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腐ったビオトープにならないために(20160806ツイートまとめ)

誰というわけでもないのだけど、相手との距離とか関係性を、自分で決められないんだろうなあ、と思うことがありまして。
好かれたら、好き。嫌われたら、嫌い。
だから、自分が嫌いな人には嫌われていないと不安で、精一杯嫌われるための努力をする。相手がそれに応えないと、初めて火を見た原人のように戸惑ってしまう。
だって、「自分はこの人が嫌い」なのに、「この人は自分のことを嫌いじゃない」だなんて、彼ら/彼女らにとってはありえないから。
そう、彼ら/彼女らは関係性の非対称性に耐えられないのだと思う。

あたりまえのことですが、人間関係いろいろありまして、必ずしも好きな相手に好かれないし、嫌いな相手に嫌われない。
ただ、何故かそれがわからない人々がいて、その人達は自分の頭のなかの人間関係と自分の外側の人間関係がイコールでないと、どうにも耐え難いのではないだろうか、と仮定するに至った。

まあ、好きな人に好かれるとか、嫌いな人に嫌われるとか、楽ではあるよね。
ただ、SNSがいろいろ出てきている中で、ユーザー同士の関係性が「対称的なもの」と「非対称なもの」があり、頭のなかで非対称性を容認できない人には、ユーザー同士の関係性が非対称なSNSは向いていないんじゃないかなと思ったりする。
ユーザー同士の関係性が対称的なSNSっていうのは、mixiとかFacebookとか、「お互いに友達になる」ような関係性を結ぶもの。
対して、ユーザーどうしの関係性が非対称的なSNSっていうのは、TwitterとかInstagramとか、相互にフォローしあうこともあるけど基本的には関係のk構築が一方通行のもの。
自分の頭の造りに合ったSNSを常用した方が、ストレスも少ないしトラブルにもなりにくいんじゃないだろうか……。

好きな人に好かれるとは限らないし、嫌いな人に嫌われるとも限らない。ただ、自分と相手の関係性は対称形にしておきたい。じゃあどうするのか。
相手に、自分との関係を決めてもらえばいい。自分はそれを真似すればいい。
そんな理由で相手との関係性を自分で決められない人っていうのはわりと結構いる気がして、それはもう、一種の呪いなんだと思うようになった。
きっと過去のどこかの時点で
「お前は自分で相手との関係を決めたり、それを名付けたり、してはいけないよ。そんなことをしたら恐ろしいことになるよ」
って、悪い魔女に言われたんだろう。

ところで、相手との関係性を主体的に規定するっていうことは、身体のことでいったらリプロダクティブライツ(再生産に関する権利。女性が避妊や堕胎や妊娠時期などについて自己決定する権利のこと)に近しい気がしている。
リプロダクティブライツは自分の身体に関する決定権を自分で持つということだけど、自分の精神に関する決定権も持たないと、病むよね。
ていうか、病んでても病んでいることに気がつかないし、気が付かないと治せないよね。

関係性の非対称性に耐えられないということはつまり、自分と世界がイコールということだ。それは、子供の、言ってしまえば、幼児の世界観であると思う。
自分と他者が対称であるなら、他者なんていらないのではないか。
だから、自分と他者を対称たらせようとする人にとっては、真の意味での「他者」は存在しないのだろう。
その精神世界はどんなに広くても、確実に閉じている。

そういうのって、なんだかビオトープみたいだな、と思う。
よく出来たビオトープはもちろん、内部の水と酸素とだけで永遠に循環していけるんだけど、人間はそうはいかないんじゃないか。

たぶん、何もしなくても自分自身が成長して拡張して、年齢に合わせて周囲の環境もどんどん変わっていく時期(だいたい25才位まで)は、自分と他者が対称だろうが非対称だろうが、そんなに違わないのだろう、とも思う。毎年違うことがあって、色んな刺激があって、周囲には好むと好まざるとにかかわらずひとがいて。

かといって、自分自身が拡張する時期が終わったあとに自分の外の世界から新鮮な空気や水を取り入れられなくなったら、あとはもう水が腐ったビオトープみたいになっていくしかないんだと思う。

要するに、精神的成長が終わり、大体のことは経験したいい年の大人が、精神的に刺激を受け続けて成長を続けるにはどうしたらいいのかっていう話なんです。
この話をTwitterでぽろぽろしていたら、フォロワーさんからのリプがありまして。
案1:目標を持つ
案2:子供を持つ
案3:転職
案4:引っ越し
案5:旅行

という結果でした。リプを下さった方々、ありがとうござました。

ただ、目標を高く持って常に自己研鑚っていうのも、向き不向きがありますし、その時の環境によってもできるかどうかが決まるし、自分の成長のために子供を持つっていうのも、なんか違うよなーって感じですしね。転職っていうのも、おいそれとできるもんじゃなし。引っ越しっていうのも、お金と手間と時間と体力と運が必要ですしね……。

それで、なこ、分かりました。
なぜ世の中の人々が旅行が好きなのか。大人になると、なかなか未経験のことをしたり見たことのないことを見たりすることってないから、そういう刺激を求めて、旅行をするのだな、と。
体力がなくて貧乏なインドア派だから今まであんまり良くわからなかったの。

まあ、大人になると過去の経験からフィードバックして思考も感情も手間暇も省エネで済まそうとしてしまいがちだし、それはそれで「学習」っていうことで悪いことではないんだけども。

ここから先は、なんとなく思ってる創作文芸界隈のことなので、ご興味のない方はここまでで大丈夫です。

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