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あなたの文章、どこからですか?(文章表現以前における認識の個人差に関する雑感など)

文章書きには、で書くタイプとで書くタイプがいるのではないか、と、ある日ふと思ったのでした。

もう少しわかりやすく説明すると、文章がペン先から、あるいはキーボードからこの世界に立ち現れる直前にどんな姿をしていて、それをどうやって捕まえるのかは書き手によって違うのではないか、というようなこと。

それが「目から派」=文章になる直前まで映像や画像である人と、「耳から派」=文章になる直前に声やその他の音声情報である人、に大きく分かれるのではないか、と。

ちなみになこは「耳から派」です。
なこがこれから書くべき文章を誰かが遠くで読み上げていて、それを聞きながら文字起こししているような感じ。

他の人はどうなのかな、とTwitterでアンケートをしてみた結果がこちら。
https://twitter.com/nakotic/status/805179746438914048

気になるのは、「耳から」派と「その他」が同じくらいいることなんですが、「その他」ってどういう感じなんだろう。
※「鼻から」と「イタコ」がお一人ずついるのは確認しました。

アンケート結果によると全体の約半数が「目から」派、という衝撃。
結構みんな、目で文章を捉えてるんだな。ということが分かりました。
そうか、だから装丁とかフォントとかにこだわるのか…。

なこは「耳から」派で、文というのは音声言語を記号に落とし込んだもの、という認識なので、あんまりフォントとか装丁とか、こだわりません。
あんまりたくさん漢字があると嫌だから適度に開くのと、たまに叙述トリックでひらがなカタカナ漢字を意図的に混在させるくらい。
自分の小説本を縦書きにしてる理由っていうのも「縦書きの方が本屋さんとか図書館にある本みたいでかっこいいから」という理由です。

その代わり「耳から派」として、一番重視してるのは、入力スピード。
あと、声に出した時の面白さや、日常使いしたくなるような表現には一家言あるかも。
みいみいの「かわいそ」とか、ぼんぼんちゃんの「ばからのおわんと、てはにのすぷん」とか。
その辺は、短歌や俳句や替え歌が好きなことと関係しているのかもしれない。
ところで、文体模写と定型詩や替え歌って、求められる能力は似ている気がします。文章力っていうかむしろ耳の良さというか。

テキストエディターが縦書きじゃないと嫌っていうひとは、たぶん「目から」派なんじゃないでしょうか。
そして、速さにこだわる人(親指シフト派とか)には「耳から」派が多い気がします。なんとなく。

そして、小説を書いてる人の中には、物語が立ち現れてくる直前の姿が、落語の人、漫画の人、絵の人、写真の人、手紙の人、日記の人、と色々いて、その中で小説以外の何ものにも代替しえない表現をしている人が書くものが純文学なのかもしれないな、と思ったのでした。

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります