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カメのミシミシ、プールに入る

ある日、ミシミシはとうとうデッキプールに繰り出しました。
船内新聞につつまれて部屋から出ます。
ジョンもラフな格好で、最初から水着を中に着込んでいます。
「今日のこの時間はコンサートだから、今はプールは空いていると思うんだ」
「コンサートかあ」
それはそれでわりと気になります。

今日もよく晴れていますが、プールサイドにはパラソルが影を落とし、もちろんビーチチェアもあります。
いくつかある内の小さい方のプールの近くを陣地とすることにして、ジョンはまず短パンツを脱いで水着姿になります。
ミシミシはそのままです。
「プール、入っていい?」
「まずは準備体操だよ」
特に膝下を念入りに。

ジョンが念入りにアキレス腱を伸ばしているうちに、ミシミシは待ちきれずプールに飛び込みました!
水は、思ったよりも冷たい。
小さいけれど浅くもないプールで、縁にそってくるっと一周、泳いでみます。
「どう?水、冷たい? 深くない?」
ジョンはどこかから借りてきた浮具を持っています。
「冷たいけど、気持ちいいよ!」
とミシミシ。
水の冷たさと綺麗さはまるで春の青ピッピ川みたいです。
ジョンはそろそろと足先から水に入ると、浮具の上に何とかよじ登ります。
「上に乗れるタイプなんだね」
「浮き輪だとカッコ悪すぎるからね」
どうやらジョンは、泳ぐのがあまり得意では無いようです。

早々にデッキチェアに引き上げたジョンを置いて、ミシミシは大きい方のプールにも行きました。
水は少し薬品の匂いがするけれど、ひとりで好きなように泳いだり潜ったりして、日頃の運動不足を解消します。
「ミシミシ、僕、ジャグジーにいくよ」
「じゃあぼくも行く」
ジャグジーはデッキの先端にあります。

泡の出るジャグジーは水温も温かくてお風呂みたい。
泡の中に寝そべって船の進む方を見るともなく眺めていると、クルーがひとりやってきます。
「お飲み物お持ちしましょうか?」
「それじゃあ、僕はコーラ」
「ぼく、オレンジジュース!」
若い女性のクルーはにこにこして注文を聞いてくれます。

間もなく、クルーは二つのグラスをトレイに乗せて、もう一人見知らぬおじさんを連れて、ジャグジーまで戻ってきました。
「お待たせしました」
と、クルー。
「……カメだ」
と、おじさん。ミシミシは慌ててジャグジーの泡の中に潜りますが、すでに手遅れ、のようです。
「ミスター、このカメは?」
「友人さ」

「二人部屋を予約したし、二人分の代金を支払っている。乗船予定だった人が……事情があって乗れなくなったから、代わりに来てくれたんだ」
「こちらの、カメが」
「そう。乗客だ。……乗員名簿にサインするのは、忘れたかもしれないけど」
「うむ。このカメは、われわれの、お客様と、いうわけですか」

「……後ほど乗員名簿に追加のサインをお願いしますよ」
「手をかける」
おじさんと女性クルーが立ち去る頃には、ジュースの氷はすっかり溶けて薄まってしまいました。
「ぼく、密航者だから、海につまみ出されない?」
「大丈夫だよ」
ジョンはジャグジーに浸かったままコーラを飲んでいます。

その後、うやうやしく乗員名簿を持って、部屋にやってきたのはなんと船長でした。
白いジャケットが素敵です。
ミシミシはジョンに綴りを教えてもらって、初めて自分の名前を書きました。
「ミスター・ミシミシ、ようこそ私たちの船へ。歓迎します」
「えへへ」
こうしてミシミシは正規の乗客となったのです。

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります