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あいし てるてる

「音楽は魔法ではない」と有名な大森靖子さんの超自我的大表曲『音楽を捨てよ、そして音楽へ』。
が収録されたアルバム『魔法が使えないなら死にたい』が昨日10周年を迎えた。

10年前ワタシは6歳。
カルチャーどころの年齢ではない。

ワタシの最近は、時間や脳の活動の隙間ができると、ずっとずっとずっと「生きていたい」なっていうおねがいが無意味に浮かんでいる。
1年かけて準備したコンサートが近いからか、特別な日が多いからか、春が来たからか、はたまた。

その1年かけて準備したコンサートのリハーサルが2週間くらい前にあって、はじめて大曲をノンストップで演奏した。

ブラームスの交響曲第1番。
脳みそから愛してる、が止まんなかった。


音楽を捨てよ、そして音楽へ
は、シン・ガイアズver.のものももちろんかっこよくて血肉で大好きなのだが、原曲(?)となっているアルバム・バージョンもとてもかっこよくてかわいい。ピアノ系大森靖子、愛おしすぎる。

んでだ、原曲の冒頭はピアノと重めリズムは大森靖子さん肉声の「愛してるよ、愛してるよ」で完全に上書きされていて、埋め尽くされていて、
ワタシはその愛してるよパートを「大森靖子だから」というぼんやりした理由でしか聴いていなかった。


しかしだ、しかし?、先々週ブラームスを弾いていて、途中から頭が集中よりも「愛してる」で満ち溢れてしまっていた。
大森靖子だから、だと思っていた重なる「愛してる」現象がワタシにもやってきたのだ。
身体の軸という軸がブレまくり、頭はずっと飽和状態。
体力ないから息もブチ切れるし、暑いし。
45分も座ってなきゃいけないし。

でもその変わり、頭の上目線の先足元の半円全ての空間の形にピッタリ満ちたいろーんな人のたっぷり系情念を見つけることができた。
全部全部ワタシこんなのはじめて!だった。

ただし何を愛していたかは全然わからん。
パニックふわふわ状態にマッチした言いやす量産キーワードが愛してるだっただけかもしれないし、ワタシがただ大森靖子さんを聞きすぎただけかもしれない。ワタシって大森靖子じゃん!って言いたかっただけかもしれない(劇的ゲロカスクソヲタク)

さっき見つけることができたって言ってた情念の塊を愛してたかって言われたら、それは難しい。
その中にはワタシだって含まれているし、ワタシがワタシのことを愛してるってまだ言えちゃダメなような気がするからね。気がするだけ。
自分のこと、まあまあ好きだけれど。

曲を愛してたってこと?
一緒に演奏してくださる皆々様方を愛してたってこと?
会場?楽譜?指揮棒?照明?複合体?あれれ?


何を愛してたか、ってのは別に知らなくていいから、もっと別の言葉で別も瞳で、今度はもっとたくさんのことを知れるように。
本番までもう一週間もないのです。



あと『魔法が使えないなら死にたい』10周年おめでとうございます。
魔法使いなんてならなきゃよかった(大森靖子「魔法使いは二度死ぬ」より)なんて歌うあなたは今最高に大人になって当時より神味が増しちゃって、強くて整っていて、本当は最高にかっこいい。
あなたが諦観している全ての感触は、今までひとが言葉にできなかったものしなかったものです。
それは今も昔も変わらないです。



今回登場した曲たちのプレイリストです。
あと本当最近聴いた曲、全部超いい。
ブラームスはいろんな演奏があるのですが、とりあえずうちにある小澤征爾さんの演奏にしました。
どうぞにわかとお騒ぎください、おすすめの演奏も教えてね。

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