身体オクターブについて

最近、エニアグラムと三分節について考えています。記事も書いていたんですけど、あまりに長すぎて私がまとめられないので、少し小分けにして書いてみようと思いました。

なので、今回は身体オクターブについて。特に身体オクターブの96,48,24について考えていることを書いていきます。多分、結論は出ないんじゃないかな・・・。

※小分けにしたつもりが長くなってしまいましたー・・・。

応援の力

なんでまた最近こんなことを考えているのかというと、「応援されると力になる現象」はエニアグラムだとどの位置になるんだろう、と疑問に思ったことがきっかけです。

そもそも、皆さんは「応援」って力になると思いますか?テレビで「皆さんの応援が力になります」というセリフをよく聞きます。芸能人やアスリートの皆さんからもよく聞きますよね。

私はひねくれているので、応援は「自己満」もしくは「社交辞令」だと思っていました。スポーツ観戦で熱くなって声を上げる気持ちはよく分かります。でも、何故その声が選手達の力になるのか、さっぱりです。

しかし、最近ハマっているゲーム(ウマ娘)でこんなセリフが出てきました。

画像1

貼り付けてみたら画像が思ったよりデカい。

彼女は自らの肉体改造研究を行っている研究者肌のキャラクターです。科学的に、長距離走でより速いスピードを出すための研究に勤しみます。

そんな彼女が科学的な根拠のない応援でスピードが更に速くなったと言っているのです。画像の「そいつ」というのは、観客席からの応援のことです。どうやら、応援を受けたら筋肉発揮に有意に働いたそう。そして彼女は「感情」のもたらすパワーについて興味を持ち始めます。

えー、そんなことある?と思いましたが、やはり世間的な常識では応援は身体的な影響(走るスピードなど)も与える認識があるという事だと思います。こちらのゲームだけではなく、様々な場所で言われていますし。おかげで試合に勝てた、とか。

仮に、応援を受けた時に高揚感を感じて身体に影響があるとした場合、応援を力に変える現象は、感情オクターブから身体オクターブに影響を与えて身体オクターブの水素レベルを引き上げたから起きたのではないか、と仮説を立ててみました。これを検証するためには、エニアグラムの各階層を良くしらないといかんよなー、ということでエニアグラムや三分節について調べ始めている訳でございます。

私自身は応援の力を実体験していないので、検証のためにはもう少し応援の力について誰か教えて欲しいです・・・。そこで、こちらの本を手に取ってみました↓

松岡修造さんの本です。応援と言えば松岡さんらしいですよ。知らなかった・・・。

で、途中までですけど、早速読んでみました。

僕は完全に劣勢でした。5セットマッチの試合でかろうじて1セットは取ったものの、相手はすでに2セット選手していました。
このセットを落としたらもう次はないという4セット目。僕は単純なボレーのミスを犯してしまいました。気持ちの上でもう完全に負けていました。
(もうダメだ・・・・・・)
そう思ったまさにその瞬間、客席から声が飛んできました。
「修造、自分を信じろ!」
(中略)
この言葉は僕に大きな”気づき”を与えてくれました。それは「試合はまだ終わっていない、負けたわけじゃない」ということでした。僕の頭の中で理屈としてはわかっているつもりでしたが、心の中は完全に負けていたんだと思います。「一所懸命やっているけど、無理だろう」と心の中で決めつけていた。でも、あのタイミングで発せられた「修造、自分を信じろ!」の言葉は無意識に試合を投げ、あきらめていた心に気づかせ、奮い立たせてくれました。
(中略)
今、ここに僕を導いてくれたのは、あの「修造、自分を信じろ!」の言葉です。そしてあれは、まさに僕の人生を変えた「応援」だったのです。

応援の力 松岡修造著 p.197(kindle)
※太字は記事作成者によるものです。

この応援で最終的に松岡さんは勝利します。この経験が、松岡さんの応援の原点になったそうです。

うーむ、これを読んでいると、感情オクターブが身体オクターブにショックを与えたというよりも、思考オクターブが感情オクターブにショックを与えて、連鎖的に身体オクターブにもショックがあった、という感じがします。

松村先生の言葉を真似ると、「6恋人のカード」の頭上の天使からの矢に気付くことが出来た、という感じなのではないでしょうか。

でも、このショックはどこの階層で起きたものなのでしょうね?H192?H48?それとも他のところ?うーん、分かりません。

やはり、エニアグラムや三分節についてよく分かってないと進まないですね。という訳で、エニアグラムの考察始めていきまーす。

身体オクターブ

始めにエニアグラムと三分節の図を貼り付けますね。

エニアグラムと三分節

今回書く身体オクターブは、図の黒字の箇所です。ド768からシ12までですね。ちなみに、ド768にはド6が重なっており、シ12からド6へ上がるためにはインターバルがあるので感情オクターブの助けが必要だそうですよ。

では早速、身体オクターブの各階層のイメージを書いてみます。私の考察なので、正解ではないです。随時修正していくことになると思います。

ド768:食物、肉体、世界の入口
レ384:水、液体、血液
ミ192:空気、応身やトゥルパを含む空気、におい
ファ96:エネルギーが充満している状態、声、音
ソ48:生命維持活動、植物性器官と動物性器官の連携
ラ24:本能・動作センター、癖、カルマ
シ12:性センター

詳細を書いていきます。

・ド768、レ384

まず、ド768とレ384。これはそんなに悩まず理解出来ますね。H48思考からすれば余裕で扱える領域だからでしょう。ド768の世界の入り口は受肉。レ384の血液は身体の中にある液体なので含めました。血には根深いカルマがあるように思います。カルマというよりも自我かも?先祖の自我が宿っているので、血を絶やさないようにしようという習慣があるのではないでしょうかね。この血の自我は恒星H6じゃないと上書き出来ないと思います。H12じゃまだ足りない。

・ミ192

次にミ192について。ミ192は空気ですが、この空気は無味無臭無機的なものでは無いそうです。空気の中には知性体が存在しており、それを感知出来るのはH12又はH6もしくは更に上の存在だそうです。ジョン・C・リリーが作成した対照表に従うと、H24はH192まで降りてしまうと抜け出せなくなり、空気の中の知性体を扱うということは出来ません。

・・・先生は応身と毎日のように会話していると仰っていますが、先生は毎日H12レベルにいるということですかね?うーん、感情オクターブならありえるのかも。

この空気中の知性体(応身など)が付加的ショック(ド192)を与え、ファ96に上がることが出来ます。このショックについて、グルジェフはこのように説明しています。

このように、第一オクターヴの七音、第二オクターヴの三音、第三オクターヴの一音は、第一段階あるいは自然段階における<人間工場>の働きの完全な見取り図を示している。自然はただ一つの<ショック>、つまり第二オクターヴの進入から生まれ、第一オクターヴのミがファに移るのを助ける<ショック>だけを供給する。しかし、自然は先を予見せず、それで第二の<ショック>を供給しない。つまり、第三オクターヴの進展を助け、また第二オクターヴのミがファに移るのを可能にする<ショック>は与えないのだ。だから、もし有機体中の純粋な<水素>の三出力を増やしたいと思えば、個人的な努力によってこの<ショック>をつくりださなければならない。

奇蹟を求めて グルジェフの神秘宇宙論 P・D・ウスペンスキーp301-302
※太字は記事作成者によるものです

身体オクターヴのミとファ間のショックは自然と与えられるようです。身体オクターヴのミとファ間に与えるショックは呼吸オクターブとも言われていて、私達は自然と呼吸をしています。なので、呼吸をしている間はミとファ間のインターバルは超えられるのかもしれません。

しかし、このインターバルについて松村先生はこのように記述しておりました。

身体は必ずミの音の段階で無力になる。たいていの人はそこで挫折して、投げてしまい、振り出しに戻る。「長い目で見ると、いつも振出に戻っているのは何だろう?」と疑問に感じる人は、ミの先に進めなかったのだ。また、この欠陥を感情がカバーしても、今度は、感情はミの音で疑問点だらけになり、理解というものが進まない。答えが見つからずやめたりする。気づきとしての思考のショックがないことには感情は進化しないのだ。

タロットの神秘と解釈 松村潔著 p.131
※太字は記事作成者によるものです

こちらの文章から、身体のミとファ間のオクターヴが越えられないこともあり得そうな雰囲気を感じます。

私の解釈では、多分、意図を理解しているかいないかの違いかな、と。常に呼吸をしているため、ミ192にいる知性体は私達の身体にショックを与え続けているのですが、ショックの意図に沿わない事を続けていると、身体オクターヴはミ192に戻ってしまうのではないでしょうか?で、また新しいショックが来てやる気が湧いてくるのですが、意図に沿わないことをしているとまた挫折をして無気力になってしまう・・・というような。

感情オクターヴのレ96は重たい感情で、妬み、不満などが該当しますが、これを上手に変換すれば純粋なエネルギーとなるそうです。純粋なエネルギーは身体のやる気、元気の源になると思います。そして、この純粋なエネルギーを変換する作業は、恐らく意図を理解していないと難しいのではないか、というのが私の考えです。

意図を理解していないくても、レ96の切替ポイントに気づければ良いです。意図を理解するにはH12以上でないとダメだと思いますが、切替ポイントはH24でもいけるのではないかな・・・。大量のH24にはH12が降りてくると言われていますので、H24はH12からの指示で切替ポイントを見つけられるのかもしれません。

・ファ96

次にファ96。ミ192から上がったところなので、やる気のエネルギーに満ち溢れている状態ではないかな、と思います。レ96は重たい感情ですけど、ファ96は物質から見れば軽い状態だと思うので、ネガティブな要素はあまり無いのでは。なので、元気モリモリ状態がファ96。

そんな事を考えながら、松村先生の本を読み返していたらこんな記述が。

しかしながら、感情の面ではなく、身体の持つ96はこのような否定的なものというよりは気の満ちた、活力の充満した状態だ。感情から見ると低く、身体から見ると高いのだ。

スピリチュアル・パワーを呼び込む エーテル体に目覚める本 松村潔著 p.116-117

しっかりと書いてくれていました。取り合えず、ファ96は元気モリモリということで良さそうです。ふむ、ファ96は意外と早く考察終わりました。他に声、音と書きましたが、エネルギーに満ちてそうなイメージがあるので記載しました。音楽には当然人を動かす見えないエネルギーがあると思いますし、声出すと元気が出ます。

・ソ48

次にソ48。ソ48は生命維持活動だと思います。もしくは日常の行動。食物を食べ、消化し、血液で栄養を運搬、不要なものは排泄する...。この食物連鎖を脅かさないような行動が、ソ48なのではないでしょうか。

この生命維持活動については、言い換えると植物性器官が動物性器官を動かすことになります。この植物性器官と動物性器官の関係性について、三木成夫さんは下記のように仰っています。

さて、ここであらためて、いま申しました「体壁系」と「内臓系」のそもそもの関係を考えてみなければならない。それは、生命の主人公は、あくまでも食と性を営む内臓系で、感覚と運動にたずさわる体壁系は、文字通り手足に過ぎない、ということです。つまり内臓系と体壁系は”本末”の関係にあるわけです。ところが私どもの日常を振り返ってみますと、目につきやすい体壁系にばかり注意が注がれ、いわば前端の顔しか見えない内臓系のほうは、ついおろそかにされているのが現状のようです。まさに本末転倒ですね......。

内臓とこころ 三木成夫著 p.964-992(kindle)
※太字は記事作成者によるものです

「体壁系」が動物性器官、「内臓系」が植物性器官のことです。

生命の主人公は「内臓系」であり、「内臓系」の要求に従って「体壁系」が動くのが自然だが、私達は目につきやすい「体壁系」を重視しがちであると書かれています。これは、感情オクターヴもしくは思考オクターヴが絡んでくると動物性器官の方を重視しがちで、植物性器官の要求を正しく聞かなくなることがあるということではないでしょうか。

特に、思考オクターヴのド48は自我を表し、内なる声に耳を傾けない傾向があります。自分や他人を見た目や経歴で判断したりするので、美男美女であろうと努力したり、非難します。それは動物性器官側を重視しているということですよね。それは孤立感を生みます。

植物性器官は動物性器官と比べて、宇宙のリズムと完全に一致するように出来ている、と三木成夫さんは著述されています。内臓系の方に焦点を当てると宇宙と共鳴が出来るので、孤立感は薄まるのだろうと思います。

現代では動物性器官が優勢だというこの状況は、個人という意識を強め、個人的な癖がより強まっていくのだろうと思います。そして、この個人的癖は次のラ24に蓄積されていきます。

・ラ24

ラ24では、本能・動作センターと書きました。これは先生やグルジェフが明らかに言葉で説明してくださっているので、そういうものなんだと思います。この本能センターには個人の癖が蓄積されていくようです。松村先生の動画で説明されています。

本能センターに蓄積された個人的な癖、もしくは家系的カルマは、H12を降ろすときに邪魔になるそうです。大量のH24はH12の台座になると言われていますが、この本能センターに癖が蓄積されているとH12は正しく降りてくることが出来ないみたいです。

そもそも、本能センターと動作センターってなんなのでしょうね。身体オクターヴの記憶庫みたいに捉えればいいのかな。

H12を降ろしてくるためには、癖を取り除く必要があります。その作業がこの死神のカードみたいですが、じゃあ具体的にどんな作業をすれば良いのでしょうね?

私が一例として思い浮かぶのは寺での修行ですかね。毎日決まったルーティンがあり、個人の欲求で動かず、粛々と日々をこなしていく。これを何年も続けていくうちに身体に蓄積されていた癖は修正されるのではないでしょうか。もしくは何かのスポーツでもいいです。スポーツに取り組む時、自分の癖が残った状態で身体を動かすのではなく、お手本のようなポーズでスポーツをする。他人から見て非常に美しいポーズでスポーツをする。これは大変な訓練ですが、続けていくと癖は改められていくのでは。

まあ、この一例は「エースをねらえ!」という漫画から思い付いたものなんですけどね。宗方コーチにシバかれる前の岡ひろみはごく普通の女子高生(H48)。しかし、宗方コーチに鍛えられていくうちに、ひろみはH24もしくはH12的存在になっていきます(H6まで行ってるかも?)。物語では寺に泊まり込みの修行もありますし、ポーズは美しくあれ、という教えもあります。「無理です!」みたいなこと言いますが、ポーズが美しくなければ世界チャンピオンには勝てないんだと。コーチは癖を取り除けと言っていたのかもしれません。・・・手元に漫画が無いのが惜しい。読み返したい。

・シ12

次にシ12。これは性センターです。これも先生やグルジェフが言っていますね。身体オクターヴの完成形です。もしド6まで行ったら身体オクターヴではなくて別の第4のオクターヴに移り変わるのでしょう。

正直、ここの領域は考えが及びません。が、ここで弱音を吐いても仕方ないので、考察を続けていきます。

12は24を大量に生み出すために必要な要素です。12は48を食べて24を生み出すからだそうです。うーん、イメージとしては、烏合の衆(H48)の中から自立的人間(H24)を輩出する、という感じでしょうか・・・。女王様が民間人を何人かお城に呼び出して、その中から自分の騎士を選出するというような。

身体オクターヴに限って考えれば、シ12は陰陽が統合された身体であり、それが性センターなのですが、個人的な解釈では、性センターは普段は腰の辺りで眠っていて、目覚めると上に昇っていくというイメージです。そして、松果腺と繋がり、外界と通じるようになるということなのではないかな、と。眠っている間は陰陽がそれぞれ激しく動いているので、世界の外側には興味が向かないようになっているという仕組みなのではないでしょうか。

それにしても、陰陽が統合された身体とは何なのでしょうね。身体の陰陽とは、性別ですよね。となれば、陰陽が統合された身体というのは、女を超えた存在、もしくは男であることを超えた存在のことなのではないでしょうか。女を捨てるとか、男を捨てるとかではなく、性別を超えた状態。これは肉体(ド768)の話ではありません。シ12の話なので、肉体ではなくエネルギーレベルの問題です。

12サインを参考に考えてみたら分かりやすいですかね?ニ区分について、松村先生の書籍から引用させて頂きます。

●奇数サイン...牡羊座、双子座、獅子座、天秤座、射手座、水瓶座
奇数サインは「男性サイン」と言われています。偶数サインに比較すると意志が外に向かう傾向があり、積極的に働きかける性質です。
(中略)
飛び出すか広がるか、いずれにしても閉じ込められることを嫌います。火は燃え上がり、また風は流通しますから、じっと同じ状況にとどまることを息苦しく感じることが多く、変化を好みます。

●偶数サイン...牡牛座、蟹座、乙女座、蠍座、山羊座、魚座
偶数サインは「女性サイン」と言われています。偶数サインは、意志が内側に向かいます。他人から見るとおとなしいように見えるのは、意思表示が外に積極的に向かわないからです。
(中略)
よく水の象徴として、聖杯やタロットカードの小アルカナのカップがシンボルに使われていますが、器と中にある液体は、地と水の元素のセットを表し、これは平和や満足、心の充足などを示しています。つまり、偶数、また女性サインは、動かない、落ち着いた状況をよしとしています。

完全マスター西洋占星術 松村潔著 p.36-37

この奇数サインと偶数サインのそれぞれのエネルギー両方を融合した状態が12の状態。言い換えると第5元素が12の状態。じゃあ、シ12へ行くためにこの融合をどうやればいいのか、というと性的な事が一番手っ取り早いと言われています。性的エクスタシーが身近で分かりやすいものらしいです。それはつまり、相手から不足しているエネルギーを受け取っているってことですよね。結果、一時的に体内で陰陽の両方が揃うという。もちろん、そういった行為以外でも可能だと言われています。

まあ、私は全然この12を実感出来ていないので、ここで色々考えても正解に近づけない気がしますね。まずは、12の台座となる24を増やすことに意識を向けた方が良さそうです。24を増やすにはスポーツが推奨されていますが、個人的な癖のない正しいポーズで行わないと上手く出来ないので、必然と癖が修正されていきやすいからなのでは、と思っています。なので、適当にスポーツやっても24が穢れていくことになると思うので、気を付けないといけませんね。

おわりに

小分けにしたかったのに、結局長くなってしまいましたー。

やはり、1オクターヴ全てをまとめて書こうとすると長くなってしまいますね。各階層ごとに記事を分けて書いた方がいいかもしれない。

今回、身体オクターヴについて改めて考察してみましたが、全然考察が足りないです。これは何年も考え続けないと、自分のなかで納得した結論は出ないのだろうと思います。考えるだけではなく、体験もしていかないとですね。

次回は感情オクターヴについて考えてみようと思います。

あ、さいごに、身体オクターヴについて考察している時に「エースをねらえ!」がかなり参考になりました。他の漫画でもいいと思うんですけど、主人公が成長していくさまは、割と参考にしやすいですね。

ひえー、高い!でも手元に欲しいから中古で買おうかな・・・。

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