚園児の時点で、

「先生それは、叱ってるではなく思い通りにならないから、イライラしてるだけだよね?そんなだから、怒鳴っても○○君お話きいてないよ。そっぽ向いてるし」

という事を、怒ってる先生に対して言ってしまってたから、問題だとして抑えるようにしたんですよ。

仲良くしよう、イジメはだめ。そう教えてるのに、先生はできなくてもいいの?って、そういうことなんですよ。

それを5歳、6歳の子供。これまた、それまで自分たちの方を見つめてなかったのに、突然割り込んできたと思ったら、

現実を突きつけられて、ハッ!とする。

大人としてはバツが悪いだけでなく、私の方は「先生や大人たちががイジメたらダメって教えるのに、いつもそれをやる」って言うんですもん。

成長に従い、そこを封印しただけでなく、周囲により気付かれないように過ごしたら、今度は逆に周囲はその矛盾を好き放題やらかす。

それを昭和、平成、令和と生きてきながら、呆れるほどに変わらないのを見てきてるので、

人間ってどうしようもないな、とか言うんですよ。

時代が変わったって言いながら、都合の悪い部分は見ようとしない、都合が悪いだけに指摘されると逆ギレする。これが変わってないですから。

はぁ・・・・・。


古いCMを例に上げて

「嘘、大げさ、紛らわしい、そんな広告を見かけたら」

JARO、JARO~。

公共広告機構です。

というCMがあったんですよね。誇大広告というものが問題視されたことで、テレビで注意を呼びかけてた時代。

今はもう、その誇大が当たり前になってて都合が悪いから、そういうCMは流さなくなってる。

イメージアップなのか、ただの誇張なのか?の線引すらしないほどにいい加減。

今はそういう時代なんですよ。寧ろ、ね。

そんなだから、お肉や乳製品の偽造も問題になったし、こういうものは健康に直結しかねない危険度があるから、事が起こると騒ぎになるわけで。

でも、事が起こってる間だけ、お祭り騒ぎ。

HSPという言葉のブームも同じですよ?

本質は、心理学上の感覚処理感受性、その中で提唱されてる「感覚処理感受性が高い人をHSPと呼ぶ」という話なだけなんですよ。

そしてこれはまだ、概念なので、基準がないんです。判断するための。

それなのに、気にしすぎて疲れるとか。

私はこういうことが出来てる!という自己主張だけだったりとか。

ただの好みの問題を、刺激探求とか置き換えて自分はそうあると言ってたり。

刺激探求とかね?

なら、お前さん、アイアインメイデンっていう拷問器具を試してこい。

痛覚にすごく刺激を受けられますから。

とか言えば、すぐさまボロがでますよ。

「そんな刺激は要らない!」

刺激に好みや取捨選択を付けて、自分で選んでる。探求してるんじゃなくて、自分の好きを求めてるという、性格上の話でしかない。

探求ってね。自分が経験したことがない、見たことがない、聞いたことがない、そういう未知のものを探し求める、という要素もあるんですよ?

オカルトブームでいうなら、行った経験がない心霊スポットに、怖いもの見たさで出向いてみるというイメージですかね。

未知だからこそ、探し求める、追い求める刺激。

なら、アイアンメイデンからの痛みも該当しますよね?

ホントこう、自分に都合の良い解釈してしまうことで、考えることを放棄した結果、自分の墓穴をほってしまってる事に、

「気付けてないので、アホらしい」

全くもって、普通レベル。

HSPだなんだ関係なく、自分をよく見せようとしすぎた結果、墓穴ほって失敗する人って、普通にいますから。


やめておいたほうが良いよ?

敢えて、個人として、そういう問題提起をしておきます。

だって、余りに酷すぎるんですもの。

ホントこう、なんで心理学上の概念としての、感覚処理感受性という言葉を使わないのですか?

そういう質問をするだけです。

敏感で繊細、だから生きづらいなんてのは、誰かがそれを勝手に解釈しただけのもの、です。

ホントこう、NEETもイギリスという国の事情があるからこそ生まれた言葉なのに、都合の良い部分だけを拾い上げただけでなく、それを蔑みの言葉として定着させた。

なので、精神疾患や病状、症状は除外しなきゃいけないのに、十把一絡げにされ、問題点が見失われてしまってる。

HSPもブームによる広がりや扱いは、正にソレ、です。

問題の本質を霞ませてしまってる。

ええ。何度でも言いますよ。

人それぞれ違うと言うのは共通認識。

でも、お前のソレを認めると普通の人達の分が悪くなるので認めない。

なんですかこれは?(笑)

周囲に人がいれば居るほど、出る杭としての杭が自然と大きくなる。

それ程に、人としての違いをもってしまってる。

なので、増えた人数分だけ、人生経験なんて嫌でも積まされる。

そうあるので、自分だけでは話は絶対に完結しません。

必ず周囲が見せる反応って付きまとうんですよ。

自分にとっては当たり前なので、何の問題もないのですが、自然とやってしまう気遣いや配慮で、他者とのふれあいが発生するし、それ故に「評価」が付きまとうんです。

だから、他者の話が必ず入る。

気疲れしようが、それ程に気張ってないと、寧ろ周囲が勝手に振り回されて面倒が増えるんですもん。

疲れること自体、当然で当たり前ですよ。

幼い頃は、それ程に出来る部分は、先生や大人が「お手本」という扱いをしてくれたせいで、贔屓だと言われたり、やっかみや嫉妬からのイジメにまで発展してました。

そういうのも、ね。

気づいてるから把握してる。

でも言ってしまえば、本来なら対応をしなきゃいけない先生が、バツの悪さでキレて、問題がない方の私に攻撃するという状態でした。

そういう事も、経験してるからこその、そっとしておいて欲しい。

それ程に、違いすぎるタイプが、ね?

HSPという人の本質に近しいと思います。

ただ、個人としては、どうにもこうにも「同じような人を見たことがない」という部分も付きまとうので。

自分はただただ、周囲からすれば異質というほどに、五感どころか痛覚や温感すらも感じとりすぎてるだけ。

そしてそれに対し周囲が「感受性が高すぎる」という言葉をよく使うので。

それを自身の表現として使うだけ、なんですよ。

基準がないから、HSPかどうか?とかは当てはめようがないですし、今以上に研究が進んでからの、結果がどうなるか?を待ってるくらいです。

今はまだ、そういう形を作ってる過程=まだまだ未完成な状態なので、一般人では扱いきれないものというね。

それなのに、ねぇ?

何でこんな事になってるんでしょうか?

人間って不思議。


あとがき

今ほどネットは普及してなかった。でも、調べてみたら意味合いが乖離してたので、NEETってそんな意味じゃないぞ?と声を上げたこともありますが。

ホントこう、外来語に弱いんですよ、日本人って。

その弱さには、研究や学術への軽視、本質より自分たちの都合で扱うので、本質を見失ったまま定着させるという、負の部分が必ずついて回ってます。

そういうのも、ね。

見るだけでもわかりますし、NEETもそうでしたが、言葉の扱いがおかしいと間違いなく気づきます。個人の話ですが。

というか、ここ1年位でも見かけなくなった5人に1人という表現。

これも、人口の約20%というね。アメリカ発の言葉でもあるし、研究においては特定の国ではなく、全人口でのおおよその試算として言われたのだと思いますが、ちゃんとそういう話も見つかります。

なので、5人に1人みたいな希少性は、今後変化はあるにしても、現状は言えなくもない。

でも、それを含まないようにしたのは、多くの人をだまくらかそう、みたいな、ね。悪い魂胆もあるんじゃないですか?とか、言えるほどに、

不自然極まりない変化、です。

そのせいか、普通どころか、明らかに極端、それ程に自分だけしか見えないだけでなく、自分ばかりが辛さを抱えてると甘えた考えを持つような人が、自称しだしてるのは呆れます。

ほんとこう、実際にそうある人が困るほどの、誤解が広まってる。

というかですね。

個人としては、自分よりまだまだ上のレベルの人も、絶対にいるはずだから、という理由も自身にHSPという言葉を当てはめない理由だったりします。

人よりこうある、とはいえ、自分が頂点だなんて、まずありえないと考えるほうが自然なんですよね。

でも、自分の生き辛さしか目が行かない人は、そもそも人や人間社会というものにすら、意識も、目も向いてない。

自分の外側に向いてないのに、外向型だとか、HSSだとか。

流石にこう、呆れます。うん。

ぶっちゃけた話、人だけでなく、環境や状況も見える、気づくするので、両向という、その場、状況で振る舞いを自然と変えれると思いますよ。

本当にそうあるなら、相当に気づいてるし、気づいた分だけの情報の処理もできてるので、柔軟に振る舞えるし、それを驚かれもします。

精神やんで、仕事を辞める直前も、ね。

「なんでそんなに若いのに(当時30代前半)、これ程の仕事が出来るのですか?」という質問に対し、

「いやその、仕事ですし。何か変だったりしますか?」

と答えて、同世代でそんなに仕事が出来る人、仕事をこなす人に会ったことがないから。

まさか、経営統合した上で、統合先の人からも、そう言われるだなんて。

一体全体、自分はなんなのかしら?(笑)

なんでこう、普通に仕事をしてるだけなのに、不思議がられてしまうんだろう?

というか、こなせてたほうが問題ないだろうし、そこって不思議がる必要なくない?って相当に困惑したもんです。

そんな感じでね。自分にとっては普通に出来ることをやってると、何でかどこかしらで。

「何故そんなに出来てしまうのか?普通はこれほどにはない」

ってのが付きまとうくらいですよ。

そして、それ程にある=相当な負荷を当たり前の様にスルー出来る。

そう言えなくもないので、ね。

人に振り回されて気疲れするとか、程度が低い、って言わせてもらいますよ。流石に。

ということで、最後にはグッサリいきましたが。

自分がどうこう以上に、周囲の方が抜きで具合を不思議がるんですよ。

なので、自分だけに焦点があたってるだけだと、全然ダメどころか、下手すると周囲からは、

「普通以下」

そう、評価されてるかも知れないですし、それは自分しか見ないからこその失敗、ミスですよ。

ということで。


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