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ふたりより3人のほうがずっと元気でいられるのかもしれない


お盆に、東京に帰省している大学時代の友人と会った。

友達が探してくれた人気ハンバーガー店は、暑い中外まで並んでいた。

他に行くところもすぐ見つからないし、とりあえずそこに並んで時間を過ごした。

1時半に集合し、ハンバーガーを食べたときには、午後2時半を過ぎていた。

もう大学生のときのように甘酸っぱい恋の話もできないし、共通のネタもない。

話は4年前のように盛り上がらなかった。
1時半に集合し、3時過ぎに解散する。
滞在時間2時間にも満たなかった。

わざわざ大阪から東京に来てくれてたのに、そんな少しの時間で解散した。


ところでわたしは今、元気がない。

自分で元気がないというのもなんか変だがら、とりあえず元気がないのである。

久々に会った父親にも、元気がないと言われるくらいには、だ。

でもそれはわたしにとってある意味当たり前で、今わたしは人生でいちばん辛い時期と言っても過言ではない。いちばんじゃなかったとしても、23年間のなかでTOP3には入る、確実に。

 
だからもう、大学生のときのような、底抜けの明るさを私は持ち合わせていなかった。

これが、滞在時間2時間のいちばんの原因なんだろうか。

わたしの元気のなさが、もうふたりが盛り上がることを許してくれなかったのだろうか。
もうわたしたちは、大学時代のように、くだらないことでキラキラ盛り上がれるわたしたちじゃなくなってしまったのだろうか。

なんだかそう思うと、とても寂しい。


もう一組、卒業後も定期的に会う仲間がいる。
男1人、女2人の3人で、大学に行っていた時は別に仲良くなかったのに、オンライン就活で支え合っていたら、気づいた時にはもうマブダチになっていた。

卒業後、彼らとは2回会った。

その3人でいるときは必ず飲みに行って、締めは公園のベンチ。
横浜住みで終電が早い友達の電車が無くなりそうになったら、一緒に駅まで向かって解散する。

思えば、その3人でいるときは盛り上がらなかった試しがない。

理由はわからない。
お酒の力かもしれないし、常に元気な男が1人いるからかもしれないし、大学時代の共通の思い出で繋がっているわけではないからかもしれないし。

ただ、3人いるということが、けっこう大きいんじゃないかと思った。

ふたりでいると、悲しさも嬉しさも、相手に伝播しやすくなる。

3人いれば、1人の悲しさ寂しさなんて、いい意味で簡単に飲み込まれるのかもしれない。

3人でいられることの意味を実感したいま、その3人の関係に感謝し、大事にしていきたいと思った。


そして、わたしが元気になったら、大事な友人に会いに、大阪に行きたい。

元気なわたしで、会いに行きたい。

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